2019 年 60 巻 1 号 p. 103
本書の挑戦は,帝国主義研究とポスト帝国主義研究の乖離と対話回路の乏しさを補うため,「研究視角や問題意識の間に対話の回路をリレーさせ,どのような対話可能性を展望できるか」(viiiページ)を示すことにある。その背景として,「はじめに」で,帝国主義研究として1992~1993年に刊行された『岩波講座近代日本と植民地』全8巻,ポスト帝国主義研究として2006年に刊行された『岩波講座「帝国」日本の学知』全8巻を例に比較,検討を行い,両研究の相違と乖離を確認している。
本書は,1986年に設立された日本植民地研究会の2016年全国大会共通論題「日本植民地研究の論点」がもとになっており,『日本植民地研究の現状と課題』[日本植民地研究会 2008]の更新・補完を目的として出版された。2008年発行のものとの大きな違いは,「研究の細分化と研究者間の相互不理解が地域分断的に進展しつつあるという積年の問題に対応して,従来のような地域別の編成ではなく,テーマ別の編成とした」(xiページ)ことである。
本書は,「はじめに」,3部(22章,13コラム),「あとがき」からなる。「はじめに」で本書の構成を次のように説明している。「第Ⅰ部『植民地支配の基盤』では政治や経済を中心に取り上げ,第Ⅱ部『植民地の社会と文化』では主に社会や文化を取り扱う」(xiページ)。「第Ⅰ部と第Ⅱ部は,『分断から分業へ』という本書のメイン・テーマを体現する役割を担っている」(xiページ)。つまり「『帝国』の構造や植民地支配のあり方を総体として把握するためには,政治・経済の制度と文化的側面の双方に目を配る必要」があり,「双方の研究動向をワンストップで把握しうる本書の意義は大きい」(xiページ)。そして「第Ⅲ部『視角と方法』では,研究を進めるために必要な視角や方法論を紹介」し,「これまでに示されてきた研究の視角や方法論を整理しつつ,隣接分野との関連性や研究を進めるうえで必要となる具体的な手法について言及する」(xi~xiiページ)。
本書は,30年にわたる学術研究団体の活動の成果で,10年前に刊行したものを補う意味で出版されたことから,よく整理され,洗練された論点をわかりやすく解説している。問題のひとつは,「あとがき」で指摘しているように「台湾・朝鮮および満洲以外の地域を対象とする研究の多くが本書から欠落」(288ページ)したことである。引き続く過去としての日本植民地研究を考えたとき,日中韓を中心とする狭い意味での「東アジア」を枠組みとするのか,東南アジアまで含めた広い意味での「東アジア」にするのか,さらに南洋群島,樺太などまで含めるのかでは,議論の方向性がずいぶん違ってくる。台湾・朝鮮および満洲だけではおさまりきらない問題が多々ある。それは,大国主導の視角や方法論だけではなく,流動性の激しい海域世界の論理などをも考慮に入れた地域社会を総体として把握しなければならないことを意味する。支配した側の論理ではなく,支配された側を主体的にみる論理である。今後の展望を示すなら,どの地域枠組みで考えるのかが重要になってくる。
もうひとつは,日本植民地研究の担い手が誰であるかが今後問題になってくるだろう。すでに本書の参考文献一覧が日・韓・中文になっているように,日本語による植民地研究ではおさまりきらず植民地支配・占領された韓国,台湾,中国の研究者の視点で議論が進められている。さらに,東南アジアや南洋群島などの研究者が加わったとき「『帝国』の構造や植民地支配のあり方」(xiページ)はどのような分析対象となって日本人研究者の前に立ち現れるのだろうか。支配・被支配を超えた第三者を加えたときや植民地支配を経験した世代がいなくなったときの新たな研究視座に備えなければならなくなる。そのときのためにも本書で論点を整理した意義は大きい。