アジア経済
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
書評
書評:岩﨑葉子著『サルゴフリー 店は誰のものか――イランの商慣行と法の近代化――』
平凡社 2018年 270ページ
長岡 慎介
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2019 年 60 巻 3 号 p. 88-91

詳細

中東地域の市場や企業で聞き取り調査をしていると,目の前で繰り広げられる独特な商慣行に戸惑うことが多々ある。その戸惑いの感覚は,私たちが慣れ親しんでいる商慣行とは違うからとか,前資本主義的で非合理的な商慣行であるからといったありきたりな理由から来るものではない。中東地域の商慣行は,そうした伝統と近代という二項対立だけではとらえることのできないさまざまな歴史的経緯や文化,規範などの積み重なりの上に成り立っており,それが他地域では感じ取ることのできない特異な戸惑いを私たちにもたらすのである。とりわけ,中東地域独自の近代化経験や,同地域で広く信仰されているイスラームの存在およびその超時代的かつ可変的性格は,同地域の商慣行に対する私たちの理解をより一層難しくさせる。

本書は,そうした複雑怪奇な構造の上に成り立っている中東地域のさまざまな商慣行の中で,イランで独自の発展をしてきた「サルゴフリー」と呼ばれる商慣行に焦点を当て,その実態と歴史的変遷を明らかにすることをめざしたものである。本書の著者は,わが国における中東経済研究の第一人者であり,30年以上にわたってイランで地道な現地調査を続けてきた。そして,同国で見られるさまざまな商慣行や取引制度に着目し,その独自性を中東地域研究と経済学を架橋する広い視野から考えてきた。サルゴフリー研究は,アパレル産業研究と並ぶ著者のライフワークのひとつであり,本書はその集大成として刊行された(注1)

本書は,序章と終章のほか,6つの章から構成されている。以下,各章の概要について簡単に紹介する。

序章「生きている法,そして制度」では,導入としてサルゴフリーの概要が紹介されている。サルゴフリーとは,店舗で商売をする権利であり,イランの大都市部の商業地における店舗の賃貸借では,店子が地主や前の店子からこの権利を買い取って商売を始めるのが一般的になっているという。こうしたサルゴフリー制度は,時代をとおして必ずしも不変な制度であったのではなく,20世紀初頭から現在までの約100年間でさまざまな変遷を辿ってきている。序章では,サルゴフリー制度の歴史的変遷を,法と実社会の関係性におけるダイナミズムの中から描くことを本書のねらいに定め,その鍵となる歴史的事件やアクターが謎解きの伏線として紹介されている。

第1章「サルゴフリー方式賃貸契約とはなにか」では,首都テヘランにおける著者の現地調査にもとづいて,現在のイランにおけるサルゴフリー方式による賃貸契約の実態が明らかにされている。現在のサルゴフリー制度では,地主の承諾を条件に新しい店子にサルゴフリーを転売することができるが,その店舗の立地や集客力によってサルゴフリーの価格は大きく変動する。人気のある店舗のサルゴフリーは,地主から最初の店子への売却価格と比べて大幅に高騰するという。万一,地主が店子に立ち退きを求める場合は,その高騰した時価でサルゴフリーを買い戻す必要があるため,現在のサルゴフリー制度は,地主にとってほとんどうま味のないものになっている。なぜこうした珍奇な制度がイランの不動産貸借で一般的に用いられ続けているのか。この問いかけに答えるべく次章以降で,サルゴフリー制度の歴史的変遷が明らかにされていく。

第2章「歴史のなかのサルゴフリー」では,「プロト・サルゴフリー」と著者が呼ぶ20世紀前半のイランにおけるサルゴフリー制度に焦点が当てられ,店子どうしの間で営業権利金の授受の慣行が当時からあったことが議会議事録から解き明かされている。その後,第二次世界大戦中にアメリカから派遣されたお雇い外国人ミルスポーによる不動産賃貸借法の西洋法化が,その後のサルゴフリー制度の変容の大きな契機となったと指摘されている。

第3章「サルゴフリーをめぐる法」では,1960年に制定された不動産賃貸借関係法(1960年関係法)が取り上げられ,そこで初めて登場することになった「営業権」についての分析が行われている。この営業権は,店舗の店子に与えられる権利であり,店舗の立地や営業期間,店子の営業努力がその価値に加味され,同業種の商人に時価で譲渡可能である。これは,一見するとそれまでのサルゴフリーを念頭に置いた権利だととらえてしまうが,他方で,この営業権が地主による補償の対象になるというこれまでの慣行にはない規定が盛り込まれている。著者は,この点こそが不動産賃貸借法の西洋法化を試みたミルスポーの「置き土産」(82ページ)であり,サルゴフリー制度が実定法に取り込まれるなかで変容を遂げていく出発点になったのだと指摘している。

第4章「制度の変容」では,1960年関係法施行後のサルゴフリー制度の実態について,新たに当事者となった地主の対応に焦点を当てながら描かれている。営業権の登場によって地主の不動産処分の自由度は大きく制限された。なぜなら,高騰した営業権を補償して物件を手元に取り戻すことは容易ではなくなったからである。そうしたなかで,地主が当事者としてかかわる新たな慣行が生まれ,第1章で描かれた現在のサルゴフリー制度が形成されていったと述べられている。

第5章「イラン革命とサルゴフリー」では,1979年のイラン・イスラーム革命を契機とした国内制度の「イスラーム化」の過程で,サルゴフリーをめぐる法制度がどのように改変されていったかが検討されている。革命後のイランでは,営業権の孕む違法性がイスラーム法学者たちの議論の的となり,1997年の法改正では,営業権の語が完全に削除され,代わりにイランの不動産賃貸借関連の法律に初めてサルゴフリーが規定された。この法改正は,プロト・サルゴフリーへの単純な回帰ではなく,現実社会の既存制度を前提として営業権的な要素を残した新しいサルゴフリーのあり方を事実上受け入れたものだと著者は評価している。

第6章「今日の地主の選択」では,1997年の法改正以降の地主の資産運用行動についての状況が検討されている。そこでは,地主が店子に不動産自体を売却するという方式(メルキー方式)が増加傾向にあるものの,サルゴフリー方式による不動産賃貸借は根強い人気を保っていることが明らかにされている。

終章「法と経済の相克」では,本書全体の議論をまとめながら,サルゴフリー制度の形成と変容は,イランの個別具体的経験であった以上に,非西欧世界における近代化の過程で生み出された法と実社会・経済活動との相克の端的な事例として位置づけられると述べ,地域間比較研究に扉を開く形で本書を結んでいる。

本書の学問的射程は,経済学,中東地域研究,社会経済史,イスラーム研究など多岐に広がっている。したがって,それぞれの読者が本拠とする専門によってさまざまに評価が可能であろう。以下では,評者の専門の経済学およびイスラーム世界論の観点から,2点ほどコメントを付してみたい。

第1に,本書を経済学の研究書として読んだ場合,分析枠組みとしての経済学のホモエコノミクス(合理的経済人)への強いこだわりを本書のいたるところからうかがうことができる。一般に,現地調査をベースとしてアジア・アフリカ地域の経済システムや制度を分析する場合,ホモエコノミクスを前提としたモデルでは説明がつかないことがどうしても出てきてしまう。そうした場合,利他性,共同性といったホモエコノミクスとは異なる属性を持ち出してアクターの行動と制度との整合性を説明したり,個人の合理的選択を阻害するようなマクロ要因(国家の統制,宗教・社会・文化規範など)の存在を措定したりすることが常套手段となっている。

ホモエコノミクス・モデルをめぐるすでに言い古されたこのような議論をあえてここで持ち出すのは,中東地域の経済システムや制度を対象とした研究では,いまだにこのモデルを前提とした分析に消極的な学的雰囲気が存在するからである。中東特殊論とでも呼べるような,地域特殊な論理や政治経済社会的状況に多分に依拠する研究アプローチは,アラブ諸国の権威主義体制,石油資源に依存する湾岸諸国の君主制,独自の教義体系を持つイスラームという宗教といった強烈なインパクトを放つ中東独自の役者の存在によって育まれてきた。それによって中東地域の特殊性に対する理解は大いに深まることになったが,他方で,経済学を使って中東地域に目を向ける研究は,他のアジア・アフリカ地域と比べて低調にとどまっている。

そのようななかで,本書は,明示的に述べてはいないものの,ホモエコノミクス・モデルに徹底的にこだわり,経済学に対して中東経済論の門戸を開いたものとして評価できる。そのこだわりが読み取れる例を挙げてみよう。第1章で描かれる現在のサルゴフリー制度の実態を垣間見た読者のほとんどは,地主にとって何の得にもならないサルゴフリー方式による不動産賃貸借になぜ彼らはそれほどコミットするのか疑問に思うだろう。実際,評者も第1章だけを読んだときにそのように感じた。もし,本書が中東特殊論に絡め取られているのであれば,そうした地主の非合理的な選択は,イラン独自の社会文化構造に制約されたやむを得ないものだと説明されて終わりであろう。

しかし,本書を読み進めていくと,現在のサルゴフリー制度において地主が当事者としてかかわるきっかけとなった1960年関係法における営業権の導入は,賃貸料をやみくもに上げて己の利得を最大化しようという地主の「合理的」行動の帰結によるものであったことが明らかにされるのである(127ページ)。ここには,ホモエコノミクスとして合理的選択を行っている地主の姿が立ち現れている。では,なぜ現在の地主の行動は非合理的に見えるのだろう。それについても,本書は暗に答えを述べている。すなわち,人々は所与の条件(政治社会経済状況)にもとづいて合理的選択を行うが,それは必ずしも通時的に不変ではなく刻々と変化していく。その変化を機敏に読み取り,己の合理的選択の最適解を再計算して行動をシフトさせた者だけが,利得を最大化し続けることができるのである。実際,第6章で登場する新たにメルキー方式によって資産運用を行う地主は,時代の変化を読んだうえで最適解の再計算を行っている合理的経済人なのである。他方,サルゴフリー方式に固執する地主たちは,けっして指をくわえて不合理な制度に絡め取られているのではなく,合理的選択としてその行動を選び取っているのである。

20世紀のイランはまさに激動の時代であった。人々に与えられた政治社会経済的条件とそれにともなう合理的選択にもとづく最適解は,私たちの想像を超える速さでめまぐるしく変化していった。イランの人々の多くはその流れに難なく乗り,最適解の再計算を繰り返し,今日まで生き抜いてきたのである(注2)。本書が描いてきた法と実社会のダイナミズムによるサルゴフリー制度の変遷は,換言すれば,さまざまなアクターがホモエコノミクスとして合理的選択を積み重ねてきた人々の軌跡なのだということができるのではないだろうか。

第2に,本書をイスラーム世界論の研究書として読んだ場合,時代状況に応じて法や制度が絶え間なく変化しうるイスラーム世界独自の柔軟性が余すことなく描かれていることに気づかされる。7世紀のイスラーム登場以降,中東地域ではイスラーム王朝による統治が続き,政治経済の運営から人々の日常生活に至るまで,あらゆる場面でイスラーム法が大きな影響力を持っていた。しかし,人々はイスラーム法の具体的規定を不変のものとして墨守していたのではなく,現地の慣習や世俗法,外来の法体系と折り合いをつけながら,法学者の解釈行為を通じてそれぞれの時代状況に応じたイスラーム的なあり方を柔軟に探ってきたのである。

たとえば,中世のイスラーム世界では,横行していた利子付き貸借に類する商取引に対して,イスラーム法が利子を禁じているからといって排除するのではなく,逆に,イスラーム法の標準的な解釈手法を用いてそうした商取引を遵法的に内部の体系に取り込んでしまうようなことが起こった。また,20世紀後半のイスラーム復興のなかで,利子を介在させない金融システムの構築が模索されたときには,西洋近代文明の生み出した銀行制度や世俗的な銀行法体系がさかんに参照された。

本書のサルゴフリーの事例からも,そうしたイスラーム法の柔軟性が明快に描かれている。サルゴフリーは,もともと何らかのイスラーム法的な正当性を与えられていたものではなかった(125ページ)。しかし,イラン・イスラーム革命後,サルゴフリーのイスラーム法的正当性が議論の的となり,結果として1997年の法改正によって,イスラーム法的な裏付けが付与された。これはイスラーム法の観点からすると,サルゴフリー制度がイスラーム法体系の内部に取り込まれたことを意味するといってよいだろう。

このようにイスラーム法は,私たちの想像以上の柔軟性を有している。しかし,注意すべきはイスラーム法が単に柔軟で可変的なのではないという点である。イスラーム法の具体的規定がいかに変わろうとも,そこに投影されるイスラームの基本理念は不変/普遍のものとして生き続けているのである。サルゴフリー制度についても,1997年の法改正で単にイスラーム的意匠が施されたのではなく,モノ自体への所有権と用益権を明確に区別するイスラームの基本理念がそこに生き続けていることが本書で示唆されている。

このようにイスラーム法と隣り合わせで展開されてきたサルゴフリー制度のマクロレベルでの独自性とは何であろうか。加藤博は,柔軟な法体系によって育まれてきたイスラーム世界独自の寄進財産制度に注目して,それを核として成立する経済統合システムをモデル化することで独自のイスラーム経済論を展開している(注3)。同じくイスラーム経済論に関心を持つ評者にとっては,サルゴフリー制度が結びつけるさまざまな周辺アクターが,総体としてどのような経済システムを構築しうるのかについて大きな関心があり,その点を本書に尋ねてみたかった。

もちろん,本書はマイクロな分析に焦点を絞っており,また,評者が期待するような本質主義的な理念モデルの開陳に非常に慎重である。現地調査にもとづく研究のお手本のようなそうした謙虚な姿勢が,本書の価値をさらに高めているのは確かである。しかし,本書ともうひとつのライフワークであるアパレル産業研究を架橋する地点から書き上げられるであろう次回作では,ぜひ独自のイラン経済論(あるいは,中東経済論,イスラーム経済論)を展開することを期待したい。そうした期待を抱かざるを得ない未来に開かれた著作としても本書はきわめて魅力的なのである。

(注1)  著者のアパレル産業研究については,この『アジア経済』に多くの論考が掲載されている。また,Springerからも英文研究書(Industrial Organization in Iran: The Weakly Organized System of the Iranian Apparel Industry)が2017年に刊行されている。

(注2)  そうしたホモエコノミクスとしてのイラン商人の姿は,著者の他の著作(『テヘラン商売往来――イラン商人の世界――』(アジア経済研究所,2004年),『「個人主義」大国イラン――群れない社会の社交的なひとびと――』平凡社,2015年)でもあちこちに見てとることができる。

(注3)  たとえば,加藤博『イスラム世界論――トリックスターとしての神――』東京大学出版会,2002年。

 
© 2019 日本貿易振興機構アジア経済研究所
feedback
Top