アジア経済
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
特別連載
インタビューで知る研究最前線
第1回
倉田 徹澤田 ゆかり長峯 ゆりか
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2020 年 61 巻 2 号 p. 36-58

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はしがき

今日,多くの学術分野でディシプリンの細分化・専門化の流れが加速している。社会科学もその例外ではなく,最先端の研究はややもすると分野を異にする幅広い研究コミュニティに届きにくくなっている。これに対して,このたび『アジア経済』の編集委員会は,途上国研究の最前線で活躍する研究者にインタビューを行い,いまに至る研究対象との関係性,分析の手法,テーマの選択,学術界の変化などを掘り下げて紹介する特別連載「インタビューで知る研究最前線」を企画した。

第1回は,新進気鋭の国際政治学者であり,現代香港研究の第一人者でもある倉田徹氏に,香港民主化運動の分析を切り口として,地域研究のアプローチを約2時間にわたって語ってもらった。このインタビューは2020年2月8日に東京外国語大学・本郷サテライトで行なわれた。

本誌は,広く発展途上国を対象とする地域研究・途上国研究の雑誌として,ディシプリンや地域を限定しない方針で編集を行なってきた。このインタビューを通じて,多様な専門分野と地域研究に関心をもつ本誌の読者に最先端の研究動向をわかりやすく伝えることで,研究の新たな視角の一助となれば幸甚である。

香港研究を志した経緯

澤田 本日は現代香港研究の第一線でご活躍中の立教大学の倉田徹先生をお招きいたしました。ホットなトピックを扱う研究での方法論を中心に,現在の研究に至る道程と最前線で遭遇する諸問題を交えながら先生にお話をお伺いします。

香港は2014年の雨傘革命以来,世界の注目を浴びるようになりました。特に昨年の逃亡犯条例改正案をきっかけに始まった大規模な抗議運動は香港に対する関心レベルをさらに引き上げたと思います。逆にいえば2013年まで香港への関心はそれほど高いものではなかったのではないかと思いますが,そういったなかで先生がなぜ香港研究の道に足を踏み入れたのかをお話いただけますでしょうか。

倉田 私が香港研究を志したのは,環境と偶然のつながりがあるんですけれど,まずひとつにはそもそも私の個人の生い立ちといいますか。父親がキャセイパシフィック航空という香港の航空会社に勤務しておりまして,職場自体はずっと東京だったんですけれども,旅行に行くとなると必ずキャセイの飛行機に乗っていました。そうすると東京を出ますと当然,最初の目的地は香港ということになりますから,私も生まれて初めて行った海外が香港なんですね。ですから子どものころから香港にはなじみも付き合いもあったうえに,いわゆる香港返還問題というのはもう倉田家の家庭問題だったわけです。要は私が1975年の生まれで,子どものころはまだ返還問題が決着をしていませんでしたので,父親の会社が1997年にどうなるのかわからないというようなことをいわれていました。ある日,会社から父親が帰ってきまして,中国とイギリスが合意に達したらしい,一国二制度というやり方で資本主義を50年続けるから会社は大丈夫だというようなことをいいました。まだ小学生でしたけれど,子ども心にも社会主義の国で資本主義の体制をやるっていうことができるのかなという,そういうような関心はあったわけです。

ただ,その後どちらかというと自分が興味をもったのはむしろ大陸のほうでして,中学生のころから北京語を勉強する機会がたまたまあったんですけれど,それが非常に楽しくて,東京大学の駒場のアジア科に進んで,おもに中国の研究をするつもりでいました。ところが,これも偶然なんですが,ちょうど私が卒業論文を書くタイミングというのが1997年,香港返還の年だったんですね。やはり当時は本屋さんに行きましても香港に関する本が全部平積みになっているという,それぐらい日本国内でも香港問題は関心を集めていました。ベトナム研究をしている古田元夫先生(東京大学名誉教授)がベトナム戦争を見ていたときに,ベトナムが世界の中心だと思ったというようなことをおっしゃっていますけど,私もそのときは香港はある種,世界の中心だというような感覚がありまして,それで研究の道,研究テーマとしての香港を選んだということですね。

調べ始めますと,やっぱり香港の政治システムというのは非常に不思議なシステムだということがわかってきました。たとえば政党にしても,大金持ちしか支持していない自由党があって,逆に貧しい人ばっかりが支持している労組系の政党があったりと,当時は本当に階級ごとにきっかりと分かれていました。あとは民主派と親中派のイデオロギー対立ですとか,そういった鮮明なキャラクターをもった政党がいっぱいあって,かつ選挙制度というのも非常に入り組んでいて不思議で複雑だと。それを調べるだけでもなんという面白い仕組みなのかと思いました。あとは民主化問題っていうのがあるわけです。中国の民主化は1989年の天安門事件で挫折をしているわけですけれども,香港では少なくともイギリスと中国が合意をしてそろそろと民主化をゆっくり進めていくというようなことは一応決まっていました。ですから,やはり香港ではなんらかのかたちでこの民主化問題がこれから面白くなるんじゃないか,そういう予感をもって頑固に研究を続けているというところでしょうかね。

倉田徹氏

香港研究の難しさ――「小さい地域」を研究するということ――

澤田 初めての海外体験と,激変するアジアの情勢のなかで興味が絞られていったという大変興味深いお話をお伺いいたしました。香港というのはある意味,ちょっと特殊な地域なわけですが,香港研究をやる難しさというのは中国の政治研究をやっていたときとは若干違うものがあるのではないかと思います。そういった難しさ,あるいは逆にやりがいや楽しさという点をご紹介いただけますでしょうか。

倉田 難しいという点でいえば,やっぱり研究の蓄積が不十分だったということはいえると思います。もちろん中嶋嶺雄先生(元東京外国語大学長),あるいは濱下武志先生(東京大学名誉教授)などもたくさん香港のことを論じておられます。あるいは香港の政治ということに関しては,私の指導教員を務めてくださった谷垣真理子先生(東京大学教授)が積極的に論文をいろいろと書いて,香港の情勢を紹介してくださってはいたわけです。しかし,そういった研究がある一方で,香港に政治なんかあるのかという,こういったような聞かれ方をするという状況があったんですね。今にして思えば,香港には政治はあるわけです。それは要するに,政府が非常に上手に政治化しないように「脱政治化の政治」っていうのをやっていたわけです。つまり波立っていないときは下に流れている底流は見えないわけですよね。波を立たせないようにうまくマネジメントする政治っていうんですか。そういうものはなかなか見えてきませんから,一般的に関心を集めることがまず少ない。そうするとジャーナリスティックなものも含めて,日本で充実した香港政治の情報はなかなか出てきませんね。

たとえばさっき申し上げたように返還問題に関してはたくさん本が出ていたわけですが,ひとつには圧倒的な関心は経済にあったということでしょう。アジアNIESの一角でしたので,香港経済がこれからどうなるのかがアジアの将来に関わるという観点からのものが多かったということですよね。あとはかなりセンセーショナルな,香港がこれで終わっちゃうとかなくなっちゃうとか,あるいは中国に飲み込まれるとか,そういった比較的単純な議論のものが中心で,頼れる香港政治の教科書とか,そういったものは存在しませんでしたね。たとえば日本語の情報に限りますと,「香港の歴史」っていうタイトルの本一冊ないわけです。日本の地域研究というのは結構いろいろと密にやっていますので,たとえば上海史ですとか天津史といった本は出てくるんです。要するに中国研究の一環としてやっているためにそこを見ている人がたくさんいて,そういう本ができるということなんですけれども,香港に関してはやはり中国研究者の関心から半分はみ出していると。他方で香港のみを研究する人っていうのは,いたけれども限られているということで,基本的な文献があまりない。私が卒業論文を書くときは,当時は曙橋にあったアジ研に随分お世話になりました。閉架の本を出していただいて,学生ですからページを厳選して1枚50円のコピーを取ってきて,それを紡いでいくっていう作業が必要でした。これはやはり香港研究の難しさですよね。

あとは香港とは一体なんなのかというのが非常に難しいということです。要するに国家ではないわけです。したがって一国の政治,あるいは一国のなんらかの完結したストーリーとしてはなかなか書きにくい。条件があまりにも違いすぎてよそと比較するのもそう簡単じゃない。他方で単純に地方の政治ともいいにくいわけですね。非常に自立性があって,特に社会という面に関していえばやはり中国大陸とはまったく別個の社会と経済が存在していて,国家並みの権限を与えられている部分もいろいろあるわけで,よそと比較する情報という意味でもなかなか使えるツールが限られてくるところはあったと思います。その辺はどうしても難しいですけれども,この難しさは裏を返せばそのまま楽しさになるといいましょうか。情報収集そのものが非常にやりがいがあります。

ちょうど私が研究を始めたタイミングというのはインターネットが使えるようになってきた時期でした。たとえば香港の新聞ですとか,そういった媒体はネット化されるのが非常に早かったですね。オンラインで東京にいながらにして毎日無料で最新の情報を見られるという,そういった環境がちょうどうまいことできたのはラッキーでした。あとは香港政府の情報公開ですね。これも非常に素晴らしくて,統計であったり,さまざまな政策文書であったり,あるいは議会の議事録ですとか,そういったものもオンラインでどんどんアクセスできるようになって公開が進んでいきました。そういう意味では香港研究をするための資料がネットによって相当アクセスしやすくなったというラッキーなタイミングでしたので,その点では未開の分野をどんどん耕していけるという優位性があったんじゃないかなという気はしますね。

私は毎日香港の新聞をオンラインで読むことを日課にしていますが,これは面白いですよ,本当に。香港はもともと情報基地ですよね。昔からいわゆる香港情報っていう言葉があって,中国大陸からきたうそか真かわからないような情報をそのまま活字にして流しちゃう世界です。フェイクに引っ掛からないようにしなくちゃいけないっていうのはもちろんそうなんですが,他方でゴシップ的なものも含めて本当に笑っちゃうような面白いものを含めた情報がいっぱいあって見ているだけで楽しい。これが私にとっては一番の楽しさかもしれませんね。

澤田 なるほど。地域研究をやる人は,現地の新聞を読むのが当たり前といいますが,毎日というのはなかなか大変かと思います。けれども,先生はそこを楽しくこなしておられるのですね。

今,中国の一地方研究とちょっと違うところがあるというお話でしたが,先生の場合は中国という大国と香港という地域の関係にも着目して,ただの香港研究で終わらない面をもおもちだと思います。でも世間の関心は大事件が起きたときだけ。そういったなかでどのように香港を研究する意味を打ち出すのか。そこが悩まれるところかな,と思います。大国の場合,なぜそれを研究するかということはまず聞かれない。でも小さい地域の場合はなぜ研究するのですか,という質問が必ず出てくる。そういったときに先生はどのようにお答えになりますか。

澤田ゆかり氏

倉田 私もこれを問われ続けて20年以上になります。修士課程1年目の学生だったときには,中国研究をしているある先生の授業に出て自己紹介をして,香港の政治に関心があるというようなことを言いましたら,その先生から直接「あなたの今年の目標は香港から離れることです」と言われた経験もあります。これはある種,愛情なんです。要するに小さい場所を研究してそこだけに閉じこもっていると,まず興味関心のマーケットが少ないですし,あとは視野が狭くなってしまうっていう問題もあるでしょうから,より幅広く目を開きなさいというお勧めだったと思います。もっと単純にストレートに中国が大きいんだから中国をやれっていう方もいらっしゃいますけれども,いずれにしても香港研究の場合,そこはちゃんと言わなくちゃいけないというのはあるわけです。

香港というのは非常にありがたい場所で,外と非常に密につながっています。これに関しては濱下武志先生が書かれた香港の後背地の議論があるわけですね[濱下 1996]。香港が中心にあってアジア全体をネットワークとしてつないでいると。したがって北東アジアから東南アジアにかけての広い範囲がすべて,ある種香港の後背地であるという議論を展開されていて,これは香港でも非常によく引用される研究のご成果ですけれども,これはそのとおりなんです。香港を研究するということは,香港につながっている世界を見ることに同時になってきますので,そういった意味では香港研究から世界に向かって提案できることがあるだろうっていうことがひとつのお答えですね。

ただ,現在の状況を鑑みると,香港研究が一番自分たちの提案をすべき先というのは中国研究だと思うんですね。もちろん香港研究は中国研究の一部であるということを私は否定しませんが,中国の政治経済に関していえば,かなり香港で起きていることをなぞっている部分もあるだろうと感じるわけです。たとえば今,新型肺炎問題っていうのが出てきていますけれども,香港は2003年にSARSというものを経験しました。これは非常に大きな政治問題になったわけです。今日の時点(2020年2月8日)では中国も封鎖されているような状況になっていて,これからどのように動くかわかりませんけれど(注1),情報隠蔽に対する市民の不満といったものもあるという報道がいっぱい出てきていますよね。そういったなかで,たとえばマンションの窓を開けて「武漢,頑張れ」と叫んでいる人がいる。まだ確証はありませんが,これは香港で昨年デモが起きたときにデモを支持する人たちが夜の10時にマンションの窓を開けて外に向かって「香港,頑張れ」と叫びましょうといった行動をなぞっているように見えるわけです。あるいは昨日,李文亮さんという最初に告発をした医師が亡くなりました。彼の名誉を回復せよという意見が出ていて,これを当局が一生懸命火消しをしている状況ですが,そのなかに李文亮さんの名誉回復などを「5つの要求」というかたちで出しているというネットの書き込みがあります。これは明らかに香港のデモの影響を受けていますよね。このように中国の社会や経済の変化を少し先取りしてやっている実験地という意味合いが香港という場所にはありますので,やはり香港を見ないことには中国の将来も見えないのではないかと,そのぐらいの傲慢な言い方をしても関心を引きたいというふうに思っています。

地域研究とディシプリン

澤田 自分の専門地域に閉じこもるのではなく,その地域が世界ともつ関係性,それから大国の陰にいるように見える場合は,その大国に対しての提言など,いろいろなかたちで意義を見いだせるという非常に心強いお言葉でした。もうひとつ特定の地域を研究している場合,ディシプリンとのバランスというのもよく問われることだと思います。先生の場合は政治学,あるいは国際関係論ですが,地域性と政治学の理論のあいだでバランスを取るなどなにか気をつけておられることはありますでしょうか。たとえば政治学の枠組みの使い方などで普段お考えになっていることがあれば教えてください。

倉田 私は今,法学部政治学科所属ですので,政治学の端くれとして認めていただいているわけですけれど,地域研究と政治学というのは重なる部分はあるにしても,地域研究の主たる目的は基本的にその地域の状況を説明することにあって,政治学のほうはもっと広い意味での政治とはなにかという関心に応えるところにあると思います。そういった目的の主たる意味での違いっていうのは確かにあるとは思うんです。香港の政治について説明するということになれば,どちらから切り込んでも当然アプローチはできるわけですよね。当然ながら政治を見るうえで政治学というのは香港研究よりもはるかに蓄積のある学問ですし,それこそ古代ギリシャからつながる脈々とした歴史があって,そこに積み重なっているディシプリンというものに十分な敬意を払う必要があるというのは間違いないですよね。特に香港の政治に関しては民主化論ですとか,あるいは政治過程論といいますか,そういった研究というのは非常に参考になるものがあると考えています。他方で,実は政治学は地域研究と比較的,親和性があると思っているんですけれども,政治現象というのはインプットが本当に多いわけですよね。自然環境からの環境変化といったようなインプットもあれば,一方で個人の生活とかそういった部分に関わる部分もあって,ミクロ,マクロのさまざまな状況というのが政治を左右する条件になる。そのなかで特に人の価値観ですとか文化ですね。こういったレベルのものというのはなかなか普遍的に政治を見るディシプリンでは追いかけきれないところがあると思うんですけれども,非常に大きな影響は与えると思うんですね。

たとえば去年の逃亡犯条例のデモですけれども,同じようなデモが日本で起きるかという議論になると,まず考えにくいということになりますけれど,これはいろんな角度から説明ができるわけです。やはり非常に重要な一要素は,私は香港の伝統と文化っていう部分だと思っているんですね。たとえばこれはある雑文でちょっと書いたんですけれども,デモが起きると町中がスローガンで落書きだらけになったりするわけですよ。きれいで整然とした東京という都市に住んでいる日本人なら,落書きひとつ見るだけで不安になるわけです。ところが香港というところはもう頭の上に看板がにょきにょき出てきて,町中に文字情報があふれているし,閉まっている店のシャッターには平気でポスターがべたべた貼られていくわけですよね。ですから落書きはその延長線上に存在している。そういったことはある種,香港の人々の主張する文化といいますか,これはひとつの例ですけれども,こういうようなかたちでやっぱり地域の特性というものをなんらかの条件として組み込まないことには政治現象を正しく説明することもできないだろうということですね。地域研究はそういった点では非常に貢献ができるというふうに思っていますね。

チームでやるか個人でやるか

澤田 文化から自然環境まで網羅して,それをひとつの地域を焦点にして像を結ぶというのは非常に魅力的ではあるのですが,逆にいうとmultidisciplinaryな知識が求められるので一人でやるのは大変そうといった気持ちも出てまいります。たとえば先生の場合,あくまで個人ができるだけ努力して多面的にアプローチするのか,あるいはチームを組んでひとつの香港像を築き上げようとするのか。こういったチームでやるか個人でやるかという点について,なにかお考えはございますか。

倉田 私もどちらかというとずっと一匹狼でやってきた人間でして,ほんの数年前まではほぼ独力でやってきたというような感覚が強いです。しかし最近,さまざまな分野の人々と,特に同じ香港を見ているさまざまな人文科学・社会科学の分野の人々と協力をすることのうれしさ,楽しさというものがだいぶわかってきたという感じがしますね。おっしゃったように歴史や文化などは私自身の本来の専門ではないわけです。当然,地域研究をやる以上は歴史や文化などについても興味関心をもって見る必要があります。香港映画を見たり,あるいは香港の歌を聴いたりということもある種,研究の一環だとは思っています。しかし,それらを専門的に本当に深く理解しようとすると,これはもう私の手に負えない部分が当然大きいわけですね。

そういったときに,幸いにして日本にはそれらを専門にされている方がかなりおられるんです。香港研究というサークル自体はあまり形成されてきませんでしたが,ありがたいことに日本は隣に中国があって中国研究の関心というのは非常に大きく,蓄積もあります。その中国研究の一環というかたちで,香港も関心の対象にされている方が活躍をされています。あるいは東南アジアの研究者,華僑,華人といったことですね。こちらを研究されている方のなかにも相当程度,香港とのつながりのある方がいらっしゃいます。これらは十分に蓄積があって,これを香港研究というかたちで新しく括り直す,まとめ直すということをするとかなりのパワーになるというふうに思っています。

現在,歴史ですとか文化,あるいは法律といったさまざまな分野の専門家と一緒に科研費のプロジェクトを始めさせていただいています。そしてここにいる長峯さんも以前来てくださっていた香港史研究会も続けています。いろいろな方と交流をしますとやはりヒントをいただけることは多いですよね。文科系の論文というのは連名でたくさんの人が書くっていう習慣はあまりないですよね。そこは理系とはだいぶ違います。ですから最終的に執筆するのは私自身の個人の責任で,やっぱり自分の文体もありますし,こだわりもありますのでそれは自分でやりたいわけです。複数の人が書いたものを一冊の本にまとめるとか,ひとつのシンポジウムなどで報告をするということをしますと,やはりそこから見えてくることも多いだろうっていうふうにも思いますね。

澤田 個人の優位性として,チームよりも文体などの統一性がとれるというところを今,挙げていただきましたけど,ほかになにか個人でやるとここがいいという点はございますか。

倉田 いい悪いというよりも,私はやはり根本的には研究は個人でやるものだと思います。それはもう研究者一人ひとりに自分なりの目があって脳みそがあるわけですので,そこから出てくるものを書くうえでは自分の責任で,自分の名前で出すべきだと思います。チーム研究はもちろんしますけれど,お互いにものの考え方までをひとつの枠組みにはめるようなやり方はよくないと思っているんですね。ですから私のチーム研究は,比較的雑多な集団に見えるかもしれません。たとえば『香港――中国と向き合う自由都市――』[倉田徹・張彧暋著 2015]という本が岩波書店から出ましたが,私が書いた章と共著者が書いた章では文体が相当違います。読者から文句もいわれるんですけれども,でもそこはそういうものだろうと思います。お互いに思想を統一するっていう発想はもたないほうがいいと。これはある意味,香港的ですよね。上からのイデオロギーや権力で人々を統一するっていう発想は少なくとも香港研究は取る必要はない。研究対象自身が非常に多様な社会ですから。多様性の一角をなしているっていうような判断で自分が自分の個性を発揮すればいいんだと思いますね。

現地の研究者との関係

澤田 日本の中国研究や東南アジアの研究のなかに,実は見えない香港研究が隠れていて,それを可視化するというプロセスは非常に面白いと思いました。意外に多様な面で地域研究には可能性があると思いました。もうひとつ,チーム研究の延長でいいますと,現地の研究者との協力関係や,あるいはライバル関係というのもあるかと思うんですね。特に香港の場合は英語で発信できますから,現地の研究者が日本の方と協力して世界に訴える必要がない,といえばないわけですよね。日本の研究者も彼らの研究を追いかける以上のなにができるのかといった,現地の研究者との関係性から先生の研究のアプローチを教えてください。

倉田 まず,香港の香港研究というのはかなり苦しい環境にあるという現状があります。皆さんが想像されるのは政治的な規制といったようなことですけれども,それは現状ではまださほど深刻だとは思っていません。研究者の研究の自由にまで政治が深く踏み込んでいるかというと,そうではないと思います。もっと大きな問題は,やはりグローバルなディシプリンに国際化でもってつなげていかなくちゃいけないっていう,その桎梏があまりにも大きいということですね。香港政府の方針もありますが,香港の大学は英語で教育を行うこと,あるいは英語で研究を行うことを強みにしています。国際的な大学ランキングで有利に働くわけですね。どの大学も上へ上へということを目指しまして政府も圧力をかけてきます。そうなりますと,論文を英語で書いて国際的に著名な雑誌に論文を出せる人が学者として高く評価をされるわけですが,これは先天的に香港研究には不利なんですよね。というのは,先ほどのお話のように香港は小さな地域ですので,国際的な関心を世界規模で集めるような機会はどうしても少ないわけです。やはり圧倒的に中国研究,アメリカ研究,国際政治というような,空中戦といったら悪いんですけれど,大きいところをつかむような研究をしないと評価されない。評価されないということは,日本よりも厳しい社会ですから,研究者は解雇されてしまうわけです。そういったような状況のなかでは,香港研究をやろう思ってもなかなかできないっていうところがあるんですね。

今,香港はこういう状況ですので,政治的にも経済的にも非常に複雑になって,みんなが香港のことをなんとかしたいと考えているような状況にあるわけですから,本当は香港研究をしたい人は香港ではものすごくいるわけです。その願望をかなえることが香港にいるかぎりはなかなかできないということですね。

それでも最近,志の高い人たちが動きを見せています。たとえば香港教育大学のなかに香港研究学院という組織ができましたし,あるいは香港研究の学会であるSociety for Hong Kong Studiesといった組織も雨傘運動の後にできました。香港研究をやりたい人はたくさんいるわけですが,しかし結局のところそこに集まってきている若い人たちも香港の競争のなかでポストを得るためにはどうしても英語圏のテーストに合わせたことをやるしかないというところがあるでしょうね。私もそのSociety for Hong Kong Studiesの第1回目の会議に2018年の1月に行ったんですね。そこで若い香港政治の研究者の報告があって,その内容は非常に緻密に香港のある政党の内部の動きについて実証的な研究を行った成果でした。そこに香港出身でアメリカで人類学を研究されているヘレン・シウさんがいらしたんですが,彼女があまりにも研究が小さすぎる(too micro)とおっしゃったんですね。要するに,香港のなかのさらに一政党のさらに内部のことをちゃんと緻密に研究しないとディシプリンとして認められないからそういう研究にならざるを得ないのですが,その研究が世界中の人々に共有される財産になるのか,これを読み解ける人っていうのは本当に限られるのではないかということです。そういった意味では,日本にとってはそこがひとつの方向性だと思っているんですね。香港の人たちが本当はやりたくてもできないような,「香港とはなにか」あるいは「香港の政治とかなにか」といった多少大きめのテーマに,幾分そのディシプリンから解放されたかたちで論文を書くといったことです。そういったことは逆に香港ではできません。ですから私は日本の香港研究はそういった意味では少し大きいことをやったらいいと思います。そのほうが当然,日本国内あるいは世界においても影響力が出るだろうと。

香港研究学院の呂大楽(ルイ・タイロク)先生が日本の香港研究を評価しておっしゃったのは,とにかくディシプリンから自由な部分があって,それが非常に面白いということでした。濱下先生の議論をそのときも引かれましたけれども,特定の枠に必ずしもはまっていないというのが日本の香港研究の優位性だとおっしゃるわけです。香港の私の友人たちは皆,そういったものが外から来るのを待っています。日本は幸いにして香港とそもそも関係が非常に深い場所であって,たとえば日本の文化や社会や経済というのが,香港の一部をなしている部分もあるわけです。ですから日本人が香港を研究するっていうこと自体を,彼らは本当に歓迎してくれます。変な言い方ですが,今いったようにすみ分けがあるのでさほどライバル関係という感じはしないですね。彼らは英語圏に発信するグローバルな学術というものを目指せばいいけれども,逆にいうと中国語で本を書いても学者の業績としてはノーカウントですから,地元社会に貢献することを許されていないわけですよね。ですからわれわれはそれこそいいものを書けば,うまくすれば日本はもちろん香港社会にも影響を与え得る,そういった立場にあると思いますね。

先日,逃亡犯条例問題に関して『香港危機の深層――「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえ――』[倉田徹,倉田明子編 2019]という本を緊急出版というかたちで出しましたが,ひょっとしたらあのような内容の本も香港ではめったに見られないものかもしれません。翻訳して出す価値があるんじゃないかなというふうにも思っていますね。

香港研究と日本,イギリス,アメリカ

澤田 非常に面白い論点をいくつも出していただきました。ところで日本の文化や社会が香港の文化や社会の一部になっているという点は,日本の一般読者にはわかりづらいと思うのでちょっと追加で解説していただけますか。

倉田 たとえば香港の人々が一番見ているアニメは今でも日本のものだったりします。あるいはもう少し上の世代ですと,日本の歌を聞いて育った人たちがたくさんいます。先日,西城秀樹さんが亡くなりましたが,これは香港の新聞で一面トップの扱いでした。あるいはドラえもんはもう香港の人々にとって自分たちの記憶,集団の記憶であって,香港人がみんなで歌える歌となるとドラえもんの歌だったりします。そのくらい日本の文化や社会のことをよく知っている人たちですから,その価値観の影響を受けていることはもちろんあります。それが結構,政治運動にも直接関わったりしていますね。たとえば雨傘運動のときには『進撃の巨人』という日本の漫画が非常に象徴的に使われました。壁を越えて巨人がやってくるという話が,香港に中国という巨人が入ってくるストーリーに非常に近いという読み解きを彼らはしたわけです。あるいは彼らは常に日本で起きている政治や社会の現象というのをウォッチしていて,そこから参考になることを吸収しようとしたり,あるいは逆に反面教師にすることもありますけれど,そういうようなかたちでお互いに影響を与えあっているってことは当然あるわけですね。

それに加えて,そもそも香港の歴史のなかに日本人というのが常にいるんです。これは香港自体が非常にオープンな場所であって,世界の資本や人を引きつけているからで,現に今でも2万人以上の日本人が香港で暮らしています。たとえば香港で選挙をやるとなりますと日本人でも永住権をもっている人には投票権がありますから,香港政府の選挙のウェブサイトには日本語で投票方法の解説が載っていたりします。このように日本コミュニティ自体にそれなりの存在感がありますし,企業に至ってはおそらく会社の数でいうとアメリカと一,二を争うぐらいの規模はありますよね。ですから日本自体が香港に与えているインパクトというのは,おそらく一般的な日本人が想像するよりもずっと大きいと思います。ですから日本人が見る香港というのを彼らも非常に注目していますし,逆に香港のなかの日本もある意味,香港にとってのひとつのアクターとして数えられているってことですよね。そこら辺を研究するうえでは日本人の役割は大きいです。日本語の資料を読める人にはそれなりに需要があると思いますね。

澤田 なるほど。もう1点,先ほどのお話に関連してアカデミズムというか,学術研究界がグローバル化しすぎてしまうと,逆にその枠のなかにはめられてしまって研究の型が決まってしまうというお話がありました。そうすると政治運動や社会活動をする者と研究する者はある程度分離せざるを得ないのかなと少し感じました。たとえば香港でなにかをよくしたいと思う気持ちがあると学術面ではあまり評価されなくて,直接行動を起こすほうにいかざるを得ないのかなというのを今,お話を聞いて思ったんですが,日本の場合は両方できますよね。

倉田 そうですね。学者の社会運動への参加とか,そういったことは香港では非常に活発になっていますけれども,あれは本当にボランティアですよね。学者として評価されるためには全然違う仕事をしなくちゃいけないというところはあるでしょうね。日本は確かにそういった意味では両方できるかもしれないですね。

澤田 つまり論文を通じて政治を動かすというような話にはならないわけですね。

倉田 そうですね。とにかく本を書いても学者の業績としてカウントされませんので,英語の論文を学術誌に出さないといけない。それを若いうちに相当数やって,審査を通ってようやく終身雇用の教授職に就けるわけですけれど,そこに至るまでのプロセスで若手は相当消耗していると思いますね。

澤田 日本の影響とアカデミズムというお話と 関連する部分で,イギリスの影響ということを 少しお伺いしたいと思うのですが,たとえば香 港政治の教科書というと,私が香港にいました 1980年代はThe Government and Politics of Hong Kong[Miners 1986]ですね。イギリスの統治という点から書かれていて,これがスタンダードな教科書。しかもポリティクスは一部入っていましたけど,どちらかというと行政学のアプローチでした。アカデミズムを目指す方々はみんなロンドンやらオックスフォードやらケンブリッジに行ってイギリスのディシプリンのなかで研究発表するというのが植民地時代は多かったわけですよね。現在それはグローバル化のなかでどう変わっているんでしょうか。

倉田 やはりアメリカにシフトしているのは間違いないでしょうね。香港大学も3年制から4年制になりましたが,そういったことが象徴するように,グローバルスタンダードを相当程度アメリカが作るようになってきたということが間違いなく影響していると思います。特に人文科学,歴史学などはイギリスの伝統がかなり強いと思いますけれども,私のやっている政治学のような分野はどうしてもアメリカ流の政治学のお作法といいますか,そういったものを身につけることがかなり要求されています。香港でそういう傾向がどんどん強まっているということはいえると思います。ただ,それが香港の研究にとってどこまで相性がいいのかは,私はちょっと疑問なんですけどね。

ビッグデータの活用

澤田 アメリカ,イギリスの役割は,日本でも政治的にも学術的にも大きいけれども,香港でのそれは異質なんだな,と改めて思いました。今,香港研究のそのトレンドのなかで特に方法論の面で先生が注目している動きというのはございますか。

倉田 方法論,難しいな。

澤田 大きな研究の流れのなかで,香港研究で注目すべき潮流,という視点ではどうでしょうか。

倉田 とにかくなかった香港研究が出てきたということは間違いなくいえるでしょうね。最近は香港に関する学術論文はものすごく出てきました。それはやはり雨傘運動を受けてのことなんですけれども,たとえば中国研究や台湾研究の論文と数で単純に比較をしても香港研究の論文というのは人口や面積を考えれば相当出ていると最近いわれています。そのなかでアプローチとしては,やはりインターネットをうまく使うというところを社会運動論の関係のなかで注目をしているところが多いと思いますね。香港はインターネットが非常に自由ですし,かつデータが取れるっていうんですかね,それを使った分析というのがあって非常に面白いですよね。

ただ,実はいわゆる大学の学問の中心とはちょっと違うところでやっている研究がすごく面白いと思っています。たとえば歴史関係でいいますと,イギリスのアーカイブをきちんと見ようという若い人がものすごい数でいます。彼らが作っている本土研究社という組織があって,ほとんど手弁当だと思うんですけれどもロンドンに出向いていって,機密解除されている80年代あたりのアーカイブを丁寧に見て,そこからかなり面白い情報をいっぱいもってくるんですね。たとえば一番最近の話で逃亡犯条例のことでいうと,天安門事件直後から中国からイギリスの香港政庁に対して香港にいる逃亡犯を大陸に引き渡せという圧力がすでにあったということを彼らは見つけてきました。それに対してロンドンが適当に面従腹背でごまかしておけというような指示を香港政府に与えているとか。そういった80年代の歴史というのは今の香港にもうストレートにつながっていますので,そこが非常に丁寧に明らかにされているというのは注目すべき動きです。ただ,在野の歴史家がやっていることではあります。

もうひとつはまったく逆のビッグデータです。こちらは私も機械音痴なのであまりわからないんですが,しかし研究者のやっていることはとても面白いです。たとえばデモにどのぐらいの人数が参加しそうかとか,あるいは選挙の投票率がどのぐらいになりそうかとかいうことをほとんどぴたっと当てる人がいます。彼らは検索ワードとして「デモ」「集会」「ビクトリア公園」あるいは「投票」「選挙」「区議会」とか,そういったワードでどれだけの人が検索をしているか,あるいは議論をしているかということをさまざまなサイトを見て分析し,これからどういう運動になりそうかを予測していくんですね。

たとえば逃亡犯条例のデモが大きくなる過程で彼らが気付いた,面白い事例があります。香港にベイビーキングダムという子育てサイト(注2)がありまして,そこは普段はママが育児に関していろいろと議論しているところですが,そこである時期から逃亡犯条例の話が出始めたらしいんです。こういった現象が起きたことに注目して,これはただ事じゃないということを察知したという人もいました。彼らがやっているような方法論はおそらく香港だけじゃなく世界を知るうえでも大きな意味があると思います。日本にも多分応用が可能でしょう。これは人手と技術が必要な研究ですが,若い人がボランティアでやっているので持続可能性はわかりません。彼らが安定した研究職に就いているわけではないので,収入が続くかどうかといったようなこと,あるいは熱意がどこまで続くかってこともあってなんともいえないんですけれども,少なくともそういうことやる人が出てきていて,やはり相当程度,新しい地平を切り開くような余地ができてきているという感覚はありますね。

澤田 ビッグデータの件ですが,香港中文大学とか香港大学にたくさん社会調査の研究センターがありますよね。ああいったところではなく,ボランティアの方々が組織してやっているんでしょうか。

倉田 香港大学にももちろん社会調査の研究組織はあります。ただ,社会調査とビッグデータはまだぴったりとはつながっていないように思いますね。たとえば社会調査というのは世論調査,インタビューとかアンケートなどが中心のものが,香港には結構蓄積があるんですね。1970~80年代ぐらいでしょうか,最初は劉兆佳(ラウ・シウカイ)先生が始められたと思います。各地の大学に自分たちでサーベイを行って民意を研究する機関がありますけれども,それとネット上のものをたくさん拾ってくるのは,またちょっと違う新しい動きだと思いますね。

澤田 香港大学の民意研究センターの鍾庭耀(ロバート・チョン)先生が自分の組織を作って香港大から離れましたね。あれはなにかあったんでしょうか。

倉田 彼は定年だったと思います。61歳でしたか。

澤田 もうそんなお年ですか。

倉田 それで香港大学を離れるとなって。ただ香港民意研究所という去年設立された組織は立派ですよね。もとは香港大学の一部でした。鍾庭耀先生自身の政治的な立場はいろいろなことがいわれています。非常に民主派寄りすぎて,それで調査が片寄っているかのような言い方はありますが,私はそうじゃないと思っています。彼も研究自体の方法論を公開していますし,非常に中立的に真面目に行われていると思います。無料で日々行われている密な民意調査の結果を公開してくれていますので,私もいつもお世話になっていますね。非常にありがたいです。

澤田 61歳定年はちょっと早いですね。

倉田 そうですね。でも最近,定年前に辞める人も結構います。やはり大学でやれることと大学から出たほうが自由にできることは両方あると思います。定年といっても研究をぴたっとやめるというわけではなくて,どちらかというと人文科学の人であれば言論活動に集中したいということで辞めていく方もおられます。これは香港のひとつの面白いところですが,ある意味で公と私の区別があまりないというか,オフィシャルな権威のある研究機関じゃないと研究はしちゃいかんということはないんですね。やろうと思ったら自分が社長になっていきなり始めちゃうんです。だから香港民意研究所もそうかもしれませんし,あるいは先ほど申しました本土研究社ですが,これもまったくシンクタンクともいえないような民間の機関ですけれども,やろうっていう人がみんなで作って始めたものです。これはあらゆる分野でそうですが,民間と公的セクターの境目みたいなものにこだわらない。権威がなくても面白いことをやる人であれば誰でも受け入れるという風土があります。身分じゃなくて,実績とその個人で見てくれるっていうんですかね。そこら辺はやっぱり香港的だなと思いますね。

澤田 そのフットワークの軽さと離合集散をすぐにできちゃうところはデモにも共通する特徴のような気もいたしますね。そのビッグデータを駆使しているメディア系の代表的な研究者,あるいは研究組織を教えていただけますか。おそらく読者にも大変参考になると思うので。

倉田 香港大学のジャーナリズム・メディア研究センターは,近年の社会運動に関連するネット世論や若者の民意の動きをよく追っていますね。傅景華(フー・キンワー)先生は,しばしば香港メディアで投票行動などの分析を発表していらっしゃいます。

また,先ほどお話ししたビッグデータの分析は,梁元邦(リョン・ユンボン)という人が開発したシステムだそうですが,報道で見たかぎりでは「オーストラリアで働いてから香港に戻ってきたIT関係者」ということです。こういった,必ずしも研究機関に属さない人たちの成果も見る必要があるかもしれません。

情報の収集整理と発信

澤田 ありがとうございます。もうひとつ,情報の収集整理,発信の関連でお伺いします。地域研究は情報が多岐にわたり,まして標準的な教科書がないのでまとめるときに力業にならざるを得ないところもありますよね。またその情報を整理してなにかのかたちにするときもひな型が少ないので大変かと思います。発信するときにもいろいろ難しい問題もあるというところで,先生が特に気をつけていらっしゃる面を教えてください。

倉田 情報の収集と整理に関しては,自分はそんなに得意じゃないと思っているんです。地域研究ですから,ある意味その地域から出てくるあらゆるものが資料になり得るという発想はもっています。まずひとつには,私が一番頼っているのは新聞なんですけれども,新聞記事みたいなものはきちんと読んだうえで,ありがたいことにネットにアップされていますからテキスト保存していつでも引っ張り出せるようにという工夫は普段からしています。あとはそこに日本語で作った簡単なメモとか,そういったものを付けて検索できるようにしていますね。そういえばこんな記事を見たなと思ったときにエクセルで検索をかければ,いつ出ていたかがすぐわかって戻っていけるという,そういったことをやっています。

今はだいぶデータベースが充実してきましたので,ひょっとしたらある程度はカバーできるのかもしれませんが,ただやっぱり自分でその日のうちにその日の新聞を読まないと印象に残らないんですよね。検索をかけるときも,そういえばいつかこんな記事を読んだよなっていうところから始めますので,1回も読んでいないものは検索できない。単純にキーワード検索をかけて,それで過去の新聞をほじくり出しても,その当時一体どういう状況でなにを思ったかというようなところまでは復元できないですよね。ですから収集に関しては,一応毎日,これは結構しんどいんですけれどもある程度の時間をかけて新聞を読むことを日課にしています。

ただ,今はメディアの栄枯盛衰が激しいですよね。紙の新聞に関してはある程度は固まったと思いますが,今はいいネットメディアがいっぱい出てきて,これらを全部追うところまでは残念ながらできていないんですよ。私は機械音痴ですし,ここは若い人にぜひ頑張ってもらいたいところなんです。ネットで出てくるような情報をきちんと整理して自分のものにして使うためにはどうしたらいいか。ここはデジタルネイティブ世代の人に優位性があると思いますので,ぜひ若い人たちに見てもらいたい。特に今回のデモでは,ネット掲示板の連登ですとか,あるいはテレグラムのチャットのやりとりですとか,そういったものが相当役に立っているはずです。

あとは現地に行ったときに取ってくる情報がありますね。私は香港にいてなにもすることがないときは,香港大学図書館の香港コレクションのコーナーに居座っているようにしていますが,あそこはもう宝の山です。香港というテーマであらゆる分野の書籍や資料が蓄積されていますから,もし香港研究をやりたいならまず一度行ってみなくちゃいけない場所です。そういったところで出てくる紙の資料のコピーを取ったり,歴史家なら写真も撮ったりするんでしょうけれども,そういったこともある程度しなくてはいけません。それに加えて私はデモや街頭政治も相当扱っていますから,現場へ行って写真や動画を撮ることも多々あります。

あるいはもらってきたビラを整理するといったことも必要になっていますね。これはスペースも取りますしノウハウもいるわけで結構難しいですね。難しいですけれども,とにかく自分なりにできるだけ頑張ってやるわけですが,それをどうやってかたちにして発信するかっていう問題はもちろんあります。香港研究を発信するときの難しさというのは,やはり基礎知識をある程度読者に共有してもらわないといけないっていうところだと思うんですね。

たとえば香港では昨年は区議会の選挙があって,今年は立法会の選挙があるわけですが,この立法会選挙というのを理解してもらうためには選挙制度の話をしなくちゃいけない。ところがその選挙制度というのがあまりにも複雑です。これをどれだけ一本の論文の紙幅のなかでコンパクトにかつわかりやすく説明をするかっていう,その部分に私はかなり神経を使っているつもりです。できるだけ無駄のない言葉で,かつ日本人にわかるような比喩も交えたりしますが,そうはいってもあまりにも不適切な比喩を使って人をミスリードしないようにうまくバランスを考えなくてはいけません。いい言葉をうまく選ぶ力であったり,校正できちんと読み返す能力が必要だと思いますね。そこは研究者も物書きのようにある程度の文章力が必要です。

澤田 限られた紙幅のなかで,前提になるようなことをどこまで解説するかについては,確かになかなか難しいところはありますよね。もっとも先生は,そこはお得意な分野でいらっしゃるように思いますけど。

倉田 得意,不得意というよりも,もう訓練されているというか,それをやらないと誰も読んでくれないってことを痛感しています。香港の話で,しかもいきなり細かい話を始めますと,まず聞いていても面白くないです,はっきりいって。そうすると最終的には「これは例外的な事例ですからもっと大きいところの話をしましょう」「中国とインドネシアとシンガポールの比較をしましょう」とか,そういうふうに置いておかれてしまいます。そうなると独り言で終わってしまって,結局なんの意味もなさないんですよね。研究者はもちろん研究して自分で理解をすることが非常に重要なわけですけれども,他方でそれが自分の頭の中だけにとどまっているようではいけないので,どうやって人に伝えるかっていうところに関してはやはり神経を使う必要があります。そこができないといかに物知りでも結局,人に影響を与えることはできません。そこで重要なのはやはり同時に日本の社会を知るということです。日本の人々のなかにどういう常識や感覚があるのか,あるいは日本の社会でどういうような問題が議論されているのかをよく知って,そことの比較で書けば,ある程度省略しても感覚が伝わるところがあると思うんですよ。

たとえば全人代常務委員会は香港基本法を解釈します。香港基本法を解釈した結果,基本法に書かれていた選挙制度とは別のやり方をいっぱいくっつけたことが2004年にあったわけです。これを私は中国式解釈改憲という言い方をしました[倉田徹・張彧暋 2015]。日本でも解釈改憲というと安保法の問題のときに随分話題になったわけですけれども,法の解釈をすることによってかなり憲法の実質を変えてしまうという言い方をすれば,多少なりとも日本の政治に関心をもっている人には伝わるかもしれない。あるいは逃亡犯条例の問題に関しても,香港にいる刑事事件の犯罪人を中国大陸に引き渡せるようにするという改正といっても,これが一体どういう問題なのかっていうのはいわゆる「善良な市民」には伝わらないんですよね。結局,刑事事件の裁判を受けた人だけだろうということで終わってしまう。ですから私も多少の勇気はいるんですけれども,香港そのものが逃亡犯の町であるっていうようなたとえをしました[倉田徹 2019]。大陸から逃げてきた人々が作った町だから,さらに踏み込んだ例として脱北者が北朝鮮に戻されたら嫌でしょうという言い方をしたりしました。多少乱暴ではありますが,媒体の性質,あるいは聴衆がどういう人かっていうことによってはたとえを使うっていうのもある程度有効だと思っていますね。

台湾と中国の香港研究

澤田 香港の現地の学者たちとの交流というのは大変よくわかったんですが,たとえば台湾ですとか,あるいはさらに踏み込んで中国大陸の方々との協力や,あるいはライバル関係についても教えてください。

倉田 まず台湾はおそらく全体として香港研究をあまりしてこなかったんだと思いますね。これは台湾自体のプライドがあると思うんですけれど,香港はすでにある意味,中国に飲み込まれてしまったひとつの小さな地方だという認識なんだと思います。台湾としては国家をもっているという感覚があるわけでしょうから,そういうしっかりした体制から見ると参考にするという角度で香港を見ていなかったという部分があると思いますね。一国二制度というものを中国は一生懸命,提唱しているわけですけれど,台湾にしてみればそれはもう受け入れないというのが世論の圧倒的なコンセンサスになっていますので参考にするまでもない。あとは政治家がネガティブキャンペーンのためにネタで使えばいいという,そういった感覚だったのかもしれません。

台湾で中国研究をしている人とお話しても,特に香港を重視しているというふうにはちょっと前までは思わなかったですね。ただ,最近やはり変わってきたと思います。それは特にあの雨傘運動以降ですね。台湾でも同じ2014年にヒマワリ運動があって,かつそのバックグラウンドにあるいわゆる中国の台頭と,それを周縁で受け入れている,あるいは受け止めている場所であるという,そういう共通性みたいなところから香港に対する関心がだいぶ出てきました。昨年の逃亡犯条例の問題では明らかに台湾政治に直接,香港の問題が影響しましたから,そういった意味ではこれからだと思います。ですから逆にいうと日本の香港研究は積極的に台湾と関わっていくと台湾ではかなり重視してもらえると思います。日本・台湾・香港という3つの場所を結ぶような比較研究あるいは協力といったようなものも私にとっての課題なんですけど,やっていければ非常に面白いだろうなと。特に台湾と香港ではインパクトをもち得るだろうなと思います。

他方で大陸の香港研究に関しては非常に憂慮しています。やはり政治的なグリップがあまりにも強すぎるということですね。これはちょっと前に香港の『明報』という新聞(2019年10月6日)に出た記事ですが,中国で香港の情勢をウォッチする香港研究,あるいは香港ウォッチャーというのをどういう人がやるかというと,今あまりにも中国では反腐敗運動が強すぎて,まずその調査研究をする人間が香港に行って腐敗しないかどうかが問題になると。というのは,香港は資本主義の腐りきった場所だという感覚があるわけですね,共産党のピュアなイデオロギーから見れば。ですからイデオロギーが強くなってしまうと香港に対する蔑視や警戒感みたいなものが出てきてしまう。そういった状況で香港研究に回される人というのは絶対腐敗しない人ということになるので,逆に香港とのコネクションのない人や,広東語ができない人が選ばれてしまうという傾向がある。かつ香港で民主派ですとか,あるいは反政府派の若者たちと中国の研究者が交流をするというのは非常にセンシティブですのでなかなかできない。結果的に親政府派,政府寄りの共産党のストーリーに沿ったような情報しか中国大陸で上がっていかないという構造があると。去年のデモ対応で結果的に中国政府があそこまで苦労してしまったのは,おそらくこういったことが原因だと思います。正しい情報を客観的に入れて分析をするということが,中国では香港研究に関しては難しくなっているということですね。

これはもう政治問題ですので,研究者の力でどうこうということではないですね。実際に香港では中国大陸の香港研究のことを香港研究ではなく「香港(=シャンガン)研究」というような言い方をします。北京語の発音で香港(シャンガン)という音に合わせてシャンガン研究といいますけれど,このシャンガン研究と香港の香港研究ですらなかなか交流できないという状況になっています。中国の人は当然,中国語がネイティブで読めるわけですから,本来であれば相当いろいろなことができるはずなんですけれど。とにかく中国に関してはもう政治環境がよくなることを願うしかないですね。

澤田 民主化運動の前でしたら広州のいろんな大学に港澳研究中心(香港マカオ研究センター)などが設けられて広東語を通じた経済研究なんかが盛んに行われたわけですけれども,それはもう今のシャンガン研究とは別のチャネルになってしまったんでしょうか。

倉田 経済の研究はできると思います。ただやはりできる分野は限られていて,私がやっている政治研究のようなものは難しくなっていることは間違いないです。たとえば広東・香港・マカオの経済一体化,つまりビッグベイエリアの話がありますが,これに関するさまざまな研究というのは当然できるでしょう。あるいは法律の分野は比較的活発です。中国政府が「法治」ということを盛んにいっていまして,香港の問題も法に基づいて管理をしたいという視点からくるわけですが,その研究はできるでしょう。ただ,たとえば香港文化の独自性,あるいは歴史の独自性みたいなものを香港の角度からやるとか,あるいはまして政治の話を正面からするというのは,今はちょっと難しいと思います。

澤田 かつては香港の経済というのは中国にとって非常に重要だったので,広州の港澳(ガンアオ=香港とマカオ)系の研究所というのが活発だったんですけれど,今は深圳が台頭し,中国自身の経済が香港を圧倒するようになると,経済的なモデルとして香港にはあまり研究者の関心が向いてないような気もするんですね。特にグローバル化のなかで中国でも経済研究をやっている方々は,やっぱり英語で出すということが重要視されますのでアメリカに目が向く。そうすると,せっかくあれだけの人材がいながら研究面でいまひとつ交流しづらいというような感じなんでしょうか。

倉田 もったいないですよね。もちろん香港をモデルとした中国の近代化というストーリーはもうないといっていいと思います。香港資本が中国経済をけん引するというのは,これはもう80~90年代までの昔話です。ただ,私が中国は香港のことを真剣に研究するべきではないかと思うのは,やはり状況を先取りしているという点においてですね。特にこれは澤田先生が非常にご関心をもたれている少子高齢化の問題,あるいは若者のこれからの時代の上昇機会の問題,こういったことは香港ではある意味ハンドリングを間違ったことが相当程度,社会運動の原因になっていると思いますけれど,これから中国も間違いなくそういった問題に直面するわけですね。今の人口構造を見ていれば。

したがって香港はむしろ中国の時代を先取り しているという意味で,20~30年後を見据えて,中国社会がある意味クライシスを迎えないようにするために香港で起きていることの問題をちゃんと見ておくという,本当はそういう研究を中国にしてほしいと思っています。

香港研究を取り巻く環境の変化

澤田 ありがとうございました。さて,本日はかつて私のゼミで香港を研究し,今はアジア経済研究所研究企画部に在籍の長峯ゆりかさんがおられるので,せっかくの機会ですからいくつか先生に質問していただきましょう。

長峯 私自身が学生のとき,雨傘運動に象徴されるような,いよいよ香港の政治が動き出すというときに香港で論文を書いてみたいと思って香港研究を志したわけです。自分が論文を書くときに先行研究をずっと見ていくと,やはり今日のお話にもありましたが,香港の現状とか香港研究の蓄積と,かつて日本の研究者が見ておられて関心をもった出発点とかきっかけとか,そういった部分は全然違うなと感じたんですね。香港研究を志す人っていうのは今後増えていくのかなと漠然と直感的には思うんですけれども,倉田先生は研究者を育てていく立場にもいらっしゃると思うので,教育現場にいらっしゃるなかで先生が見た周りの学生さんたちの関心ですとか,その関心のもち方の変化とか,そういった部分を教えていただけたらと思います。

倉田 私も全体像を把握しているわけではありませんけれど,少なくとも最近,特に雨傘運動の後,香港の政治というものが研究に値するかもしれないと思う人が出てきたことは間違いなく感じています。長峯さんご自身もそのお一人だったと思うんですけれど,私がやっている研究会にちょっと来てみようとか,研究で大学院の修士課程まで進んでみようとか,そういった人も出てきてはいますよね。ただ,それが本当にプロの香港研究者というかたちで,たとえば大学や研究機関で働くというような人が出ているかといえば,それはまだ先の話ですね。あくまでここ数年の話で,少なくとも印象としてもっているのは,若い大学院生が入ってくるというところまでです。逆にいうと,もうすでにプロの研究者が新たに香港の研究を始めて,香港に関して論文を書いたりといったことを活発にやっているというところまではあまり感じないですね。やはり中国研究をしている人にとってはかなり参入障壁があると思います。香港はまったく違う政治システムで動いていて,経済システムも違いますし,中国を見ていたからといっていきなり香港研究もというふうにはなかなかならないっていうんですかね。心理的な障壁もあるかもしれません。そういった意味では若い人が出てきたというのは非常に喜ばしいことです。彼らのなかから将来的に香港研究をやっていく人が出てくればいいなと思っていますね。

というのは,私自身,昔ある口の悪いお友達の先生から最後の香港研究者っていわれたことがあるんですね。もう私が死んじゃったら絶滅ということです。10年はたってないかな,ちょっと前の話ですけど,雨傘運動の前っていうのはそういう状況だったんですね。香港は中国に飲み込まれる,映画に関しても香港映画っていうのはもうなくて中国映画の一部だっていうようなことをジャッキー・チェンがいって問題になりましたよね。そういうことが当たり前のようにいわれていたわけです。仮に中国の一部であってもそれは構わないんですが,いずれにせよ香港自体を研究するというのは多分,続いていくのかなと,そういう意味ではある程度楽観できる状況まできているというふうには思いますよね。

長峯 かつての香港研究は,いずれも中国が主というか,中国大陸が主語になるようなイメージだったのが,私が院生だったときから,どんどん香港が主語になりつつあるというか。香港を見ている人たち,あるいは香港で論文を書こうとしている人たちのとらえ方が変わってきたのかなという印象をもったんです。

長峯ゆりか氏

倉田 それは本当に面白い点ですよね。ただ,中国が主語になる香港研究っていうのも逆にいうと比較的新しいんですよ。返還以前はむしろ香港をひとつの完結した存在として見るというほうがむしろ香港研究じゃないですかね。あるいは,少なくともアジアやイギリスとか国際社会とのつながりのなかでの香港でしょうね。というのは結局のところ主権が中国にいったわけですので,主権の主の字が示すように,特に政治に関しては主体的な決定権を握っているのが中国だという状況ができたわけですから,ある意味客観的に物事を書けば当然中国が主語になるものはどんどん増えるわけです。民主化に関する制度を決めるのは中国である,法律を解釈するのは中国であるということですので,それは当然といえば当然です。以前はむしろ逆に香港自体を論じるしかなかったわけですね。中国で香港のことを決められた時代じゃなかったわけです,植民地時代は。そういった意味では確かに変わってきています。

ただ,香港に対して一般の関心がもっとも向いたのはいつかっていうと,やっぱりそれは返還前ですよ。特に映画が好きな人が多いわけですよね,圧倒的に。カンフーでも,あるいは刑事物でも,ああいったものを中心に香港ファンになった人々の層というのがあるわけでして,これと今の若い人たちっていうのはやっぱり全然関心が違いますね。香港の文化が好きだっていう人は,今の若い世代にはそんなにたくさんはいないのかもしれません。ですから地域研究の入り口として政治問題から入っていくのはもちろんいいですが,香港の政治を理解しようということであれば文化ですとか歴史とか,当然そういったことに対する関心もある程度もってほしいですね。あとは現在のことを知るために,ダイナミックに物事を書いている古い研究にもちゃんと注目してほしいと思います。

澤田 広東語の壁については,どのぐらい高いと思われますか。

倉田 これはそう低くはないでしょうね。とい うのは,たとえば基本的には文語体になっている文章はいわゆる中国語ということになりますので,発音しないかぎり北京語でも広東語でも同じということもできます。これはもう単語の使い方の癖が多少違うとかその程度の問題かもしれません。ですからオフィシャルな文章とか,あるいは新聞にしても固めの新聞であればある程度読めると思います。ところがインターネット上で行われているような議論ですとか,あるいは町中に貼り出されるさまざまな広告のポスターとか,そういったものは広東語の口語をそのまま文字にしたものが非常に多いです。たとえば私の妻は香港に3年間住みましたけれども,最初は北京語しかできない状態でした。香港に行ってなにがストレスだったかというと,地下鉄の駅に貼り出してある広告ポスターの広東語が読めなくてつまらなかったと言っていました。もちろんある程度北京語の訓練を受けていた人間が,何年か住んで広東語も学べばわかるようになるわけですけれども,いきなり入っていこうとすると意外に壁はあります。音声情報も聞き取れませんから,香港研究をやるということになれば広東語はやったほうがいいですね。それは間違いなくそう思います。

澤田 先生はどのようにして広東語をマスターされたんですか。

倉田 私はある意味ラッキーだったと思うんで すけれど,私が聴き始めた1990年代のNHKの中国語講座のラジオは,基礎編の月~木は北京語だったんですが,金~土は応用編で広東語だったんです。ものすごく応用しすぎだと思うんですけれど(笑)。先ほど申し上げたように中学生のころから中国語を勉強しましたので,ラジオも聞いてみようと思って,半分付き合わされて広東語をやったわけですけど,これが難しいんです。とにかく発音が複雑で,かつその表記法が必ずしも中国語のピンインみたいに完全にぴたっと決まっているわけじゃないんですね。オフィシャルのものでも人によって書き方も違う。教材はもちろんありますけれど数が限られていますし,なかなか苦労しました。

最後はとにかく3年間住まわせていただいたっていうのが一番大きいですね。私も最初のうちは地下鉄のアナウンスをやっと聞き取れたと喜んでいたぐらいですけれども,だんだんと自然にできるようになりました。やはり研究者として香港のことを見るならばある程度の留学なり滞在はしたほうがいいでしょうね。

若手研究者へのアドバイス

澤田 現地に行って,現地の言葉をマスターして,現地の方々と交流してというのは本当に地域研究の基本中の基本ですが,それには時間がかかりますから,若手がすぐに成果を出したいと思うとちょっとためらってしまう。ですので,地域研究を志す若手は文化人類学とか歴史学とかあるいは社会学とかの,割と学位を取るのに時間のかかる息の長い分野に片寄ってしまって政治経済のほうではいまひとつ,ましてほかの分野では,地域よりもディシプリン重視に流れていくということを若干危惧しているんです。そういったなかで,たとえば長峯さんのような若手になにかアドバイスいただけるとしたらどのようなことがありますか。

倉田 ひとつには日本では日本語の学術というものがまだ十分な基盤をもっているということがありまして,私もそんなに英語で書いた業績はないんですけれど,それでもどうにか職を得ることができているわけです。もちろん外国語,特に英語がきちんとできたほうがいいわけですが,他方で日本語にはそれなりにマーケットとしての研究の市場もあれば,逆にいうとディシプリンの学術にあまり縛られすぎていないという自由さがまだ残っていると思いますので,地域研究をやっていく余地は世界の状況から見ればまだあるほうだと思っています。そこは大事にしてほしいですね。特に地域研究系の学会が日本には複数ありますよね。たとえば私はアジア政経学会と現代中国学会に参加していますけれども,そういった学会ではかなりの程度,地域研究の研究成果を発表する,あるいはその論文を出版してもらうといったことはできます。また日本語で書いたものでもちゃんと業績として履歴書に書けます。そういった機会は日本で地域研究をやっていくためにはやはり大事にすべきですし,私はむしろ立場的にそれを守る側に回らなくてはいけないわけです。日本社会がその価値を引き続き見いだし続けてくれるように,言い替えるとあまりにも単純な大学ランキングみたいなもので学術を評価するということが広がりすぎないようにしていく必要があるということですね。

澤田 手前みそになりますけれど,『アジア経済』は特定のディシプリンに限定せず,学会に参加していなくても自由に投稿できるというのが大きな特長です。ただ『アジア経済』という名前がついているせいか,あまり政治学やその他のディシプリンの方々からの注目が低いところがあるんですけど,先生は『アジア経済』にご投稿いただいたことはありますか。

倉田 論文というかたちでは投稿したことはないと思いますが,もちろん常にひとつの候補として考えています。アジア政経学会には『アジア研究』があって,アジア経済研究所には『アジア経済』があるわけですけれども,やはり双璧といいますか,地域研究でアジアのことをやる人が論文を書く媒体としてはいずれも非常に価値があると思いますね。

特におっしゃったように『アジア経済』のいいところは,経済はもちろんメインであるにしても単純に経済に限らないところです。先ほど政治というものがかなりさまざまな文化に影響されると申しましたけど,もちろん経済もそうです。香港経済にしても,政治あるいは社会や文化,それから歴史によって規定されてきた香港経済の在り方というのがあるわけで,そういった意味では『アジア経済』がさまざまなディシプリンに敬意を払って,それを評価して論文として掲載をするという,この仕事は非常に大きな貢献だと思いますね。ですからそれをぜひ引き継いでいくような若い人がどんどん出てくるといいと思います。

(注1)  武漢市の封鎖は4月8日に解除。

文献リスト
  • 倉田徹 2019「香港「逃亡犯条例」改正反対デモ——香港の「遺伝子改造」への抵抗——」世界を見る眼(IDEスクエア,https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2019/ISQ201920_030.html
  • 倉田徹・倉田明子 2019『香港危機の深層——「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえ——』東京外国語大学出版会.
  • 倉田徹・張彧暋 2015『香港——中国と向き合う自由都市——』岩波書店.
  • 濱下武志 1996『香港——アジアのネットワーク都市——』筑摩書房.
 
© 2020 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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