アジア経済
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書評
書評:伊藤公二著『グローバル化と中小製造業の選択――ミクロデータから「境界線の企業」を見る――』
京都大学学術出版会 2021年 iii+244ページ
古田 学
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2022 年 63 巻 4 号 p. 86-88

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2000年代に入り,中国の世界貿易機関(WTO)への加盟やアジア地域内での地域貿易協定(RTA)の相次ぐ締結などを背景に,アジア地域における生産,貿易の構図は大きく変容した。それは,日本企業がアジア地域の中心にいた時代の終焉を意味していた。最終財が,中国や東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国から欧米諸国に輸出される構図は,その総額が加速度的に増加しているが,1990年代までも同様であった。しかし,大きな変化があったのは,それらの地域への中間財の供給国である。1990年代までは,その中心にいたのは日本であった。しかし,2000年代以降は韓国,台湾,ASEAN諸国と中間財の供給国が分散しはじめる。これには,それらの国々の技術水準の向上,グローバル化やICT革命による物流・通信の価格低下,製造工程のフラグメンテーション・アウトソーシングの深化などの要因が考えられるであろう。そのことを反映するように,アジア地域内での中間財の貿易の比率は高まり,北米自由貿易協定(NAFTA)や欧州連合(EU)などの他地域よりもその比率は高くなっている。

上述のような状況のもとで,日本企業の立ち位置はどのように変化したのであろうか。アジア地域での中間財の“独占的”な供給国であった時期と比べて,より競争にさらされているのは明らかであろう。ただ,最終財の輸出国である中国の輸出金額は5年で倍になる速度で増加しているということは,それに用いる中間財の輸入も増加しているので,中間財の供給国が分散しているとはいえ,日本企業の成長は続いている可能性もある。これらの疑問に対し,ヒントを与えてくれるのが本書であり,中国およびASEAN諸国からの輸入の増加や,RTAの締結によって日本企業の生産活動にどのような影響を及ぼすかを分析している良著である。また,世界的な貿易自由化期である2000年代においての日本製造業企業の対外的活動の変化についても分析を行っている。そして,本書の大きな特徴として,既存研究では含められることが少ない小規模な事業所も含めて上記の分析を行っていることが挙げられよう。

本書の構成は,以下のようになっている。

  • 序 章 処方箋のための実証研究を目指して

    第1章 東アジアからの輸入と国内企業の競合―中国・ASEAN諸国からの輸入が製造業に及ぼす影響

    第2章 経済連携協定(EPA)は国内企業に何をもたらしたか―EPA締約国からの輸入が製造業に及ぼす影響

    第3章 輸出の自己選択仮説―輸出開始事業所の特徴

    第4章 輸出の学習効果―輸出開始と事業所の成長

    第5章 分業と事業所の輸出―独立本社・複数事業所の設立と輸出開始の関係

    第6章 輸出市場からの撤退―輸出撤退事業所の属性の分析

    第7章 一層の経済のグローバル化に向けて―本書の分析から得られる政策的含意と企業への提言

以下,まず本書の概要を簡略にまとめ,次に本書の意義と若干の疑問点について記述したい。

Ⅰ 本書の概要

序章において,筆者は本書のねらいとして,1990年代から2000年代にかけてのグローバル化が進展した時代において,日本の製造業に属する企業・事業所がどのような影響を受けたかを,近年の国際経済学の潮流である企業の異質性を含む貿易理論モデルを念頭に,定量的に分析・評価することとしている。そして,用いる分析データである『工業統計調査』についても解説し,その特性上,従業者数の少ない小規模事業所について着目できる点を強調している。

第1章では,2000年代に急増した中国,ASEANからの輸入が,日本製造業の企業パフォーマンス(事業所退出確率,従業者数,賃金)にどのような影響を及ぼしたかを考察している。第2章では,第1章と同様の分析フレームワークで,経済連携協定(EPA)締結国,EPA非締結国からの輸入によって,日本製造業が受けた影響について考察を行っている。第3章では,生産性が高い,もしくは規模の大きい企業ほど輸出市場に参入するという異質性を含む理論貿易モデルの「輸出の自己選択」が日本企業でも成立しているかを検討している。輸出を分析期間内に開始した企業と,同期間に輸出を行っていない企業との属性の違いを比較することで検証している。第4章では,輸出開始後に生産性を向上させる「輸出の学習効果」が日本企業でも生じているかを検証している。分析期間内に輸出を開始した企業を処置群,同期間に輸出を行っていない企業を対照群とし,傾向スコアマッチングと呼ばれる手法によって,輸出開始前期間に同様の属性を示す両群の企業間で比較して検証を行っている。第5章では,日本国内での分業が輸出市場への参入を高める効果があるのかを考察している。なお,国内での分業は,工場とは独立した本社・本店や,複数の工場の所有として捉えられている。第4章と同様に傾向スコアマッチング法により,分業を分析期間内に開始した企業が,同期間に分業を行っていない企業に比べて輸出市場への参入確率が高まるかどうかを検証している。第6章では,分析期間中に輸出を開始した企業がどの程度輸出市場から撤退するのか,また,輸出を継続する企業の属性について,サバイバル分析などを用いて分析している。第7章では,第1章から第6章までの分析結果をまとめ,日本の貿易自由化についての評価と政策提言を行っている。

Ⅱ 本書の意義と若干の疑問点

本書の既存研究への貢献としては次の2点が挙げられるであろう。まず,本書の分析期間である2000年代というのは,中国経済の台頭と,地域貿易協定の締結競争により各国の企業の生産活動は少なからず影響を受けた時期である。それらの変革のなかで,日本企業は生産活動をどのように変化させることで対応していったのかを記述している点である。そして,日本製造業の生産活動においては,全企業数のうち実に99.7%を中小企業が占めているが,先行研究では見落とされがちな小規模,零細な企業についても分析に加えている点である。

まず,1つ目の貢献について述べたい。筆者は第1章と第2章の分析結果から,中国からの輸入の増加が事業所の退出を増加させる効果は確認できるが,その効果は限定的であると述べている。そして,ASEAN諸国,EPA締結国からの輸入増による事業所の退出は認められなかったとしている。むしろ,中国,EPA締結国からの輸入増は雇用を増加させるという補完的な関係を見出している。賃金に関しても中国,ASEANからの輸入増加により低下する傾向は見られるが,EPA締結国からの輸入は賃金を上昇させる効果を見出している。これらの結果から,筆者は輸入との競合は存在せず,輸入が国内企業を減少・退出させる効果はなく,むしろ雇用や賃金を引き上げる効果が見られ,補完的な関係が示唆されると結論づけている。この結果は,日本製造業が中国・ASEAN諸国の台頭によりその力を失っているのではなく,共存関係にあることを示すものである。

しかし,この分析結果は中国からの輸入増に対する日本製造業に関する既存研究でも結論が分かれる議論のため,慎重に吟味する必要があると思われる。Hayakawa, Ito,and Urata[2021]では,産業連関表(総務省)や貿易統計(財務省)を用いながら,2000年から2015年において,本書と同様にEPA締結国からの輸入と雇用への補完関係を見出している一方で,中国からの輸入増加は日本製造業の雇用を減少させると結論づけている。対して,Taniguchi[2019]では,1995年から2007年までの都道府県ごとのデータを用い,各地域の製造業雇用者数が,中国からの輸入増に対しどのように影響を受けたかを分析しており,その結果,中国からの輸入増は製造業雇用の増加につながったと本書と同様の結論を得ている。

上述の議論をふまえると,Taniguchi[2019]が産業レベルでの分析であったのに対し,本書は事業所レベルでの分析を行うことで,よりミクロレベルの視点から中国からの輸入増が日本製造業の雇用を増やすことにつながったとする意見を補強していると考えられる。ただ,本書の分析手法への若干の疑念点としては,従業者変化率の決定要因,および従業者1人当たり賃金変化率の決定要因の推計における各国の輸入浸透率の回帰係数の符号が,かなり多くのケースで固定効果モデルと操作変数法を用いた場合で逆転していることが挙げられる。この符号逆転の理由については言及する必要があるだろうし,操作変数が適切ではない可能性も含んでいる。それらの疑問に対しても頑健な結果が示されるのであれば,中国・ASEAN諸国との補完関係を示す結果は素晴らしい発見と言えるであろう。

また,国際産業連関表を用いれば,国際分業の様相をさらに解明できるのではないかと考えられる。具体的には,国際産業連関表より当該産業の投入財の輸入浸透率を計算し,推計に加えれば,最終財においては競争をしている産業においても,中国・ASEANからの輸入,RTA締結国からの中間財輸入においては,補完的な関係がより鮮明になる可能性があるのではなかろうか。フラグメンテーションが進んだ2000年代以降において,中間財貿易の重要性が高まっているので,このような視点も重要であろう。

次に,2つ目の貢献について述べたい。2004年から2010年で,国内のみで事業を行っていた企業のうち3パーセントが輸出を開始しているが,そのうちの4割強が30人以下の小規模の事業所であるとしている。既存研究では,規模の大きさが輸出参入の要因と考えられているが,これは日本企業においては必ずしも従業者数で測られた企業規模が輸出の参入を妨げないということを示唆する発見である。また,輸出を開始した事業所が,その足がかりとして2年以上前から生産性や業績を高める事前の取り組みの発見や,輸出市場に参入後も労働生産性の向上,業績の改善,従業者数の増加といった「輸出の学習効果」を見出している点も興味深い。上記は,日本のような先進国においては,大規模な企業だからといって必ずしも輸出するわけではないことを示しており,既存研究において,大規模な企業は生産性が高いと仮定し,生産性が測れない場合には規模を生産性の代理変数とする場合があったが,それでは大企業ほど生産性の高さから輸出する可能性が高くなるはずである。しかし,その仮定が適当でない可能性を本書は示唆しており,小規模企業も分析に含めることで見えた本書の発見であろう。ただ,少し気がかりなのは,事業所の規模の定義である。小規模な事業所においては,資本集約的な事業所ほど輸出企業に参入するとしている点には留意が必要であろう。極めて高度化された産業(たとえば,半導体製造など)においては,従業者の数は少なくとも資本額がかなり多いケースは存在し,企業規模を労働者数のみで測るのは適切でないかもしれない。そのため,資本額をもとにした企業規模の分析でも同様の結論を見出せるのであれば,日本製造業についてだけでなく,先進国の中小企業の対外活動についての示唆をより得られると考えられ,これからの企業の異質性を想定した国際貿易モデルを想定した実証分析に対する発展を与えるであろう。

以上のように若干の疑問点を提起させてもらったが,2000年代というとくにアジア地域での生産ネットワークにとって,変革の大きかった時期における日本製造業の企業活動を中小企業まで含みながら,多方面から分析した本書が貴重であることに変わりはないであろう。

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© 2022 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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