アジア経済
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
書評
書評:磯貝真澄・磯貝健一編『帝国ロシアとムスリムの法』
2022年 昭和堂 275+xiページ
岩﨑 葉子
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2023 年 64 巻 1 号 p. 27-31

詳細

I

本書は,ソ連崩壊後にウズベキスタンと日本の歴史研究者によって始められた中央アジアにおけるシャリーア法廷文書を収集・研究する一連のプロジェクトから生まれた成果である。編者らはすでに『シャリーアとロシア帝国――近代中央ユーラシアの法と社会―』(臨川書店,2014年)においてその一部を世に問うているが,続編ともいえる本書はいくつかの章に新たな執筆者を迎えつつ,ロシア帝国における「法的多元状況」をキーワードに編まれている(本書ではこれをある地域において複数の法すなわち国家法,慣習法,社会的慣行などさまざまなレベルの規範が存在する状況と定義する)。

いわゆる近代化期に伝統的な法制度を大きく変えた(あるいは変えざるを得なかった)国や地域は少なくない。多くは立法・司法・行政の各方面において西欧法に範をとった枠組みづくりが行われたが,いずれの国・地域でも近代法と伝統法の相克に由来する社会規範の再編など多くの難題に直面し,その克服が試みられてきた。近年の非欧米諸国における近代化プロセスを総括し再考する議論のなかで,legal pluralismなる問題に焦点が当てられてきた所以である。

一方で中央ユーラシアはロシア帝国の統治下からソ連への統合を経て,西欧近代法というよりはロシア固有法,ソ連法の強い影響にさらされてきた特異な地域でもある。しかしこの時期の中央ユーラシアがどのような社会状況下にあったのかを考えることは,同地域における現代の法規範のあり方を読み解くための重要な鍵であることに変わりはない。本書はそのなかでもとくにロシア帝政期に焦点を当て,具体的な事例研究をもって帝国内規範の「多元性」を詳解するものである。さらに本書の問題意識は,2000年代後半に相次いで現れた欧米の帝政期中央アジア史研究や,近年のロシア帝国論における「帝国的権利体制」(国家が各種集団固有の慣習法の使用を一定程度認めたうえで統治する体制)論を応用した中央アジア司法制度研究などから刺激を受けたものであることが,序章に綴られている。

本書の構成は以下のとおりである。

序 章 ロシア・ムスリム・Legal Pluralism――歴史学と法学の対話(磯貝健一)

第1章 中央ユーラシアのムスリムとロシア帝国法――宗務行政と植民地行政(磯貝真澄・塩谷哲史・磯貝健一)

第2章 ロシア帝国的「イスラーム法」の構造――ヴォルガ・ウラル地域のムスリムの婚姻・離婚(磯貝真澄)

第3章 「仲裁」するシャリーア法廷――南東コーカサスにおける裁判の制度と実態(塩野﨑信也)

第4章 二種の判決文――中央アジア・シャリーア法廷の文書作成業務(磯貝健一)

第5章 改革と水利――トルキスタンの水利権法(一九一七年)への道程(塩谷哲史)

第6章 「法多元主義」余聞――帝国ロシアの法秩序における一元性と「多元性」(大江泰一郎)

第7章 南京の英国人――中華民国期の都市不動産と法の多元性(田口宏二朗)

第8章 妻の権利をめぐる人間模様――現代ウズベキスタンの「法」制度と運用(和崎聖日)

Discussion1 実定法学の視点,歴史学の視点――歴史学・人類学と法学との対話は可能か(伊藤知義)

Discussion2 「古き法」と「新しき法」の交錯――財産権・婚姻・裁判にみる相克と調和(宮下修一)

Epilogue シャリーア法廷文書収集・研究プロジェクトの二〇年(堀川徹)

II

以下に,各章の概要を示す。

第1章では,中央ユーラシアのムスリム諸集団が,16世紀から19世紀にかけてロシア帝国の統治下に組み入れられていく歴史的経緯を概観する。集団はそれぞれ独自の歴史をもち異なる地域を生活圏としてきたため,ロシア帝国におけるムスリムを対象とする法制度もそれに応じてかなり複雑な構成であった。ロシア帝国が正教優位のもとでムスリムを含む他宗教・宗派をどのように管理しようとしたかは,「民事法律集」(1832年)や「異国信教宗務法」(1857年)といった法律に基づく帝国の宗務行政の既定方針にみることができる。章後半には,最も遅い時期に帝国に組み込まれたトルキスタン地方における司法制度についての詳細な解説がなされている。

第2章は,19世紀後半から20世紀初頭にかけてのヴォルガ・ウラル地域のムスリムの婚姻・離婚をめぐる法制度を取り上げる。当該地域のムスリム行政機関として設置されたオレンブルグ・ムスリム宗務協議会の管轄下における婚姻・離婚は,おおむねイスラーム法由来の規範に基づいてはいたものの,教区のムスリム聖職者による手続きの義務化や婚姻適齢などイスラーム法にはない規定も盛り込まれた。ロシア帝国の勅令を根拠とする制定法とイスラーム古典法の諸学説に依拠した制定法,宗務協議会による見解・通達やその運用が拠って立つイスラーム古典法など,ムスリムの婚姻・離婚をめぐる諸法は複雑に絡み合っており,「ロシア帝国版のイスラーム法」が成立していた。

第3章はロシア帝政期の南東コーカサス(現アゼルバイジャン)における裁判制度に焦点を当て,そこにおいてシャリーア法廷が与えられていた位置づけを検討する。ロシア帝国以前に同地域で機能していたシャリーア法廷と領主法廷は,帝国の裁判制度改革によって徐々に権限を縮小され,「ザカフカース地方統治規則」(1840年),「ザカフカース地方裁判諸法適用規程」(1866年)を通じロシア中央に準ずる裁判制度が導入された。民事や軽微な刑事事件がシャリーア法廷の管轄となった。ムスリム住民は,この範疇における訴訟をシャリーア法廷と一般裁判所(帝国共通の法を適用)のいずれに持ち込むかを選択することができた。前者の実質的な機能は,和解審査を通じた当事者双方の同意に基づく「仲裁廷」であった。こうした南東コーカサスのシャリーア法廷のあり方は,カーディー(裁判官)の職掌や裁判の審級制においてトルキスタンなどロシア帝政下の他のムスリム地域とは異なっていた。

第4章はロシア帝国に併合されたあとのトルキスタン地方の裁判文書行政を取り上げている。同地域ではロシア帝国法が部分的に導入されロシア法裁判所も域内に設置されたが,シャリーア法廷も存続が認められた。ロシア統治期には,従来のシャリーア法廷が交付・受理した「訴状」「判決文」「ファトワー」に加え,「タズキラ」と呼ばれる審理の途中経過を記録した文書と,すべての判決文や証書を記載する台帳(シャリーア法廷に保管)が導入され,これによって従来は証拠能力をもたなかった証書の公証能力が高まった。また,判決文台帳の構造も詳解され,台帳の一部を切り取った判決文謄本と,カーディーの印が押された紙片状の判決文とがどのような関係にあったのかが検討される。

第5章はストルィピン改革(1906年~)以降に形作られたロシア帝国によるアムダリヤ流域の統一的水資源管理と灌漑開発計画を概観する。ロシア帝国は当初,物流の要となるアムダリヤの水運に大きな関心をもっていたが,二十世紀初頭以降は「土地整理農業総局」などを通じてトルキスタン灌漑開発による原綿供給地創出のための水資源総量調査,土地測量,灌漑事業への現地企業誘致,灌漑地へのロシア人農民の入植などが構想,推進された。流域の保護国であったブハラ,ヒヴァ・ハン両国の政府も,これに乗じて土地査定や遊牧民からの土地収用を行った。しかしその後ブハラ,ヒヴァでは,帝国中央政府の思惑に押される形で新灌漑地やアムダリヤ支流沿岸地域が供出・割譲されていった。

第6章は西欧法における市民社会の成立を前提とする「法律の一般性」を引きながら,ロシア帝国「民法」を通じてロシアにおける一般法(帝国共通法)と特別法(ないしパティキュラリズム)を考察する。筆者によれば,19世紀に編纂された「ロシア帝国法律大全」にみられる「民法」は,あくまでも皇帝と貴族との土地贈与をめぐる非法的関係である。農民や農奴は法の主体ではなく(地主貴族の所有物としての)法の客体にすぎず,その慣習はまさにムスリム社会の慣習と同様に帝国の統治行政に資する限りでの補完的制度と位置づけられる。したがって,「特別法は一般法を破る」とされる西欧法的な発想をここに適用することは不適切である。またソヴィエト時代以降は平等なソヴィエト共和国「市民」概念が成立したことで,もとより帝国各地の慣習法や地方民法,自治法がもっていた身分的・民族的差別化の原理が前提を失い,特別法(ないしパティキュラリズム)の問題自体が消失した。

第7章は中央ユーラシアから離れ,上海などの租界内で土地を期限や賃料を定めずに借り受ける「永祖」と呼ばれる契約スタイルが普及した清朝末期の中国を取り上げる。この権利は免税対象であったために,のちに外国人のみならず華人までもが(外国人との信託契約を結んで)取引に参入する「権柄単」という形式をも生み,国法上には確固たる根拠がないまま,事実上の土地用益権売買慣行として定着した。公法的不動産課税の観点からみて脱法的な「私人間の土地交易秩序」はもとより中国各地にみられたが,国民政府は折からの「治外法権」克服の一環として,悉皆的な土地測量・土地登記キャンペーンを繰り広げた。

第8章は現代ウズベキスタン農村部のある夫婦間に生じた相続および離婚時の財産分与にまつわる一事例を紹介している。ソ連時代以降この地域ではすでにイスラーム法が「慣習」にすぎなくなり,家族法や民法など婚姻と離婚に関わる諸事項を規定する世俗的な国家法が機能してきた。しかし住民の間では自身の権利や主張の法的根拠となる法知識が共有されていないために,「慣習となったイスラーム法」と「世俗的国家法」並びにそれを運用する「世俗的司法・行政制度」の間で訴訟当事者が右往左往する事態が現出する。

以上の8つの章は主として歴史研究者がロシア帝国の法的多元状況を考察するために執筆した部分だが,これらを受けて2名の法律研究者による論評も行われている。このいわば「書中書評」部分は本書のユニークな試みといえる。

Discussion1の評者は,立法と裁判所の法解釈を主たる研究対象とし,何が「通説・判例」であるかに関心のある「実定法学」者よりも,より広く法に関わる諸現象に興味をもつ「基礎法学」者のほうが,本書のような議論をよく受け入れるであろうと推断する。また(本書所収論考のような)歴史学者・人類学者によって書かれた論文内容が法学研究者との間で有意義に議論されるためには,たとえば帝政ロシア法の体系では複数の法規範の各根拠規定と他の法規定との関係をどのように論理構成(判断の正当性の確保)していたか,などの比較法学的な視点が求められると指摘している。

Discussion2の評者は,8つの論考を「財産権」「婚姻」「裁判」のカテゴリーに分け,それぞれの内容を整理したのち「古き法」のもとに形成された制度(インフォーマルなものも含む)が「新しき法」のもたらす枠組みのなかで変容しつつ,その残滓が影響を及ぼしていく社会のあり方に着目する。近代日本における民法制定とその後の修正プロセスにも,長い時間をかけて生成される法秩序の本質をみることができるとし,新旧の法の相克を乗り越え調和を見出すうえで本書のような歴史学・人類学的アプローチに有効性があるとする。

最後に付されたEpilogueでは,本書の基盤をなすシャリーア法廷文書収集・研究プロジェクトの来し方が語られる。ソ連崩壊直後より民間に残された古文書(帝政ロシア時代,ソ連時代を含め連綿と作成が続けられていたシャリーア法廷文書)収集に着手していた筆者が,今世紀に入ってからは地方の博物館所蔵の古文書の実態調査と写真撮影によるデータ収集に焦点を定めて粘り強く研究を継続した経緯が記されている。とりわけ民間の古文書については,外国人が買い上げることによる価格の高騰と将来的な資料の散逸を危惧し,あくまでも現地機関に購入作業を委ねて古文書コレクションの文化財としての公共性を担保しようとした筆者らの苦心が強い印象を残す一文となっている。

III

本書は第一義的に,ペルシア語,チャガタイ・テュルク語,現代の中央アジア諸言語,ロシア語などの史料を扱う訓練を受けた歴史学の研究者による,ロシア帝政期中央ユーラシアの法制度やその運用実態に迫ろうとする歴史研究である。しかしそこで,イスラーム法の用語・概念に適切な翻訳を施し,比較法学的なアプローチからの新たな視点を取り込むべく複数の法律研究者による論考やコメンタリーを加え,これらの歴史研究にさらなる普遍的価値をもたせようと試みている点に本書の真骨頂がある。

本書において,とりわけ有益と思われる議論の要点は以下である。第1は,大江が,たとえば植民地時代を経て独立に至った現代のアジア諸国における法規範を考える際に,「法多元主義」なる概念を安易に援用することの危うさを指摘している点である。大江によれば,「法多元主義」という法の認識方法は本来「法の一元性」を前提にするからこそ意味をもつが,それ自体がローマ法以来の西欧法の根幹をなす歴史的・政治的概念である。「法律の一般性」や「特別法」の存在自体がきわめて西欧法的なものである以上,これをあたかも近代の普遍的原理であるかのように西欧以外の地域の議論に当てはめることは適切でない。そうした立場からみるとき,ロシア帝国政府による国家制定法一元化プロセスのもとで,ムスリムの法は決して西欧法における「特別法」の地位を占め得なかった。また一部の開発研究における「法多元主義」の議論が,当該国における法律の一般性の成否を等閑にし,宗主国に由来する近代法と現地秩序とを並べ置いてことさらに「多元」をいうも,その「多元的」諸要素の相互関係や連関構造については無関心であるようにみえる点などについて苦言が呈されてもいる。

第2は,法律研究者の立場から本書所収の歴史研究をみたとき,そこには「何が足りないように映るのか」を伊藤が具体的に明らかにしている点である。先にもふれたとおり伊藤によれば,多くの法律関係者(研究者,実務家を含む)は立法や法解釈など現実社会における法(の条文)の正しい運用がいかにあるべきかに関心を寄せる実定法学者である。他方に,比較法学や法哲学などより広く法に関わる現象を研究対象とする基礎法学者があるが,いずれの場合であっても西欧近代法の枠組み(すなわち実定法学)に則った思考様式を身に着けている。伊藤自身は必ずしも西欧近代法を絶対視するわけではないとしながらも,これを抜きにして現代の法律研究者がたとえばロシア法や中国法といった「プレ・モダン」の法を考えることは難しいとする。既存の条文をなんらかの事案に適用する際の法解釈の手続きは,伊藤によれば「学問というよりは訓練の要素が強い」。しかしてそれが法の最も重要な機能に関わる作業である。伊藤は本書の諸論考に法解釈的な観点からの言及がもっとあれば,歴史研究者と法律研究者とのより有益な対話が生まれ得るだろうことを示唆する。すなわちロシア法という体系下に複数の法規範を共存させていたこの時期の中央ユーラシアのイスラーム諸地域では,各規範の根拠規定や他法規との関係をどのように整理・運用していたのか,といった点こそが「法的多元状況」を観察するときの法律研究者の関心であるということである。大江の求める「多元的諸要素の相互関係や連関構造」もこれに通ずるものがあろう。

もちろん歴史研究はすべからく史料に拠ってたつものである以上,かりに歴史家が法律家と似通った関心をもっていたとしても,そのための実証性にすぐれた史料が存在しなければ議論は不可能である。また歴史家自身が法的多元状況下における法解釈の技法よりも,制定者の政治的意図に重要な研究上の意義を見出しているかもしれない。また近代法の眼鏡で歴史的実体を眺めること自体が誤謬をはらむという主張もあり得る。磯貝健一は本書の冒頭に「歴史研究者は,法律研究者による論評に応える形で自らの論文を修正したりはしない」ことが,編者らがめざす学際的アプローチの実践におけるひとつのモデルだとしているのは,そうした現実を反映しているといえる。「学際的研究」の必要性や有用性が世に叫ばれて久しいが,本書のごとき具体的事例をみるに人文・社会科学分野におけるそうした企てが決して容易でないことは明らかである。

しかし一方で,それぞれの方法論が本来「何を明らかにすることをめざしているのか」を知れば,個々の研究者が己の学問的射程を大きく拡げられることもまた事実であろう。たとえば磯貝真澄(第2章)がヴォルガ・ウラル地域における帝国の制定法とイスラーム法的実践との間にある階層構造を示唆した一節などは,本プロジェクトのなかで歴史研究者と法律研究者とが共有してきた真摯なインタラクションの賜物であるように思う。「学際的研究」は必ずしも,異なるディシプリンの複数の研究者が共同して1つの成果を生み出すというスタイルのものである必要はない。むしろ,1人の研究者が自身の研究関心の周縁にある異分野の研究者の知見を取り込み議論を深化させることで生み出されるもののほうが,より豊かで,かつ方法論上の裏付けを欠かないのではなかろうか。その意味で本書およびその基となったプロジェクトは,すでに十分に大きな成功をおさめているといえよう。

 
© 2023 日本貿易振興機構アジア経済研究所
feedback
Top