2024 年 65 巻 2 号 p. 98-101
本書は,西アフリカ内陸,特に現ブルキナファソ(旧オート・ヴォルタ)のムフン川湾曲部の近代を,「国家をもたない社会」から検討した歴史人類学的研究である。著者は,古代から20世紀後半までの⾧期的な歴史を丹念に紐解き,西アフリカ内陸の近代を,当該地域の「19世紀にみられる持続と変容が,20世紀初頭以降の植民地統治に由来する変容に合流したもの」(80~81ページ)と述べる。
著者が⾧期的な持続と変化を捉えようとしたのは,西アフリカ史研究において植民地化以降を扱う研究がそれ以前の歴史を十分に論じてこなかったからであるという。植民地化を起点に近代以前とそれ以降の時代を断絶的に捉えるのは,東南アジアをフィールドとする評者も含めて多数の研究者に通底する傾向である。この要因として,植民地化以前の史料がそれ以降と比べて少ないことに加え,多数の研究者が,西欧による植民地化を非西欧社会の近代の始まりと捉え,植民地化以前の変化よりもそれ以降の変化の大きさを重視してきたことなどが挙げられる。
著者によれば,西アフリカ内陸に関する史料,特に植民地化以前の文字史料は希少であり,その上各地に偏在する。史料的制約のなかで著者は,各国の公文書館などで多様な史料を広く渉猟し,それに考古学的研究や現地での聞き取りで得られた口頭伝承を組み合わせ,数千年にわたる西アフリカ内陸の人類史を再構成した。
このような本書の全体を貫くキーワードは,「国家をもたない社会」である。その社会に内在する「国家に抗するシステム」の論理について,著者は下記のように要約する。
(a)権力の集中が生じていない社会的条件のもとでは,軍事力が遍在する。したがって,(b)小さな揉め事が周囲を巻きこんだ戦争になりやすい。(c)こうした戦争は,特定の同盟関係が構成されたり,変容したりする契機となりうる。一方で,(d)軍事力が偏在しているため,覇権を握ろうとする特定の集団が敵対関係の網の目を構成し,相互に覇権の形成を抑制させる。したがって,(e)戦争は一定地域内の集団の細分化を生じさせる(161ページ)。
後述するように,この「国家をもたない社会」の特徴は,評者のフィールドである東南アジアの伝統国家論を彷彿とさせる。それは単純化していうと,近代以前ないしは近世以前の伝統国家が,マンダラや銀河系のように中央の大政体とその引力の強さに規定される無数の小政体から構成され,大政体を率いるカリスマ的権力者が失墜するとその引力が弱まり,小政体への分裂と抗争の激化が生じるといった議論である。
この点について詳述する前に,まずは本書の各部の内容を概観してみたい。
第1部では,新石器時代から19世紀頃まで西アフリカ内陸では,「国家に抗するシステム」をもった定住農耕社会が持続していたことが指摘されている。その要因として著者が挙げるのは,①土地が生産性の低さに比して広大に存在していたことに加え,先住・親族原理によって村落内の地位が固定化されやすく,土地の人口が一定の人数に達すると村外へ人が流出する傾向があったこと,②500人程度の村落が各地に点在していた状況があり,村落間には親族関係や呪物を共有する緩やかな同盟関係しか成立していなかったこと,③村落間抗争が生じると複数の村落間抗争へと度々発展し,村落を越えた規模の強固なヒエラルキーをもった国家の出現が阻まれていたことである。もっともムフン川湾曲部は,16世紀以降,イスラーム国家樹立を目指すジハード運動が各地で勃発し,その最中で生じた戦争によって獲得された奴隷が大西洋貿易の対象となるなど,グローバルな変化の波にさらされ始めた。ジハード運動は各地で生じた王国の形成や王都のモスク建立,その資金源となる奴隷貿易,イスラームの受容との関連のなかで生じた。もっとも,19世紀までムフン川湾曲部では「国家に抗するシステム」が持続し,「国家をもたない社会」と国家は拮抗していた。
第2部では,19世紀末以降の植民地統治の確立とその変容が論じられている。フランスは植民地化以前から存在したローカルな「友」と「敵」の関係を利用しながら,蜂起が起これば鎮圧し,西アフリカ内陸の平定を進めた。その手法は,「友」の関係になった勢力の要請に応じて「敵」である村々を破壊するというものであった。第一次世界大戦以降に植民地統治は完了し,「国家をもたない社会」は消滅した。農村から人頭税を通じて集積された富は,行政機構のヒエラルキーの中心から傾斜配分されることになり,各管区の拠点で経済発展とそれに伴う人口増加がみられた。諸地域で行政の長に任じられた者は人頭税の徴税代行を担って俸給受領の特権を獲得した。特権の獲得が政治闘争の争点となったが,この闘争は行政の長の宗教的帰属をめぐる「友」と「敵」の関係にも反映された。植民地行政は世俗教育の脱宗教を図るも,その教育を受けたムスリムが行政エリートになるのをカトリック宣教団は警戒した。宣教団はこの教育の陣地戦に勝利し,世俗教育と宣教を目的とする学校で学んだカトリック・エリートが増加した。
第3部では第二次世界大戦後のフランス植民地への対応が協議された1944年のブラザヴィル会議以降の政治とイスラームの関係が論じられている。1945年から1960年までのオート・ヴォルタ植民地の独立に至るまでの政党政治が,植民地化以前の国家と「国家をもたない社会」の枠組み,すなわち「友」と「敵」の関係を反映して展開された。すなわち反植民地主義を鮮明にした政党は親植民地勢力を「敵」,反植民地勢力を「友」とみなした。また都市部で1940年代後半から顕在化したイスラーム改革主義運動も,植民地統治以前の19世紀から続くイスラームのネットワークと刷新の動きの延長線上にあった。この改革主義運動は,イスラーム教育や近代世俗教育をおこなう学校の認可と補助金の獲得を主たる目的とした。これは,過去の植民地行政とカトリック宣教団の陣地戦を反映していた。
このように本書は,植民地化以前と以後の「国家をもたない社会」の持続と変化について,実証的方法で史料を厳密に考察した歴史研究であり,人類学と歴史学の架橋に果敢に挑んだ試みでもある。ただし,エヴァンズ=プリチャードやレヴィ=ストロース,マーシャル・サーリンズのような古典的人類学者による歴史への見方とは一定の距離をとる。その見方とは,彼らが文字史料の偏在を本質的な問題とみなしていなかったこと,そして特定の民族ないしは地域に構造が存在していると考えていたことである。例を挙げると,サーリンズは『歴史の島々』において,クック船長のハワイ到来という出来事を例に,地域に「規定的構造」=文化秩序が潜在的に存在し,それが出来事を通じて変化し,また自らを再生産する「遂行的構造」として観察可能になると論じる。
著者が問題視するのは,上述の人類学者たちが,植民地化した西欧人によって書かれた文書の史料批判の手続きを軽視していた点,また均質なデータが共時的,通時的に存在し,特定の集団が構造を共有していることを前提に議論している点である。著者によれば,特定の集団による構造の共有がみられる国家をもつ社会では,「特定の地域についての一定の包括的な歴史の語りの形式が存在する」。他方で構造が見出しにくい「国家をもたない社会においては,個別の村ごとに歴史の語りが分散しており,場合によっては,村の起源伝承でさえ,異伝をふくむものとなって」おり,「地域全体の歴史を再構成するには,口頭伝承には偏りがある」(25ページ)。
史料が希少であり偏在・分散している状況下で,利用可能な史料を最大限に検討したことも関係しているからか,本書の分析対象は時間的,空間的に広範囲に及んでいる。ゆえに各章の研究の焦点が大きく異なっており,章ごとにさまざまな固有名詞が頻出するため,「国家をもたない社会」の持続と変化という本書の一貫する問題意識を,評者は一読するまで容易に掴みきれなかった。ただし,これは,評者が西アフリカを専門としておらず,その歴史的社会的文脈を捉えることが困難であったことに起因する。
なにより人類学者として歴史学の領域に果敢に踏み込んでいく著者の姿勢に,評者は勇気づけられた。東南アジア研究の場合は,植民地化以前から国家や宗教者,商人らによって史料がある程度(決して多くはないが)蓄積されてきたこともあり,ディシプリンごとの分業体制が進んできた。それゆえに人類学者が歴史を論じたり,歴史学者が人類学的知見を取り入れたりする研究の自由度は西アフリカ研究と比べて相対的に低かったように思われる。
ただし,本書は「国家をもつ社会」と「国家をもたない社会」をやや概念的に分類しすぎているような記述も散見された。たとえば,著者は「国家をもたない社会」には「村ごとに起源伝承が分散」し,「村の起源伝承でさえ異伝をふくむ」と主張するが,「国家をもつ社会」でも,起源伝承の分散や異伝は常に存在する。評者が調査してきたベトナム南部メコンデルタのクメール,華人,ベト(キン)の人々が混住する村落では,植民地化以前からベトナムやカンボジアなどの王権が影響を及ぼしてきたものの,村落の起源を内陸側のカンボジア王権に求めるヴァージョン,あるいは海から到来した華人や神という異人に求めるヴァージョンなど,異なる起源伝承が複数存在した[下條 2023, 212-220]。
もちろん,「国家をもたない社会」と「国家をもつ社会」との間には,起源伝承の分散性や異伝の多さという点で程度の差があるかもしれない。しかし,ここで問わなければならないのは程度の差というよりむしろ,地域全体の歴史の語りに影響を与えうる官製のナショナルヒストリーや,郷土史家や歴史家の手による文字化された歴史の影響力の強弱である。東南アジアのように20世紀以降に俗語に基づく国民語が広く普及し,国民語を用いて歴史が書かれてきた国々では,ある村の起源伝承に複数のヴァージョンが存在していたとしても,ナショナルヒストリーや郷土史,ひいては学術的な歴史研究が,口頭伝承の内容に影響を与え,時に異説をかき消してしまうことが度々起こってきた。たとえばある村で起こった紛争の伝承が,歴史書や記念碑などに刻まれ,国家や特定の地域,エスニック集団全体の集合的記憶として時間とともに広まり浸透してゆくことで,紛争を直接経験しなかった村の人々のなかで我が事のように身体化され,共有されてゆく場合がありうる。
西アフリカの無文字社会の歴史を論じた川田順造が指摘するように,文字は時間・空間を通じての不変性が口頭伝承に比べて高い。文字を物質化する際の材質やそれを運ぶ技術が高度な国家は,空間上の伝達力の質が強く伝達距離も広い。他方で口頭伝承による王朝の年代記では,過去のある一点に個別に立ち返ってその周辺を吟味することができず,変動性も高い。「十代前の王のことも,五代前の王のことも,すべて,それ以後現在までの時代に生きた人々の記憶をとおして,濾過された姿でしか知ることができない」[川田 1990, 14-17]。こうしてみると,近代歴史学の作法で過去を叙述していく上では,時間・空間を通じての不変性が高く,文字化もされた過去の方が口頭伝承よりも一見適しているようにもみえる。だが,近代学校教育を通じて国民語のリテラシーが高く,文字化されたナショナルヒストリーや特定の地方の郷土史の影響が強い社会の場合,ある村に流布していた複数の口頭伝承が再編されるか忘却され,もはやその過去について吟味すらできなくなる可能性もある。
口頭伝承をめぐるこの問題と間接的にかかわる点として,「国家をもたない社会」の比較対象としての「国家をもつ社会」の議論をもう少し展開することも可能であったように思われる。著者は,国家について「複数の村々に対して直接的な影響力を有し,それらの村々の長よりも上位に位置づけられて,それら全体の長を有するもの」(65ページ)と定義する。この定義に基づけば,西アフリカ内陸で「国家をもたない社会」が植民地化以前に広く存在していたことになる。もっとも近代以前の東南アジアに目を向ければ,銀河政体,マンダラ国家,劇場国家,太陽政体など,周辺の政体に必ずしも直接的な影響力を有していないが国家と呼びうる多様な形態の政体が存在していたことが議論されてきた。概ねそれらの議論は,大きな王権の中心の政治的宗教的引力(ヒエラルキー構造や強制力,親族関係の紐帯,儀礼の荘厳さ)の強さによって周辺の小さな諸勢力の自律性が規定されるというものである。国境線のような明確な境界が存在せず,中心から周辺へ行けば行くほど中心の引力が弱まり,諸勢力の自律性が高まる。これらの伝統国家モデルは東南アジアに限らず,不安定な国家とその周辺社会の関係を説明するものとしても,ある程度有効であろう。
著者によれば,西アフリカ内陸では16世紀以降,イスラーム国家樹立を目指すジハード運動が各地で勃発し,いくつかの小規模な王国が成立した。つまり長期にわたり国家の形成を目指す動きはあり,「国家をもたない社会」と「国家をもとうとする社会」は隣接し,関わり合ってきたといえる。
この2つの社会の関連性を考える上で,より他地域との比較で動態的な政治を考えることも可能であったように思われる。たとえば,エドマンド・リーチによる古典『高地ビルマの政治体系』は,ビルマ北東部山地のカチン社会が盆地のシャン社会を模倣しようとするとヒエラルキーのあるグムサ型の政体を形成し,またその内部で富の平準化を求める反乱が起こるとグムラオ型の政体へ移行するという,振り子のように揺れ動くカチン社会の動態を論じている。
この議論に着想を得たジェームズ・C・スコットは著書『ゾミア』で,19世紀までの東南アジアの山地が平地や盆地のヒエラルキーのある国家の建設や強制労働,戦争から逃れた人々によって意図的に創り出された平等主義的な無国家空間(いわばグムラオ型の政体)であったと論じる。他方で片岡樹は,19世紀末でも国家の統治権力が依然及ばない空間であった清朝中国・英領ビルマ国境において,カリスマ予言者を祀り上げた山地民ラフによる千年王国的反乱が頻発していたことを指摘する。実際にラフの人々が王国と呼んだものは,カリスマを受け入れた集落のネットワーク的な宗教組織に近かったが,このような「架空の抽象的道徳共同体が,現実の統治を伴うような具体的な国家への渇望とあわせ,ラフの国家像の両極を構成してきた」と論じる[片岡 2014, 42-46]。
国家のようにヒエラルキー構造をもたなくても,国家という共同体を想像し希求する人々の語りや行動は,「国家をもたない社会」と「国家をもつ社会」の狭間で生じていた動態を考える上で着目に値する。16世紀以降の西アフリカ内陸部でグローバルな奴隷交易のネットワークを基盤に頻発していたジハード運動と,19世紀以降の東南アジアで生じていた千年王国的反乱は,西欧という外発的なアクターにさらされながらも内発的に生じていた近代の経験として捉えることが可能かもしれない。無国家空間における政治的動態と人々の国家への想像力について,世界史的な観点から比較検討するための題材を本書は提供している。