オーストラリア研究
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オーストラリア政治の変容 : 多数決型からコンセンサス型へ
杉田 弘也
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1997 年 9 巻 p. 1-20

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抄録

一般にオーストラリアの政治は、「労働党対保守連合」の2大勢力対立の図式としてとらえられている。すなわち、民主政治を「多数決型」と「コンセンサス型」に分けたライパートの理論によれば、オーストラリアは「多数決型」に分類されるという考え方であり、ライパートもこのような結論を出している。1901年の連邦形成以降、オーストラリアの政治は3つの時代に分けることができる。1901年から1909年までは、3大勢力(労働党、保護貿易派、自由貿易派)が鼎立しており、「コンセンサス型」の政治が行われていた。保護貿易派と自由貿易派が合同した1909年から1981年までは、この間に結成された地方党(現国民党)や民主労働党も反労働党勢力に含むことができ、したがって労働党と反労働党の2大勢力が対立する「多数決型」の政治が70年以上続いていた。ライパートの研究は、1945年から1980年までを対象としたものであり、このタイム・フレイムの中では、オーストラリアの政治は「多数決型」であるとしたライパートの結論は誤っていない。しかしながら1981年以降は、2大勢力のどちらにも色分けすることのできないオーストラリア民主党が、下院と同等の権限を持つ上院のバランス・オブ・パワーを得たことにより、オーストラリア政治の性格は大きく変化した。1981-82年度予算、オーストラリアカード法案、1993-94予算、労使関係改革法案などにおける民主党の上院における活動は、民主党が労働党政権下であろうと保守連合政権下であろうと、2大勢力のどちらか一方に与するのではなく、一貫して政府のアカウンタビリティーを追求し、民主党が公正であると考える政策を実現するために、上院のバランス・オブ・パワーを行使していることを示している。政府が上院の過半数を獲得できず、民主党など少数政党や無所属議員がバランス・オブ・パワーを握っていることから、政府は上院において法案ごとに非公式な連合を結ばなければ、選挙公約や政策を実行に移せなくなった。この非公式な連合は、「労働党+保守連合」、「労働党+民主党」、「保守連合+民主党」の組み合わせを基本とし、近年ではグリーン政党や無所属議員も非公式な連合に含まれる可能性が生じている。この結果、オーストラリア政治の性格は、それまでの「多数決型」から「コンセンサス型」へ移行し、上院が立法活動の中心となった。民主党など2大勢力以外の政党への支持率が下院選挙より上院選挙で高くなっていることから、政府が上院の過半数を獲得できず、オーストラリアの政治が「コンセンサス型」に移行したことは、有権者の積極的な意思の反映であると考えることができる。これにより、下院選挙で過半数の議席を得て成立した政府が、選挙時に掲げた政策をそのまま実行する権利を得るという従来の「マンデイト」の理論は、今日のオーストラリアでは通用しなくなった。

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© 1997 オーストラリア学会
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