人類學雜誌
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眼窩周辺の応力における咬筋と側頭筋の各影響の分析
遠藤 萬里
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1970 年 78 巻 4 号 p. 251-266

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抄録

顔面頭蓋に関する形態学的論文には,しばしばその力学的構造を論じているものがみられる.そのような議論には,材料力学あるいは構造力学の立場からみて,一般的に不正確な記述が多く,またしばしば誤った解釈が展開されている.この種の議論においては顔面頭蓋に対して咀嚼の時働く一群の力が,ひとつの力系としてとらえられず,別個にとらえられて,それらによって生ずる骨格内の力(内力)あるいは応力の分布を各力に対応する部分に分割する傾向がある.正確にいえばこの方法自体が誤りである.しかし,あらい近似としては成立することもある.
筆者(ENDO,1965,1966a,b)は,すでに,ひとつの系としての咬合のときの頭胃に加わる外力群下に生ずる顔面頭蓋応力の実験的解析を行った.しかし上に述べたような議論に対応するため,ここに,実験によって咬筋の作用による応力成分と側頭筋の作用による応力成分の分析を試みた.
実験に使われた資料は現代日本人成人男子晒頭骨3個体である.実験においては,まず生体において咬むときに働く咬筋と側頭筋の力を静力学的に近似推定し(ENDO,1966a),そのいずれかの力あるいは両方の力と顎関節部に加わる力,歯に加わる力との間で平衡させた.これらの力を頭骨に加えて,そのとき生ずる頭骨の眼窩周辺の各歪状態を測定した.測定された歪にもとづいて咬むとき生ずる応力状態を知り,その応力の各筋の力による成分を近似的に分析した.この実験の結果は,したがって,従来行われてきた形態学の立場からの顔面頭蓋の形態の力学的解釈に対して,力学の立場から批判と基礎を与えるものである.
結果を要約すると次の通りである.
1.一般的に,咀嚼のとき顔面頭蓋眼窩周辺に生ずる応力あるいは内力の分布様式には,咬筋の力によるそれとの間にも側頭筋の力によるそれとの間にも大きな差はない.ただし応力値•内力値には変化がある.
2.眼窩上縁-外側部には縁に沿って引張応力が生ずるが,この応力は咬筋の力に負うところが大きい.この 応力は眼窩をとりまくラーメン構造の変形により生ずるものである.直接的にはこの部分の曲げモーメン トに由来する.位置が近いからといって側頭筋の張力に直接由来すると考えるのは,少なくともヒトの場 合は誤りである.
3.前頭-鼻部 この部分には垂直圧縮力と水平で斜の方向に軸をとる曲げモーメントが働く.軸力について は側頭筋の力の影響が強い.しかし,構造に与える影響は曲げモーメントの方が一般に強いのが通説であ る.したがって,曲げモーメントが無視された従来の形態学的研究は誤ったところが多い.
4.前頭-頬骨部 この部分では外側面にほぼ沿って変形を起こす曲げモーメントが主である.軸力について は,咬筋の力による引張りと側頭筋の力による圧縮が同時に生ずるため,このふたつの力が相殺してほぼ 消失する.したがって,この部分においては,引張力や圧縮力の存在を重視して議論することは誤りであ る.
5.眼窩下部 この部分には曲げモーメントと剪断力が生じ,そのため眼窩下縁内側部に引張応力が現われる.
更にこの部分には咬筋の力によって,別種の曲げモーメントに由来すると思われる引張が生ずる.以上の結果にもとついて, GÖRKE(1908), BENNINGHOFF(1925), TAPPEN(1953,1957), EHARA(1969,1970)等の顔面頭蓋の形態学的研究における力学的解釈を論評した.

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