人類學雜誌
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日本更新世人寛骨の形態学的研究
とくに明石人寛骨を含めて
遠藤 萬里馬場 悠男
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1982 年 90 巻 Supplement 号 p. 27-53

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抄録

日本における更新世人類の化石は少なく,しかも近年発見された港川人の場合を除けば,さまざまな骨の破片が大部分である。しかし,寛骨については,明石(_??_左),三ケ日(_??_左),浜北(♀右)の各一側と港川4個体(_??_1個体,♀3個体)の両側を数えることができる。浜北は残存部が小さ過ぎるが,他は少くとも腸骨について他の人類とあるいは相互の形態学的比較検討が可能である。また明石と港川については,少くとも腸骨の全貌を推察することができる。他方,現在ではアフリカやヨーロッパで Australopithecus,Erectus,Neanderthal の各段階の寛骨が発見されていて,その模型が入手可能となっている。これらも同様に,少くとも腸骨の全貌を推察しうるものである。
このような状況において,観察の対象となりうる男性寛骨,明石,三ケ日,港川Iを更新世化石寛骨模型および現代日本人寛骨と比較し,それらの形態学的特徴を明らかにすることを試みた。なお明石についてはその包含層について疑問が多い(渡辺,1970)。
比較資料として,化石寛骨には Sts-14(Australopithecus)OH-28(Erectus),Arago(Erectus),Dusseldorf(Neanderthal)の模型を,現代日本人には東京太学総合研究資料館および独協医科大学所蔵の男性寛骨左側12個体を用いた。また計測値比較資料として,宮本(1927)の現代幾内日本人資料と田幡(1928)の津雲縄文時代人資料を用いた。
上記の化石寛骨模型および日本更新世人寛骨からあらたに黄色石膏によるレプリカを作成し,欠損部は白色石膏で補なって復原した。これは先に述べた腸骨全体の形を推察するとともに,ともすれば古さを強調するように見える原標本の色調によって生じやすい観察の片寄りを防ぐためである。
上記の全標本を通観すると,日本の更新世人の寛骨はいつれも現代日本人に最も類似する。すなわち,すべて Sapiens に属すると考えられる。
ここで,通常の計測法により可能な計測値と現代幾内日本人の同種の計測値を統計的に比較する。方法は幾内人をベクトル母集団とし,日本更新世人と津雲縄文人5個体の計測値ベクトルを棄却検定(増山1943)することによる。結果は Table 3 の通りである。全津雲人と明石人は棄却されず現代日本人母集団に属している。少くとも完新世日本人といえる。これに反し,港川人 I は完全に棄却され他の集団に属することがわかる。同じ計測項目について幾内人の標準偏差をもちいた Shape distance で幾内人30個体,津雲縄文人5個体,明石人,港川人 I の行列を作り,これに多次元尺度法を適用する。結果は上記のものにほぼ等しく,しかも明石人は港川人 I とかけ離れていることがわかる(Fig.1)。
寛骨の表面に観察できる諸特徴は Figs.2,3,5,7,Table4 の通りである。これらには進化段階と平行して変化する特徴が多く,それらから判断すると港川 I,三ケ日は Neanderthal 的な古い Sapiens と考えられるが,明石は現代的である。
ここで詳細な計測法を設定して適用してみる。そのなかから無名数値を選んで形状を比較する。この場合は個体間コークリッド距離にもとづく多次元尺度法を適用する。結果は Fig.9 に見られるように港川Iは化石人類的で明石は現代人的であることを示している。
腸骨の形状を単純化(Fig.6参照)して7角形とすると Fig.10 のようになるが,これを無名数化して比較すると Fig.11 のように明石も港川Iも Sapiens 的である。これらに共通原点を与えて7角形各頂点および交点座標値を測り,ユークリッド距離による多次元尺度法を適用しても,結果(Fig.12)は今迄と同じく,明石は新しく港川は化石人的になる。
結局,明石人寛骨は縄文以降現代までのいつれかの時代の日本人寛骨であり,港川 I と三ケ日の寛骨は更新世 Sapiens の寛骨と考えるのが妥当である。

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