データ分析の理論と応用
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論文
職業観・労働観に現れる価値観の多様性と普遍性
—「環太平洋価値観国際比較」データの文化多様体解析CULMAN—
芝井 清久吉野 諒三
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2013 年 3 巻 1 号 p. 17-47

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要 旨

本論文では,統計数理研究所による「環太平洋価値観国際比較調査」における労働や職業意識に関する項目を取り上げ,当該の10 か国・地域の特徴を明らかにすることを試みる.労働や職業は人々の所得に直接つながる生活領域の重要な要素であり,また個人と社会との関係を維持,発展させる重要な接点でもある.したがって,労働や職業に関する意識を比較し,その異同を明らかにすることは,異なる政治,経済,社会状況,家族関係の下にある国や地域の人々の価値観の多様性,あるいは国や地域を超えた普遍的な価値観を浮かび上がらせるであろう.本稿では,まず簡明に当該の国・地域の背景を説明する.次に,「職場のリーダーの条件」に関する複数回答選択項目及び「収入と余暇」,「お金と仕事」,「就職の第一条件」に関する多肢選択項目,さらに「尊敬する職業」,「自分が実際に就きたい職業」に関する自由回答について,国ごとに単純集計や性別,年齢層別クロス集計を俯瞰する.そして次に,文化多様多体と称するパラダイムの観点から,数量化Ⅲ 類により,項目群と各国の全体の関係を俯瞰した多次元の潜在的連関の探索を試みる.最後に,将来の研究へのコメントをしよう.

1. 価値観の国際比較調査—調査の歴史的背景—

統計数理研究所による「日本人の国民性」調査は1953 年より半世紀以上にわたって継続され,各時代の日本人の意識や価値観の変化や,時代を超えた普遍性を浮き彫りにしてきた.この研究は,1971 年頃から,国民性をより深く考察する目的で日本以外に住む日本人・日系人を初め,他の国の人々との比較調査へと拡張され,これも40 年以上に及んでいる.

初めからいきなり全く異なる国々を比べても,この種の意識調査では計量的に意味のある比較は難しい.言語や民族の源など,何らかの重要な共通点がある国々を比較し,似ている点,異なる点を判明させ,その程度を測ることによって,初めて統計的な比較の意味がある.共通の側面と異なる側面を持つ国々や社会をつないで徐々にその比較の環を広げ,やがてはグローバルな比較を目指す.同様に,時間の比較の連鎖を考え,時系列比較の発展を考える.他方で,調査テーマや項目の連鎖を考え,国々や社会の多次元的側面を明らかにして行く.林知己夫や鈴木達三らは,この発想を「連鎖的比較方法論(Cultural Linkage Analysis)」として展開してきた.

表1 統計数理研究所の主要な国際比較調査

様々な国を比較する時は翻訳の問題,各国固有の調査方法の違いに関わる問題など,そもそも国際比較など可能なのかが大問題となる.我々はこの「国際比較可能性」を追求するための方法を研究しているのであり,単純に調査結果の表面上の数値を比べ,解釈しているわけではない.ここにおいて,「データの科学」(林, 2001; 吉野, 2001; Yoshino & Hayashi, 2002) と称する統計哲学を計量的文明論(林, 2000; 吉野, 2001) のために試行錯誤しているのである.さらに,近年は国際比較調査の視野をさらに拡大しながら,空間,時間,調査項目の比較の連鎖に階層構造を導入し「文化多様体解析Cultural Manifold Analysis(CULMAN)」と称するパラダイムを発展させている(吉野, 2005; 吉野・林・山岡, 2010 Yoshino; Nikaido & Fujita, 2009).

我々のグループが調査した地域や国々には,ハワイ(日系人・非日系人),ブラジル(日系人),アメリカ本土(一般及び日系人),イギリス,フランス,ドイツ,イタリア,オランダの他,中国や東南アジアの国々が含まれる(表1).特に,2004 年度より5 カ年計画で,日本,アメリカ,中国(北京・上海・香港),韓国,台湾,オーストラリア,シンガポール,インドを含む「環太平洋価値観国際比較調査」を遂行した.これは,先行する2002–2005 年度の「東アジア価値観国際比較調査」(吉野編, 2007e) の調査地域にアメリカ,オーストラリア,インドを含め,地理的に拡大した調査であった.インドを含めているので,正確には「環太平洋」を越えているが,2010 年より進行中の「アジア・太平洋価値観調査」と区別するために,便宜上,上記のような名称を用いておくこととした.

本稿では,特に「環太平洋価値観国際比較調査」(吉野編, 2009) の労働に関する多肢選択の質問項目や職業意識に対する自由回答の分布データを取り上げ,それぞれの国・地域の特徴を明らかにすることを試みる.労働や職業は,一方で人々の所得に直接つながる生活領域の重要な要素であり,また他方で個人と社会との関係を維持,発展させる重要な接点でもある.したがって,労働や職業に対する意識を比較し,その相違点や共通点を明らかにすることで,異なる政治,経済,社会状況,家族関係の下にある国や地域の人々の価値観の違い,あるいは国や地域を超えた普遍的な価値観を浮かび上がらせる手掛かりにもなり得よう.限られた質問項目やその回答分布ではあるが,人々の普遍的な価値観,国・地域の政治・経済,社会状況の差に対応した固有性を把握することを試みよう.

環太平洋価値観国際比較調査で対象とした国・地域(調査年)は,日本(2004),北京(2005),上海(2005),香港(2006),台湾(2006),韓国(2006),アメリカ(2006),シンガポール(2007),オーストラリア(2007),インド(2008) である.また各国・地域での調査時の有効サンプルサイズは,日本(1139),北京(1053),上海(1062),香港(849),台湾(603),韓国(1030),アメリカ(901),シンガポール(1032),オーストラリア(700),インド(2002)であった.

各国・地域のサンプルサイズの違いは,単純集計や性別・属性別集計においては大きな問題はないが,多変量解析等においては結果に影響を与えることもあり,注意が必要である.その意味で,国際比較における各国・地域のサンプルサイズは等しいことが望ましく,そうでない場合はウェイト調整などをすることも多い.しかし,他方で見かけ上だけのサンプルサイズのウェイト調整は想定外のバイアスを生む危惧もあり,我々の研究チームでは多少のサンプルサイズの相違は,そのバイアスの可能性に留意しながらも,あえて有効回収データそのままを用いることが多い.ただし,今回の場合,インドのサンプルのみ他地域のおよそ倍の2002 名もあるため,コイン投げ(解析者の恣意性を排除)をおこなって回答者ID が偶数番目の回答者サンプルのみ合計1001名を抽出し,全体の10 の国・地域を総括したボンド・データを作成して本稿のすべての解析に用いた(ただし自由回答の解析を除く).したがって,インドデータに関しては過去に出版した調査リポートの単純集計表(吉野編, 2009) とわずかに差違がありうるが,どちらも十分なサンプルサイズがあり,精度として大きな問題ではなかろう.

過去の調査の詳細は,「国民性七か国比較」(林他, 1998),「国民性論」(Inkeles 1997/2003)の附章「日本における国民性研究の系譜」(吉野著),「東アジア価値観比較」(吉野編, 2007e),林知己夫(1984, 2001),林知己夫編(2002),吉野(2001, 2005),Yoshino (2009)吉野・林文・山岡(2010),統計数理研究所の調査研究リポートや報告書,それらの参考文献,また統計数理研究所のweb ページ(http://www.ism.ac.jp/ism_info_j/kokuminsei.html 及びhttp://www.ism.ac.jp/editsec/kenripo/index.html)を参照していただきたい.

以下,第2 節では簡明に当該の国・地域の背景を説明する.第3 節では,職場の人間関係に関する「職場のリーダーの条件」と,労働に関する3 項目「収入か余暇か」,「一生働くか」,「就職の第一条件」,および自由回答項目である「尊敬する職業」,「自分が実際に就きたい職業」に関する回答分布を,国ごとに単純集計や性別,年齢層別クロス集計を概説する.さらに,第4 節では林の数量化Ⅲ 類により,それらの関連項目について,単純集計や性別・年齢層別クロス集計では必ずしも明瞭ではない,項目群と各国の全体の関係を俯瞰した多次元の潜在的連関の探索を試みる.第5 節で,将来の研究へのコメントをしよう.

2. 調査対象地域について

今回の調査対象であるアジア・太平洋地域の10 か国・地域は,多様な社会構造や文化的背景を持っている(表2).全体として経済発展度を俯瞰すれば,インドを除いて一般に生活水準は高く,経済成長率の高い中国,韓国,インドと,低い日本,台湾,アメリカ,シンガポール,オーストラリアに分けられる.そして,アメリカとインドはかなり失業率が高い.国際関係論の視点から見ると,例えばHuntington (2002) は,冷戦終結後の世界を9 つの文明圏(西欧,ラテンアメリカ,アフリカ,イスラム,中国,ヒンドゥー,東方正教会,仏教,日本)に分類するが,各々が単独の文明圏とされた日本とインドを含む,このアジア太平洋地域は9 つのうちの半分以上が存在する地域でもある.

Weber (1920/1989) はかつて,欧州ではプロテスタントのカルヴァン派が資本主義の経済活動を活発化させたが中国やアジアの儒教圏ではそれは期待できないと論じた.しかし,20 世紀後半からの日本,NIES(Newly Industrialized Economies),中国の急速な経済成長は彼の主張を実証的に否定した.さらに,この20 年ほど,欧州のEU(European Union)とは異なり,東アジアは民族,言語,宗教等々が多様過ぎて,地域共同体を構成するのは難しいと論じられてきたが,近年のEU の混乱を見ると,むしろ,多様性を認知しつつ慎重に共同体のあり方を探っているアジアの方が期待される面が残っているといえるかもしれない.

しかし,いずれにせよ,共同体の成立にも,通常の国家間の交渉,民間の交易においても,各国や地域の人々の価値観を相互理解することが必須であろう.特に宗教や倫理,文化の違いは職業に関する価値観にも影響を与えていると思われるが,アジア太平洋地域もそれらの多様性を無視しえないであろう.プロテスタントが最大宗派のアメリカとカトリックが最大宗派のオーストラリア,歴史的に儒教に基づく文化的背景がありながら戦後はキリスト教が最大宗派となっている韓国(最多はプロテスタント),神道と仏教が混在する日本,ヒンドゥー教をはじめ多数の宗教が混在するインド,一定の割合の仏教徒,イスラム教徒,キリスト教徒が土着宗教と重層構造をなすシンガポール,儒教の発祥地であるが過去半世紀余りの共産党支配で宗教に否定的であり,他方でこの10 年以上は儒教の復活を旗頭に世界各国に孔子学院を展開させている大陸中国,中国人の居住地でありながら1 世紀以上も植民地としてイギリスの影響下にあり,人口の95%が中国人ながらキリスト教徒が人口の10%を占める香港,道教と仏教の混合する台湾と,それぞれの歴史を見ても多様である.人々は複数の宗教を持っていることも多く,表層としての各宗教の信者の分布と,深層の人々の自然観や死生観を区別して,その多層性を考慮しなければならない.例えば,韓国のキリスト教は特に戦後に急速に広まったといわれるが,人々の深層には数世紀にわたる儒教の価値観が根付いているようである.東南アジアは,各時代の政治大国からの影響の中で,賢明な生き残りのための一つの方便として,インドからの佛教,中東からのイスラム教,欧米からのキリスト教などに抗うのではなく,むしろ名目上は積極的に受容してきたため,表層の佛教,イスラム教,キリスト教等と深層の土着宗教が,層を成している.

表2 調査対象地域に関する情報

また,統計数理研究所の過去の調査すべてを俯瞰して「家族の重要性」は国を越え,時代を越えて普遍的であることが浮き彫りになるが(吉野・大崎,2013),Todd (1999/2008) の言うように,各国の家族の形態や価値観(父親の権威など)は多様であり,その違いが各国の政治形態の違いを生んでいる.宗教においても,各国の人々の深層にある家族に関する価値観が,名目上は同じイスラム教徒やキリスト教徒であっても,彼らの表層の宗教的行動のあり方に違いを与えているということはあり得よう.

環太平洋価値観調査データに関して,儒教的価値観の解析が,吉野(2005)鄭(2005)Yoshino(2009) にある.概していえば,東アジアの国々は,文字どおりの儒教的道徳からは既に脱却していると言えようが,詳細な点では,儒教発祥の地である中国と,中国以上に儒教的価値観の強い伝統の韓国,儒教は江戸時代の武士階級に限定されていたといわれる日本の3 か国間の差異は見られるようである.ただし,いずれにせよ,世界の先進国のほとんどで少子高齢化が進んでいる現在,日中韓とも,「一人息子に家を継がせる」ことなど必ずしもできず,やはり,時代や社会の発展とともに,価値観も変容せざるを得ないのであろう.また,「家族を大切にする」「父母を敬慕する」など儒教的価値観と言われてきたことが,実は儒教圏以外でも重要な価値観であることが再認識され(例. モーゼの十戒),その普遍性が確認される.

多様な文化的,社会背景を抱えている国・地域の調査データの解析には,その解釈が表面的な数字の大小比較に堕さぬように気を付けなければならない.また,各国・地域の統計的標本抽出による面接調査の方法や言語の翻訳の問題などの詳細にも十分に留意しなければならない.これらについては,各国の調査報告書(吉野編2004a, 2004b, 2004c, 2005a, 2005b, 2005c, 2005d,2006, 2007a, 2007b, 2007c, 2007d, 2008a, 2008b, 2009, 2010),吉野・林・山岡(2010),先述した統計数理研究所のwebsite を参照していただきたい.

3. 職場や労働に関する質問項目毎の考察

まず,「職場のリーダーの条件」(問11)と,「日本人の国民性調査」で労働に関する項目として1 セットとして用いられている「収入か余暇か」(問14),「一生働くか」(問15),「就職の第一条件」(問16)の3 項目,自由回答項目である「尊敬する職業」(問10a)と「自分が実際に就きたい職業(問10a)」に関する回答分布を,国毎に単純集計表,性別・年齢層別クロス集計を俯瞰してみよう.結果の解析については,過去の知見も加味して考慮すべきであろう(cf. 林, 1993b).

3.1. 職場のリーダーの条件

問11 では以下のように職場のリーダーが持っているべき資質に関して尋ね,11 の選択肢から3 つを選ばせた.その結果は表3 および図1 のとおりである.

問11  実際に今,働いているかどうかは別にして,もしあなたが働いているとした時,あなたの職場では良きリーダーはどんな資質を持っているべきでしょうか.最も重要なものを3 つ,次の中から選んで下さい.(3 つ選択)

1  技術的に優れていること

2  部下を公平に扱うこと

3  部下に尊敬され,好かれていること

4  真剣に仕事に取り組むこと

5  人間関係がよい,顔が広いこと

6  仕事仲間に誠心誠意,接すること

7  決断力がある,断固としていること

8  判断力が優れていること

9  部下に利益をもたらすこと

10  年功を積んでいること

11  よい階級の出身であること

回答傾向を概観するために,試みに「上位との差が10%以上かどうか」を見て,3 位と4 位の差が10%以上なら3 項目に,3 位と4 位の差が10%未満で2 位と3 位の差が10%以上なら2 項目に,3 位と4 位の差および2 位と3 位の差が10%未満で1 位と2 位の差が10%以上なら1 項目に回答が集中していると考え,上位の差がどれも10%未満であれば分散傾向とする.その結果,3 項目はオーストラリア,2 項目は北京,上海,1 項目は香港,韓国,そして分散傾向は日本,台湾,アメリカ,シンガポール,インドという結果になった.単純な比率に基づく分類では,西洋文化圏や中華文化圏といった分類と一致するような結果とはならず,また特定の回答に意見が集中した国・地域が必ずしも多くなかったことから,国民や民族に共通する価値観が存在するといってよいのかは定かではない(なお,4 節では,このデータについて数量化Ⅲ 類を用いた個人レベルの分析を試みる).

表3 職場のリーダーに求める資質のランキング上位3(国別)
図1.a 職場のリーダーに求める資質(性別)(問11)
図1.b 職場のリーダーに求める資質(年齢層別)(問11)

全体の共通点として,全ての調査地域で「部下を公平に扱うこと」が上位3 に入ったこと,「仕事仲間に誠心誠意,接すること」は3~4 割を得ていること,また「判断力が優れる」の方が「決断力がある」より多いことが挙げられる.また「年功を積んでいること」,「よい階級の出身であること」は,ほぼ全ての調査地域で最も回答が少ない.ただし,相対的に見れば,どちらの項目もアメリカとインドの選択率が高い.

一部の調査地域で他と目立って異なる選択率を見ると,例えば「技術的に優れている」は北京,上海で50%を超えている.それ以外の国・地域では40%未満となっている.「人間関係がよい,顔が広いこと」は国・地域間の差が大きく,韓国とシンガポールは40%近い選択率に対し,香港,アメリカ,オーストラリアの選択率が低い.特にオーストラリアは際立って低く5.3%であった.香港はイギリス文化の影響下にあったためか,この面では北京・上海よりも西洋文化圏に近い傾向といえよう.「部下に利益をもたらすこと」は全体的に低めの割合であり,特に日本は5.4%と際立って低い値であった.その中で北京,上海,香港,台湾だけは約30%と他よりも高い値を示しており,中華文化圏の特徴が再認識される(林, 1993b).

「判断力が優れていること」はアメリカとオーストラリアが60%以上と全体の中で最も高い割合を示した.ちなみに,3 番目に高い選択率がみられた日本の割合は45.1%であり,これら上位3 カ国と他の国・地域との差が大きい.「部下に尊敬され,好かれていること」を選んだ割合は韓国だけが50%を超えており,それに次ぐ日本の42.5%よりも10%以上高い.その一方,「真剣に仕事に取り組むこと」は他の国・地域がほぼ30%以上であるのに対し韓国は18.9%であり,一番低い.「仕事仲間に誠心誠意,接すること」はオーストラリアが47.3%と最も高いが,それ以外は30%台で差は大きくはない.

性別,年齢の違いでは(図1),日本では「部下を公平に扱うこと」,「仕事仲間に誠心誠意,接すること」という職場の人間への態度に関する条件で女性の選択率が高く(男:31.3%,女:42.7%),それに対して「決断力がある」は男性の方が多かった(男:28.9%,女:20.4%).年齢層別では「部下を公平に扱うこと」は年齢層が高い方ほど選択率が高く(18–39 歳:37.1%,40–59 歳:49.3%,60歳以上:57.7%),反対に「判断力が優れていること」は選択率が低いのが分かる(18–39 歳:57.4%,40–59 歳:50%,60 歳以上:31.5%).

また,「部下に利益をもたらす」は北京では3 番目であった(表3)が,選択率は女性の方が男性より10%以上高く,かつ40–59 歳台が他の年齢層より約15%も高い.この中年層は現役の労働者の中堅層であるためか,あるいは文化大革命(1966~76 年)によって中国の経済や文化が大きな打撃を受けた時代に育った人々が含まれるため,その時代背景が影響しているためであろうか,さらなる分析が必要である.シンガポールでは「技術的に優れている」で男性の方が,「仕事仲間に誠心誠意,接する」で女性の方が多かった.また60 歳以上で「部下を公平に扱う」が他の年齢層よりも選択率が高い.性別でも9.5%の差で女性の方が高い.オーストラリアでも「仕事仲間に誠心誠意,接する」は女性の方が高い.

総じて,アジア・太平洋地域全体では,リーダーの資質として,部下の扱い,仕事仲間への接し方,判断力が求められる傾向であった.ただし「人間関係がよい,顔が広い」の選択率は一部を除いて低いことから,単純な人づき合いの上手さではなく,リーダーとして職場の人間関係を調整できる能力を持つことが望まれていると解せる.

3.2. 「収入か余暇か」「一生働くか」

仕事を選ぶ上で,収入は生活に直結するので重要な要素であるが,他方で仕事そのものが生きがいとなる面もある.問14 と問15 では,これに関して扱った.まず,問14 では,以下のように尋ね,結果は図23 のようになった.

図2 「収入か余暇か」(問14)
図3 「収入か余暇か」(問14)(性別,年齢層別)

問14  あなたは次のうちどちらが好ましいと思いますか.

1  収入が増えること

2  余暇(自由な時間)が増えること

この10 年以上にわたる世界中の厳しい経済環境を反映してか,どの国・地域でも「収入が増えること」を好ましいと答えた割合が高かったが,選択肢1 と2 の回答の差の大きさは国・地域間で差がある.日本,シンガポール,オーストラリアではその差が20%未満と小さいが,北京,上海,台湾,インドでは40%を超えるほど大きい.最も差が小さいのがシンガポールの5.5%,最も差が大きいのが上海の58.8%である.一方でGDP や失業率から見て貧しいインドと,他方で世界の中で例外的に経済状況の良い中国の北京・上海で,どちらも収入増加を求める意見が多い.少なくとも調査時点においては,どちらも今後の急速な経済成長を見込み,2030 年頃には中国が,2050 年頃にはインドが世界の経済のトップに躍り出ると予測する専門家も少なくなかった.現時点での富裕というよりも,経済成長の勢いが人々の意識にも表れていたのではないか.(ただし,インドの現地調査機関の調査方法では,母集団の下層が意図的に外されていることにも注意しよう(吉野編, 2009))

全体として,ほぼどの国・地域でも男女差はほとんどなく,年齢層の比較でもあまり差がないか,若年層で「収入が増えること」を選ぶ割合が若干高いかのどちらかであった.北京と上海では若年層(18–39 歳)に比べて他の年齢層で「収入が増えること」を選んだ割合が10~15%高く,逆にオーストラリアでは高齢層(60 歳以上)の64.1%が収入を選んだのに対して,他の年齢層はそれより10%低いことが目立つ.

問15 では,次のように尋ね,図45 のような結果を得た.

問15  もし,一生,楽に生活できるだけのお金がたまったとしたら,あなたはずっと働きますか,それとも働くのをやめますか.

1  ずっと働く

2  働くのをやめる

統計数理研究所の過去のすべての国際比較調査では,あらゆる時代あらゆる国・地域で,過半数の人々が「ずっと働く」を選択している(例外は,1987 年当時に経済的に世界のトップクラスであり,働きすぎと批判されていた西ドイツ調査であるが,それでも「ずっと働く」が40%弱ある.)(吉野編, 2010).本調査データでも,すべての国・地域で「ずっと働く」が「働くのをやめる」を上回っている.ただし国ごとの選択肢の差のばらつきが大きく,インドが最大で74.3%,アメリカが最小で6.9%という結果となった.また,日本とアメリカ以外は2 つの選択肢の差が30%以上あり,さらに日本はDK が7.4%と他の国・地域よりもかなり高い.

図4 「一生働くか」(問15)
図5 「一生働くか」(問15)(性別,年齢層別)

シンガポールのように問14 で「余暇が増えること」を望む割合が高い国でも,問15 では73.4%が「ずっと働く」を選んだ.日本は「働くのをやめる」の割合が2 番目に高く,「ずっと働く」を選んだ割合が2 番目に低い.それと同時に「わからない(DK = Don’t Know)」の割合が7.4%と他の国・地域よりもかなり高い.日本人の働くことへの考え方が多様化しているためか,単に日本人の一般的回答傾向(明確な回答を避ける)の現れに過ぎないのか.日本は問14 でも「余暇が増えること」を選んだ人の割合が2 番目に多かった(41.1%).

全ての調査対象地域のデータを合わせたボンド・データを用いて全体の傾向を見てみよう.全ての国・地域を合わせた問14 と問15 のクロス表(表4,行和100%)を見ると,問14 で「収入増」を選んだ回答者の71.4%が問15 で「ずっと働く」を選び,「余暇」を選んだ回答者の65.7%も問15で「ずっと働く」選ぶなど,問14 でどちらを好んでいても,一生暮らせるだけの金を得たとしても働き続けると,多くの人が回答した.

仮に生活のためだけに収入を求めているのだとすれば,一生暮らせるだけの金を得たならば働く理由はなく,問15 では「やめる」を選ぶ割合のほうが多くなろう.しかし,問14 で「余暇」を選んだ人でも問15 で「ずっと働く」を選んだほうが全ての国・地域で多かった.最も割合の低いアメリカでも問14 で「収入」を選んだ人の53.8%,「余暇」を選んだ人の52.8%が問15 で「ずっと働く」を選んでおり,さらに日本とオーストラリアでは問14 で「余暇」を選んだ人たちの方が問15で「ずっと働く」を選んだ割合が高く,日本では「収入」を選んだ人の61.9%,「余暇を選んだ人の65.3%が「ずっと働く」を選び,オーストラリアではそれぞれ64.8%,71%となった.収入の増加を望む人は多いが,仕事に必ずしも収入だけではない価値を見出していることが推察できる.

表4 問14 と問15 のクロス表(行和100%)
表5 年齢層による問14,15 の意見の違い

性別,年齢層別で見ると問14 と同様に,どの国・地域でも男女差はあまりなく,年齢層間もほぼ差がないか,高齢層で「ずっと働く」を選ぶ割合が若干低いかのどちらかであった.なかでもアメリカ,シンガポール,オーストラリアの高齢層は他の年齢層と比べ,その割合が目立って低い.各国の人々の定年後の一般的な日常生活の違いが,表れているのだろう.

しかし,男女差が全く見られないというわけではない.問14 ではすべての国・地域で「収入が増えること」を選んだ割合が女性の方が男性よりも多く,その一方で,問15 では香港を除くすべての国・地域で男性の方が「ずっと働く」を選んだ割合が多かった.すなわち,全体的に女性は収入の増加を求めるが十分な量のお金が貯まれば働くことはやめるという回答が多く,男性に比べれば仕事に求めるのは収入という傾向がある.男女の職場での職責の違いや,勤労女性と専業主婦との関係も反映しているのであろうか(図3,図5 参照).

さらに年齢層別で見ると,問15 では年齢層が高いほうが「ずっと働く」の割合が低いという傾向が全体に共通し,特にオーストラリアで顕著である.問14 では,基本的に高年齢層で「収入が増えること」の割合が低い国・地域が多いが,韓国とオーストラリアは逆に年齢層が高いほうが「収入」と答えた割合が高い傾向がうかがえる.特にオーストラリアでは「収入」と答えた割合は高齢層のほうが他の年齢層よりも10%以上高く,年齢が高いほうが働き続ける意思は低いものの収入の増加を求める回答は多い.年齢層別の意見の違いを見ても,どの年齢層でも65%程度が「収入が増えること」を望んでいるが「ずっと働く」の意見は60 歳以上だと他の年齢層よりも10%以上低い.これは調査地域全体に共通する回答傾向でもある(表5).

問14,15 については,回答者が現在就業しているか否かによって質問文の意味が異なる可能性にも注意すべきであろう.年老いて金のためだけに働き続けたくはないが,現実に高齢者が失業したり,定年後に再就職できず,経済的に困窮したりしているとすれば,余暇よりも収入を重んじるのは当然であろう.また,経済的に恵まれた高齢者も社会関係(吉野・角田, 2010) の維持の重要性を認識し,働き続けたいと思うことはあろう.

3.3. 「就職の第一条件」

問16 では,仕事についての関心を尋ねた.その結果は図6 のようになった.

問16  ここに仕事について,ふだん話題になることがあります.あなたは,どれに一番関心がありますか.(1 つ選択)

1  お金のことを気にしないですむ程,よい給料

2  倒産や失業の恐れがない仕事

3  気の合った人たちと働くこと

4  やりとげたという感じがもてる仕事

問14 では収入の増加を望む回答の方がどの国・地域でも多かったが,この問16 では,「よい給料」に回答は集中しなかった.問15 で「仮に一生に困らない金を得ても仕事を継続する人」の方が多いことも,「仕事」は生活を維持する収入源として大切ではあるが,それだけではなく,仕事を続けること自体の意義が推察された.

問16 の仕事の関心の回答パターンから,国・地域を「A. 給料を重視」,「B. 職場の人間関係と達成感を重視」,「C. 給料と達成感を重視」という3 グループに分類できそうである.A に入るのは「1. よい給料」の回答が他の選択肢よりも10%以上多かった上海,台湾,韓国,インドである(シンガポールは5.7%だが,ここに分類するのが最も適切であると思われる).失業率が高いインドでは,「2. 失業の恐れのない仕事」も多く,「安定した収入」への関心の高さもうかがえる.「よい給料」を選んだ割合はシンガポール以外,女性の方が男性よりも多く,問14 と同じ傾向が確認できる.

B に入るのは「3. 気の合った人たち」,「4. やりとげた感じ」の割合が多い日本,北京,香港であり,いずれもこれらを合計した割合が60%以上となっている.この3 国・地域は「1. よい給料」の回答が最も少ない地域でもある(20%未満はこの3 国・地域のみ).このグループでは,「気の合った人たちと働くこと」を選んだ割合は女性の方が多く,「やり遂げたという感じがもてる」では男性の方が多い.また,このグループは問16 で「気の合った人たちと働くこと」を選んだ割合が最も多い国・地域でもあるが,問11 で「人間関係がよい」を選んだ割合は決して多くない.

図6 「就職の第一条件」(問16)についての回答分布
図7 「就職の第一条件」(問16)で「よい給料」と「やりとげた」を選んだ割合(性別・年齢層別)

C に入るのは「1. よい給料」,「4. やりとげた感じ」が多いアメリカとオーストラリアである.アメリカはこれらを合計した選択肢の割合が72.9%とかなり多く,現実には失業率は高いのだが,「2. 倒産や失業の恐れがない」という回答は少ない.オーストラリアは,選択肢1 と4 の合計は68.6%と高く,特に選択肢4 が多いことが目立つ.

問16 の回答を年齢層別に分析しても,オーストラリアとアメリカは他と異なる特徴を持っていることが分かる(図7).これらの2 ヶ国以外は,「4. やりとげたという感じが持てる仕事」を選んだ割合は若年層の方が高いが,オーストラリアは年齢層が高いほうがその割合も高く,アメリカも40–59 歳と60 歳以上でほとんど変わらず,若年層よりも高い.つまり,他の国・地域では若年層ほど仕事に達成感を求める傾向があるが,アメリカとオーストラリアは反対に中,高年齢層のほうが達成感を求める傾向がある.

これら3 グループの特徴について,先述した問11(職場のリーダーの資質)の結果も考慮すると,グループA では問11 の「人間関係がよい」が韓国では4 番目,シンガポールでは3 番目に多かったが,これらの国では「気の合った人たちと働く」は最も少なかった.グループB の日本,北京,香港は問16 で「気の合った人たちと働くこと」の選択は最も多い国・地域だが,問11 で「人間関係がよい」は決して多くない.一般的には職場の人間関係は重要と思われるが,「人間関係のよさ」を職場のリーダーに求める場合は同僚にはそれは求めず,逆にそれを同僚に求める場合はリーダーには求めないという傾向があろうか.これら3 グループの分類については,さらに4 章で数量化分析を試みる.

3.4. 「尊敬する職業」と「実際に就きたい職業」

次に,「尊敬する職業」と「実際につきたい職業」を尋ねた結果を概説しよう.

問10a  あなたが一番尊敬する職業は何ですか.(自由回答)

問10b  では,ご自身が実際につきたいと思う職業は何ですか.(自由回答)

67 に各国・地域で上位10 位に入った職業をまとめた.問10a,b のいずれにも複数の職業をあげた回答者がいたが,その場合は回答者の職業観をなるべく反映させるために,たとえば,「医者,政治家」と答えた人がいれば,その人を医者と政治家の両方の回答数に加算した.そのため,すべての回答数を合計した場合は標本数よりも多くなっている.他方で,表67 の欄外の「DK」(Don’t Know)「NA」(No Answer)「CS」(Can’t Say)は「分からない」,「思いつかない」,などの回答をまとめたが,その率は日本など,国によっては少なくはない.突然,このように問われてもなかなかすぐには回答できない人も多かろう.

表6 「尊敬する職業」(問10a)(自由回答のコーディング・カテゴリーのランキング)
表6 「尊敬する職業」(問10a)(自由回答のコーディング・カテゴリーのランキング)つづき

また,表67 中の「教師」のカテゴリーは小中高校等の教員を指すものとして,「教授(大学教員)」や「幼稚園の教師」などは別のカテゴリーとした.また,「教師」,「先生」,「教育者」は,一般的には初等・中等教育の教員を指すものと判断して,「教師」のカテゴリーとして集計した.なお,インドの問10a の回答には教師という単語はないが,「RESPECT TEACHING」を教師に該当する回答として扱った(インドを含め多言語社会では,人々のコミュニケーションの円滑さに問題があり,データ解析でも留意が必要である).

自由回答,そして職業分類のカテゴリーには,分類にしばしば任意性がつきまとい,完全には客観的分類は困難である.特に,「職業」はILO(International Labour Organization)などの分類でも同じカテゴリーが各国の社会状況でかなり異なるものを意味することすらあり得るので,国際比較では共通分類の困難さが指摘され,解析目的に応じた判断や基準が必要とされる(吉野・林・山岡, 2010).以下の概説でも,このような点に十分留意すべきであろう.

総じて,問10a,b に関して,どの国・地域でも,教師,医者に加えて弁護士,看護師,公務員,警察など専門職といえる職業が多く,トップ10 に入っている.日本,香港,台湾,シンガポール,オーストラリア,インドの6 国・地域で,医者が1 位で教師が2 位,北京,上海,アメリカでは教師が1 位で医者が2 位となった.韓国を除く全ての国・地域で医者と教師が1 位と2 位を占め,韓国でも教師が1 位で医者が3 位という結果となっており,この2 つの職業はどの国・地域でも高い尊敬を受ける職業であることが確認される.回答の割合としても,医者と教師どちらか一方もしくは両方とも,他の職業との差が大きい.特に北京,上海,台湾,アメリカ,シンガポール,インドでは医者および教師とそれ以外の職業との間で10%以上の差があった.どの国・地域でも医者と教師以外の職業のほとんどが5%以下の回答しか得ておらず,他の職業は分散する傾向があったといえる.他の職業で10%を超えたのは,韓国の「public officer(18.1%)」,インドの「BUISINESS(16.6%)」,「ENGINEER(12.2%)」のみである.

日本は「DK/NA」の割合が著しく高く(31%),「なし」も約20%と他と比較して著しく高かった(日本以外は全て3%未満).日本以外では上海,香港,台湾,韓国で「DK/NA」が比較的高いものの,それでも日本とは10%かそれ以上の差がある.また,日本は,唯一,「すべての職業」という回答が10 位以内に入っているなど,他の国・地域に比べて特徴がある.「すべての職業」の回答では,「職業に貴賤なし」という理由を付けた回答者が多く,これは2002~2005 年に行われた「東アジア国際比較調査」でも同様であった(三好・吉野, 2005).

表7 「実際につきたい職業」(問10b)(自由回答のコーディング・カテゴリーのランキング)
表7 「実際につきたい職業」(問10b)(自由回答のコーディング・カテゴリーのランキング)つづき

問10b「実際に就きたい職業」でも,医者と教師は上位に入っており(表67 を参照),全ての調査国・地域で「教師」が「医者」を上回った.これも儒教文化圏は勿論だが,それを越えて教師や学者が普遍的に尊敬され,また本人の能力と努力次第で就くことが可能な職業のためとみるのに無理はあるまい.医師も政治的イデオロギーや文化に関わらず人々の生命や健康のために重要な職業であり,また,本人の能力と努力次第で就け得る経済的にも安定した職業と見なされていて,これも自然であろう.

ただし,各国・地域で,教師や医師の社会経済的状況はかなり異なり,また専門家として資格を得るまでの訓練の程度もかなり異なることもあるので,表層で同じ回答が深層でも同じ価値観を表すとは限らない可能性には留意しておこう.また,インドはカースト制のため,本人の出身階層で就ける職業が制限されるが,IT 産業など,新たな職業はその制限を免れ,低い階層出身の優秀な人々がIT 産業で成功する姿が象徴的になっている.

北京,上海,香港,台湾,アメリカ,シンガポール,インドでは1 位が「教師」で2 位が「医者」で,韓国では「教師」が1 位で「医者」が3 位,オーストラリアで「教師」が2 位で「医者」が3 位であった.日本では3 位が「教師」で4 位が「医者」となり,この2 つの職業の人気はやはり高いことが分かる.日本と香港を除くと,「教師」と「医者」で回答率に差があり,韓国,台湾,アメリカ,インドでは5%以上の差があった.ただし,問10a「尊敬する職業」ほどには,問10b では「医者」と「教師」に回答が集中してはいない.

日本,韓国,オーストラリアでは,教師と医者よりも回答数が多かった職業は「公務員」と「看護師」であることが共通していた.また,問10a,b を通じて「医者」が3 位までに入らなかったのは日本の問10b のみである(ただし,それでも上位ではあるが).さらに,加えて,この問10b「実際に就きたい職業」でも日本は「DK/NA」の割合がかなり高く(24.8%),20%を超えた唯一の国・地域であった.また「なし」も13.7%となっており,他の国・地域が2%以下であることと比較すると,著しく高い.また,唯一,「今の(自分が就いている)職業」というカテゴリーが10 位以内に入っているなど,問10b でも日本は他の国・地域と相違が目立つ.先の尊敬する職業の質問に対する「すべての職業,職業に貴賤なし」という回答が多かったことをあわせて考えると,本来の日本人の国民性とも呼べるような,価値観を表しているのか.それとも,世界の中では特徴のある,戦後日本の「家族的職場」を思わせる終身雇用制では職場,職業階層の移動が他の国と比べれば鈍く,その結果としての現状肯定の傾向を見せるのか.あるいは,1980 年代後半から90 年代初めのバブル経済期の職業観の多様化から転じて,この「失われた20 年」の経済混迷の中で,人々の考えが保守的になっているためか.さらなる探索が必要と思える.

台湾では「総統」が問10a で8 位,問10b で7 位と,調査結果の中では唯一,政治の最高指導者の地位が10 位以内に入っていた.他にも「料理人」が問10b で10 位以内に入っており,この職業が上位に入っているのも台湾のみであった.

問10a では「聖職者(clergyman)」がプロテスタントの多いアメリカと韓国で上位に入っていたが,カトリック教徒が多いオーストラリアでは入っていなかった.また,実際になりたい職業では,どの国・地域でも聖職者は10 位以内に入っていなかった.

北京,上海,アメリカ,オーストラリア,インドでは問10a で「軍人(military)」が10 位以内入っているが,問10b で軍人が10 位以内に入ったのは北京と上海のみであり,中国以外では軍人は尊敬できるがなりたい職業ではないことがうかがえた.また,同じ中国の地域であっても香港では軍人は10 位以内に入っておらず,かつ,北京と上海では問10a,b で10 位以内順位入りした「工人(労働者)」が圏外となっているなど,香港の職業観は中国本土の他の地域とは異なる.

文字通りの儒教では「労働者」は尊敬される職業ではなかったが,共産主義国は理念上,労働者の国家であり,仮に建前であったとしても労働者が尊敬する職業に挙げられるのは自然なことといえる.しかし,実態は,人民解放軍が共産党の軍隊として政府においても重要な地位と権力を握り,その権力が富と結びつき,賄賂を払っても就きたい職業になっているという(MaCregor,2010/2011).ただし,習近平夫人が「人民解放軍の歌手」であることにみられるように「軍人」が必ずしも「戦闘や防衛に従事する兵士や将校」のみを意味するのではなく,紡績や産業など,自由主義の国では民間企業の職業に重なることが,大きく異なるので留意すべきである.

他方で,香港では軍人と労働者をあげたものは問10a でわずか1 人ずつ,問10b では軍人は4人,労働者は2 人であった.共産党国家が樹立する100 年以上前の1841 年からイギリス領となった香港の人々の文化や価値観は,明らかに他の中国地域とは異なっているのが確認できる.しかし,今後の北京,上海,香港,台湾では,統合や交流の促進,中国本土での開放政策の目玉としての「儒教復活」(孔子学院の世界的展開)など,価値観が変化していくのか,それともそれは表層のことで,深層ではより現実的な経済発展などの価値観や意識が進んでいくのかを見守ることは,一般的に,価値観の変容や安定性を考察するのに重要であろう.

4. 仕事や労働に観る人々の意識の多次元データ解析—CULMAN の実例

これまで,職業や労働に関する項目の回答を個別に概観してきたが,本節では,それらの回答データの多次元データ解析(林の数量化Ⅲ 類)を進め,項目間の連関の深層を探り,一方で各国の固有の価値観と,他方で国・地域を超えた価値観を浮き彫りにすることを試みよう.

ここで展開する国際比較データ解析の方法論の背景を述べておこう.

本稿の冒頭でも触れたが,我々が扱うような通常の意識調査では,初めからいきなり全く異なる国々を比べても,計量的に意味のある比較は難しい.言語や民族の源など,何らかの重要な共通点がある国々を比較し,似ている点,異なる点を判明させ,その程度を測ることによって,初めて統計的な比較の意味がある.これを,1970 年代からの国際比較調査の中で林知己夫や鈴木達三らは「連鎖的比較方法論(Cultural Linkage Analysis,CLA と略称)」として展開した.共通の側面と異なる側面を持つ国々や社会をつないで徐々にその比較の環を広げ,やがてはグローバルな比較を目指す.同様に,時間の比較の連鎖を考え時系列比較の発展を解析し,さらに調査テーマや項目の連鎖を考え,国々や社会の多次元的側面を明らかにして行くという発想である.これは1990 年代後半からは,「データの科学」へとつながっていった.

そのパラダイムを継承した筆者らは,国際比較調査の視野をさらに拡大しながら,空間,時間,調査項目の比較の連鎖に階層構造を導入し「文化多様体解析(Cultural Manifold Analysis,CULMAN と略称)」と称するパラダイムを発展させている(吉野, 2005; 吉野・林・山岡, 2010;Yoshino, et al., 2009).端的にいうと,「森を見るか,木を見るか」の視点を国際比較に入れるということである.国際比較では,異なる言語やサンプリングの間の比較可能性等,大きな問題を孕んでいるが,このCLA やCULMAN の中で,「適度に敏感で適度に鈍感な」データ解析法として,しばしば活用されてきたのが,林の数量化Ⅲ 類(林, 1993a) である.

本節では,3 節で扱った項目について具体的に試行してみよう.作業としては,3 項目一緒の数量化を,各国別に適用し,各項目や選択肢の位置関係を比べる.パターンとして,概ね一致していれば,3 項目と全ての国を一緒にしたボンド・データに数量化を適用できる確認になる.この場合は,各国別の数量化の結果を表示する必要はなくなる.しかし,もし,いくつかの国々で違いが出るのであれば,その異なるパターンで「国々を分類」する.パターンが「概ね一致」するか否かは,微妙なケースもあろうが,その明瞭さの程度で階層が考えられよう.この試行の中で,国々の類似性の階層構造(多様体)が浮かび上がることもあろう.この過程では,3.3 節で述べた国別の比率をデータとしたマクロレベルでの分類との対照も再び重要となろう.

問11 の「職場のリーダーの資質」について10 か国・地域の回答データに数量化Ⅲ 類を適用した1

個々の数量化Ⅲ 類の結果では,各国・地域とも,第1 軸を基準に見ると「部下に利益」「公平に扱う」「誠心誠意」が近い位置にあることが共通している(図8).ただし日本のみ「部下に利益」が大きく離れている.また,「技術力」「判断力」「決断力」「真剣に」といった上司の能力にかかわる選択肢のうち3 つ程度がどの国・地域でも近い位置にある.一見すると国・地域別の回答の散らばりかたが異なっているが,それでも全体としてはある程度の共通性は見受けられた.

図8 「職場リーダーの資質」(問11)への数量化Ⅲ 類の適用による各国・地域と各選択肢の関連(回答数2,3のみ)(国別)

上:1 軸× 2 軸下:1 軸× 3 軸

図8 「職場リーダーの資質」(問11)への数量化Ⅲ 類の適用による各国・地域と各選択肢の関連(回答数2,3のみ)(国別)つづき

上:1 軸× 2 軸下:1 軸× 3 軸

図9 「職場リーダーの資質」(問11)への数量化Ⅲ 類の適用による各国・地域と各選択肢の関連(回答数2,3 のみ)(ボンド・データ)

そこで,さらにボンド・データに数量化Ⅲ 類を適用して全体的な傾向を調べた.その結果が図9 である2

北京,上海,台湾は「部下に利益をもたらす」と回答するパターンが支配的であるが,香港は多少離れており,各国で回答率の高かった「部下を公平に扱う」に最も近い.全体の中でアメリカとオーストラリアの位置はかなり近く,「判断力」や「仕事への真剣な取り組み」,「年功」,「よい階級の出身」など多くの回答から均等に近い位置につけており,リーダーに求める条件が他国に比べて多様である.第1 軸で米豪と反対側にある韓国は「部下に尊敬」,「人間関係がよい」といった人づきあいの良さを求める傾向が表れている.

総じて,3 節で単純に各国ごとに回答分布の順位を比較したものよりも,数量化Ⅲ 類による多国間の比較の方が,情報縮約で一定の情報はそぎ落とされるが,他方で多少の表面的な差違を越えて安定した構造を浮き彫りにしているようである.林知己夫(1993b, p.84) が往時の日中調査データへ数量化Ⅲ 類を適用し,好まれるリーダーシップを比較した結果では日本的リーダーシップとは「部下に好かれる」,「仲間に誠意をもって接する」,「人間関係がよい,顔が広い」,「経験のある人,年配で尊敬される人」,「年功を積んでいる人」,「判断力が優れている人」,「部下を公平に扱う」となり,中国的リーダーシップとは,「部下に利益をもたらす」,「若くて有能」,「決断力,断固としている」,「真剣に仕事をする」こととなっている.本稿の結果も林の結果と一致する.端的に言うと,日本的リーダーは部下や人間関係に十分配慮し,中国的リーダーは部下に利益をもたらすことが期待されるという,巷間で言われるイメージを確認させる.

数量化Ⅲ 類の国・地域別の解析結果からは,国・地域間にはあまり特徴のある差が見られないようではあるが,林(1993b) の知見と比較してみると,次のようなことが分かる.林の90 年代の日中意識調査では「部下に利益をもたらす」が中国的リーダーの条件として挙げられたのに対して「部下を公平に扱う」は入らなかったが,環太平洋調査の北京,上海,香港,台湾の「部下に利益をもたらす」と「部下を公平に扱う」はいずれも比較的位置的が近く,「部下を公平に扱う」も中国的リーダーに求められるようになっていると推察されよう.日本では「部下を公平に扱う」と同じ象限に位置するのは「誠心誠意」と「よい階級」であり,「部下に利益をもたらす」は大きく離れている.同じ「部下を公平に扱う」でも,中国ではリーダーから公平に扱われることが利益をもたらすことと関連していると認識され,日本人が「部下を公平に扱う」ことを重視する理由とは異なるのかもしれない.「部下を公平に扱う」が中国でも求められるという結果は新しいもので,90 年代から中国人のリーダーに対する条件が大きく変化しつつあるのか,それともその意味が変容しているのか,さらに考察が必要だろう.

次いで,問14,15,16 の質問群の回答データに数量化Ⅲ 類を適用した.第1 軸を基準に見ると,どの国・地域でも一方に「余暇」「やりとげた」「気の合った人たち」が,もう一方に「よい給料」「収入」が位置している.それに加えて「収入」よりも「よい給料」のほうが値が大きいこともどの国・地域でも共通しており,第1 軸に沿って金志向と非金志向の価値観を見ることができるだろう.各国・地域を通じてパターンが一致しなかったのは「倒産や失業がない」「ずっと働く」「仕事をやめる」の3 項目であった.「倒産や失業がない」は6 の国・地域(日本,北京,上海,香港,オーストラリア,インド)で金志向側に,4 か国(韓国,アメリカ,シンガポール,インド)で非金志向側に位置していたが,非金志向側の値はそれほど大きくはなかった.また「ずっと働く」「仕事をやめる」の位置も国・地域ごとに1 軸の違いが見られた.

日本は「ずっと働く」が非金志向の側に位置しており,働き続けるモチベーションとしては仕事における充実感や仕事仲間の存在のほうが金銭よりも大きいことをうかがわせる.アメリカ,シンガポール,オーストラリアも日本と同様の結果であった.

北京は日本と反対に金志向側に「ずっと働く」が位置しており,「やめる」が「やりとげた」「気の合った人たち」に近い.それに対して上海,香港,台湾は「ずっと働く」が非金志向側に位置しており,中華文化圏では北京のみが異なる傾向を示した.

韓国は第1 軸において「やめる」の値が最も大きく,「よい給料」よりも大きかった.韓国で,老舗が少ないのは,高度に成功し財産がたまると商売を止めてしまう伝統があるからといわれる.儒教の影響で「労働」は蔑まれるという.また,「収入」「余暇」「倒産や失業がない」「気の合った人たち」は中央に位置し,あまり効いていないようである.

インドは単純集計で「よい給料」と「ずっと働く」の回答が非常に多かったが,数量化Ⅲ 類では第1 軸において中央近く,左側に位置し,「余暇」「やめる」は右側に離れて現れた.

このように,ある程度の違いはあるが,全体として概観すると,問14,15,16 の国別の数量化Ⅲ 類の結果は,各国・地域のパターンは類似しているといってよいだろう.

そこで,国・地域の相互の関係を調べるために,問14,15,16 について全ての国・地域を合わせたボンド・データに数量化Ⅲ 類を適用した.図11a では3.3 節で述べた3 グループが明瞭に再確認できる.第1 軸の左側に「よい給料」,「収入が増える」,「失業の恐れなし」といった物質的利益を望む選択肢が位置し,右側には「やり遂げたという感じ」,「余暇」,「気の合った人たちと働く」など非物質的利益を望む選択肢が位置している.その左側にA グループの国・地域が入り,右側の上側(第1 象限)にB グループ,下側(第4 象限)にC グループの国・地域が集まっている.

図10 「収入か余暇か」「一生働くか」「就職の第一条件」(問14,15,16)への数量化Ⅲ 類の適用による各国・地域と各選択肢の関連(国別)

上:1 軸× 2 軸下:1 軸× 3 軸

図10 「収入か余暇か」「一生働くか」「就職の第一条件」(問14,15,16)への数量化Ⅲ 類の適用による各国・地域と各選択肢の関連(国別)つづき

上:1 軸× 2 軸下:1 軸× 3 軸

図11 「収入か余暇か」「一生働くか」「就職の第一条件」(問14,15,16)への数量化Ⅲ 類の適用による各国・地域と各選択肢の関連(ボンド・データ)

第1 軸の値が最も大きい日本には「やりとげたという感じがもてる」,「余暇が増える」が近く,北京と香港には「気の合った人たち」が近い.個々の数量化Ⅲ 類では全体的な類似点を概ね確認したが,ボンド・データを用いたことで,調査対象地域の3 グループ化の妥当性が,より明確になったといえよう.

因みにB の日本,香港,中国は儒教文化圏に属してはいるが,Inglehart & Welzel (2010) のグローバル・カルチュラル・マップでは,例えば香港は台湾と近く,中国は韓国と近いが,日本は儒教圏では孤立気味でむしろドイツの方に近い.Huntington (2002) の「文明の衝突論」でも,日本は独自文化圏として儒教圏とは切り離され,その文化的固有性が強調されている.

Inglehart (1977) 流の発展観では,図11 の結果は,日本,北京,香港いずれも経済水準が一定以上に高い社会がさらに発展していくことで,「収入」を重視する物質主義的な価値観から「気の合う同僚といっしょ」や「やりがい」といった仕事の内容を重視する非物質主義的な価値観に変化すると説明するのであろう(表2).しかし,そういった説明は,冒頭で述べたかつてのWeber と同様,欧米の偏狭な価値観の枠組みの考察かもしれない.実際,近年のInglehart (2007) の考え方は,往時とはかなり変貌を遂げたようである.アメリカ製の調査票を各国語に翻訳しただけで実施してきたWVS(世界価値観調査)のデータでは,所詮,表層しか見られず,しかも日本の特異性を説明するのに常に困難を感じ,日本例外論で逃げるだけであった.

われわれのこれまでの調査研究で,各国の人々の人間関係は,長年にわたり比較的安定したものであることを推察してきた(吉野・林・山岡, 2010).各国・地域の深層の価値観と表層の経済,政治,社会状況とは,相互に関連を持ちながら表れ出てくるのだと思われる.日本のバブル経済とその後の崩壊,中国の開放政策採用以降のあまりに急激な発展など,一時期には表層にかなりの混乱が見られることもあろうが,おそらく,やがては本来の安定した深層構造に戻っていくことであろうかと思われる.

5. 結びに代えて

「国際比較は意識調査の宝庫である」とは,統計学の碩学であり社会調査の方法論研究の大家でもあった林知己夫が,長年の経験から到達した認識であった(林, 1984, 2001, 2011 [p.158]).国際比較調査の研究では,国々を比較するという課題に挑戦する過程で,実は,各国内での調査では見過ごされてきた数々の方法論的問題が浮き上がり,それらの解決を迫られることになる.したがって,国際比較方法論の研究は,国際比較を目的としない一般の調査研究者にも考慮されるべき知見を与える.例えば,林は1990 年前後の国際比較研究で,表面上は一見,国民性とは直接関係の浅い「健康」状態を尋ねるような質問でも,実は各国民の自己開示性などの態度や意識の深層を表す可能性を見出している(吉野・林・山岡, 2010, p.108).

本論文では,環太平洋価値観国際比較調査の中で,職場,労働,職業に関わる質問項目に焦点を当てた.表層の職業や労働についての質問に対する回答解析から,各国や地域の人々の人間関係のあり方や人生の価値観の深層を多少なりとも浮き彫りにすることを試みた.

この2,3 年ほど,従来のGDP などの経済統計では測られない人々の生活の豊かさの計測を目指し,ブータンの提唱する「幸福度」という指標も注目されている.これは,人々の社会的関係を財産と見てこの20 年ほど展開されてきた,ソーシャルキャピタル(社会関係資本)研究の延長上に位置づけられよう.しかしながら,2012 年6 月20 日に開催された「国連持続可能な開発会議」では,経済成長の制約になりかねないと警戒する発展途上国の反対で幸福度指標に関する内容は削られた.各国の経済発展段階を含め,文化,歴史,政治,経済などの社会状況の差違と,各国や地域の人々の意識や価値観は多様であり,それを単純に単一の尺度で比べたり,厳格なルールで縛ったりするような政策は成功しないであろう.

「価値観」は,本稿のような限られたデータ解析で論じるにはあまりにも大きな研究テーマであるが,将来のより深い考察に寄与することが多少でもあるならば,幸いである.

脚 注
1  問11 では,選択肢ごとに「1 = 選択,2 = 選択しない」という変数を作成して数量化Ⅲ 類をおこなった.図には各選択肢の「1 = 選択」の値のみを掲載している.

2  「3 肢選択」項目であり,アメリカには4 つ以上を答えた回答者が65 人,インドには1 つしか選ばなかった回答者が84 人いたが,回答数が3 もしくは2 の回答者のみに限定して分析した.

謝 辞

本研究は,本研究は日本学術振興会による科学研究費補助金・基盤研究S(課題番号No.22223006)及び基盤研究A(課題番号No.18252001)の支援によるものである.これは,これまでの統計数理研究所の一連の調査研究の延長上にあり,文部科学省研究振興局学術研究助成課,機関課,情報課,日本学術振興会,トヨタ財団,日本財団,笹川財団をはじめ官民の多くの方々や団体の御支援を得て遂行されたものであり,深く感謝いたします.本稿の論文の改稿については,匿名査読者3 名の方々の貴重なコメントをいただき,また特に数量化理論の適用については,林文・東洋英和大学教授のご指導を受けました.深く感謝いたします.

References
 
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