生物物理
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NMRから見たアミロイドβペプチドの線維化機構解析
廣明 秀一
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2022 年 62 巻 1 号 p. 39-42

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Abstract

アミロイドβ(Aβ)ペプチドに対する抗体医薬品アデュカヌマブ(米Biogen社,日本ではエーザイが発売予定)の認知症治療薬としての米国承認を受けて,アルツハイマー型認知症に関係するAβ多量体の分子病態に対する注目が高まりつつある.本稿では固体NMRと溶液NMRが明らかにしてきたAβ多量体の構造多型について紹介する.

1.  アミロイド仮説と修正アミロイド仮説

2021年6月に,アミロイドβペプチド(Aβ)の可溶性オリゴマーに結合する組換え型ヒトIgG抗体医薬品アデュカヌマブが,米国食品医薬品局(FDA)によりアルツハイマー型認知症(Alzheimer’s dementia, AD)治療薬として認可された.これまで多くの抗Aβ抗体の医薬品開発が失敗したなか,1:10,000の特異性でAβ単量体よりも可溶性オリゴマーに結合するアデュカヌマブの承認は快挙と言える1).その結果,AD発症原因ないし創薬標的としてのAβオリゴマーならびにアミロイド線維の構造多型性が改めて注目されつつある.

ADはアロイス・アルツハイマーが1906年にドイツで報告した進行性の認知症で,大脳皮質における神経細胞の減少,大脳の萎縮と老人斑と呼ばれるシミ様の沈着斑,神経細胞内の神経原線維の蓄積,などの所見を特徴としている.このうち老人班からはアミロイド線維と呼ばれるAβの不溶性凝集体が発見された.Aβは40または42アミノ酸(それぞれAβ(1-40),Aβ(1-42)と記載する)の凝集性の高いペプチドである.シナプス形成・修復に関わるアミロイド前駆体タンパク質APPからプロセシングにより切り出されてくる.なおAβ(1-40)が形成する溶解度の低い凝集体は,脳アミロイドアンギオパチー(cerebral amyloid angiopathy, CAA)という脳内毛細血管の出血,脳梗塞や白質脳症を伴う疾病の原因分子でもある.ADとCAAのいずれにおいても,アミロイド線維と呼ばれる繊維状の凝集体を含むAβの多量体の形成が,病気の発症,進行や重篤性に関わっているとされていた.これが初期のアミロイド仮説である.いくつかの家族性ADの家系からAPP遺伝子の変異が発見されたこともあり,この仮説には一定の説得力があった.

しかし試験管内のAβ研究が進むにつれ,形成されたアミロイド線維の溶解度が低く血流中に拡散しにくいため,初期のアミロイド仮説では,ADの神経細胞死を完全には説明できなくなった.その後globulomer2),ADDL3),ASPD4)といった分子量が小さく可溶性,拡散性かつ高毒性を持つオリゴマーが多数発見されるに至り,毒性オリゴマー仮説ないし修正アミロイド仮説として認知されつつある(図15),6)

図1

修正アミロイド仮説に関連したNMRで観察可能なAβペプチドのオリゴマーと線維形成の過程.溶液中では速い交換(①)のもとAβモノマーは複数の局所構造エレメント(模式図中の矢印はβストランドを,シリンダーはαヘリックスを表す)をとる.それらは異なる経路で線維形成の凝集核または線維伸長には関係しないオリゴマーをゆっくりと形成すると考えられており(②),凝集核から線維伸長が起こるとされ(④),一方③の経路は進みにくい.オリゴマーの中に高毒性の分子種があり,それが神経細胞死を誘導する,というのが最新の修正アミロイド仮説である.

アミロイド仮説ならびに修正アミロイド仮説の研究を進めるにあたり,NMR法の果たしてきた役割は大きい.近年のクライオ電子顕微鏡による単粒子解析の高分解能化が達成されるまで,凝集性が高く単結晶が得られにくいAβ線維の精密原子モデル構築は固体NMR法の独壇場であった.一方で水溶液中では高い構造揺らぎを有すると考えられているAβモノマーや,界面活性剤存在下などの特殊な条件でのみ観測される安定なAβの二量体・三量体などの構造解析には,安定同位体標識を用いた溶液NMR法が大きく貢献した.ただし,修正アミロイド仮説の登場により分子病態解明の本命と目されている毒性オリゴマーについては,低分解能の電子顕微鏡像が知られているのみで,精密な構造情報は未だ得られていない.現在多くの研究者が,これら毒性オリゴマーはアミロイド線維が伸長するための凝集核とは別の構造体であり,凝集のための中間体ではないと考えている(図1).そのため,毒性オリゴマーの形成阻害や排出が,新たなAD治療薬の創薬戦略として注目されている.

2.  固体NMRが明らかにしたアミロイド線維の構造

これまで,試験管内の凝集実験からは,Aβ線維の形成最初期に,数分子からなる凝集核が形成され,そこに単量体Aβが付加して伸長していく核依存的凝集過程が提案されていた.固体NMR研究者は,由来の異なるAβ線維試料のスペクトルの違いから,Aβ線維の構造多型の存在を予見していた.更に,一度形成させた線維を超音波などで破断し,そこに新規にモノマーを添加して重合させるという破断と成長のプロセスを複数回繰り返し,多型性の少ない試料調製の方法も確立された.この手法をAD患者の脳由来試料に適用することで,臨床検体由来の線維に特徴的な多型が明らかになった7)図2はこれまでPDBに登録されているAβ線維と単量体の固体・溶液NMRおよび電子顕微鏡構造から,特徴的なパッキングを有する構造を抜粋した.また,図2Dのみは,2回対称軸のあるモノマー分子内と分子間での複雑なパッキングがわかるように側鎖を図解した.

図2

固体NMR・クライオ電子顕微鏡・溶液NMRで決定されたアミロイド線維およびAβ単量体の構造.A,PDB ID: 2LMN,Aβ(1-40),固体NMR,B,PDB ID: 2LMQ,Aβ(1-40),固体NMR,3回対称軸を持つ珍しい構造,C,PDB ID: 6OC9,Ser8がリン酸化されたAβ(1-40),固体NMR,D,PDB ID: 6SHS,アルツハイマー病患者脳から抽出された線維を核として再形成されたAβ(1-42),クライオ電子顕微鏡による単粒子解析.E,PDB ID: 1HZ3,Aβ(10-35),中性水溶液,F,PDB ID: 1IYT,Aβ(1-42),80% HFIP中,よくMD計算に用いられる,G,PDB ID: 2LFM,Aβ(1-40),中性リン酸緩衝液中,H,PDB ID: 6RHY,DPCミセル中の四量体構造.

構造中ではAβの主鎖が形成する長い1本のβストランドが上下方向に大きく湾曲し,分子内では側鎖間の密な疎水的相互作用が,その特徴的な分子構造を固定している.こうして構成されたAβの2分子ないし3分子からなる層が,繰り返して積層し,アミロイド線維の特徴であるクロスβ構造として分子層間で平行βシートを形成している点が共通している.しかし興味深いことに多型間で共通する側鎖間相互作用はない.このような構造の形成過程は,線維の第1~3層からなる凝集核を鋳型として,線維構造が伸長していくというモデルによってのみ説明可能である.また,これらの結果から,Aβの二量体を基本構造とするものと三量体を基本構造とするものの少なくとも二系統が存在することが明らかになった.

3.  溶液NMRから見たAβモノマーの構造

それではこうしたAβ線維を作る「原料」であるモノマーの溶液構造はどのようになっているであろうか?この疑問に適した手法が溶液NMR法である.溶液NMR法は,解析可能な分子量の上限があるという点で,Aβ線維やオリゴマーの解析には向かないものの,安定同位体標識と組み合わせることで,水溶液中のみならず有機溶媒や界面活性剤中での分子の立体構造や平衡状態を捉えることが可能である.2021年6月の時点で,PDBには15を超えるAβモノマー(Aβ(1-40),Aβ(1-42) およびそれらの部分ペプチドを含む)のNMR構造のエントリーがあり,その9割以上は分子全体ないし分子中央部分にαヘリックス構造を含むバラエティに富んだ構造群をなしている(図2E~G).ただし単にリボン図を眺めるだけではなくそれぞれの測定条件を精査すると,ヘキサフルオロイソプロパノール(HFIP)を含む溶媒やドデシル硫酸ナトリウムなどのミセル中の溶液構造が多い一方で,中性・生理的条件に近い構造の決定例は少ない.なおHFIPはペプチド化学でよく用いられるαヘリックスの強力な誘起剤である.また生理的条件に近い中性付近の水系緩衝液中でAβのCDスペクトルを測定すると,αヘリックスを含まないランダムコイル様スペクトルが再現よく観察されるため,αヘリックスを主体とした多くのNMR構造との整合性は低い.数少ない水系溶媒での溶液構造のPDBエントリーは,1HZ3図2E)と2LFM図2G)だけであり,後者は分子中央に短いヘリックスを含むもののNとC両末端は大きくディスオーダーしている.水溶液中のAβ(1-42)のアミド基の1H NMR化学シフトが天然変性タンパク質に典型的な領域(7.5~8.5 ppm)に観測されることと併せても,Aβは分子全体において安定でコンパクトな立体構造はとっていないと考えるのが妥当である.

なおDPCミセル中の溶液NMRによる構造解析では,Aβが形成するβヘアピン2分子と,Aβ分子の半分で形成された1本のβストランド2分子が組み合わされた四量体構造が観察されている(図2H).他の知見とも合わせると,以下のような線維化の初期過程が予想される.すなわち(1)ランダムコイルまたは一部ヘリックスを含むAβが脂質膜上などで集積し,(2)βヘアピンへと構造転移を起こし,(3)それがさらに分子間のクロスβストランド構造へと変化する.それが(4)凝集核となりアミロイド線維が伸長するのではないか,という機構であり,その検証が待たれている.

4.  Aβ阻害剤探索,その現状と展望

以上のように,Aβ単量体は生理的条件の水溶液中で天然変性状態にあるが,毒性オリゴマー形成や線維伸長の核形成の際には特定のコンフォメーションに固定される必要がある.そのため,この構造転移を阻害する低分子化合物の探索が古くから試みられてきた.しかし明確な薬剤結合ポケットを持たないAβは,鍵と鍵穴を想定した従来の創薬スキームを適用しにくく,現時点でも高活性の阻害剤は見出されていない.

筆者らは15N標識したAβ(1-42)の二次元NMRスペクトルの変化を指標に,凝集阻害活性が報告されているポリフェノール類とオスモライト(糖類)の評価を行った.トレハロース・スクロースなどの糖類を高濃度に添加した溶液中と,生理条件の緩衝液中とではAβ(1-42)の取りうる構造アンサンブルがごくわずか変化する.高濃度オスモライトは実際に核形成を阻害し,最終的に線維形成を阻害すると考えられている.他方,クルクミンやEGCGといったフェノール性の食品成分は,トレハロースやスクロースと異なり,はるかに低い濃度でAβ(1-42)の線維化を抑制する.ほぼ同等の条件で,Aβ(1-42)のアミド基の化学シフトが変化するが,その変化は高濃度オスモライトが与えるそれとは異なっていた.また,NMR測定濃度・条件におけるAβ(1-42)は,5°Cでは長時間にわたり単量体状態を保っているが,37°Cに昇温すると速やかに白濁を始めるとともにアミド基の化学シフトにも変化が現れ,その構造アンサンブルが変化したと推測された.そこでNMRで観測されたこれらのわずかな化学シフト変化を可視化すべく,二次元NMRシグナルの化学シフトそのものを主成分分析することで,アミロイド形成阻害の機構の分類を試みた(図38).通常の創薬標的と候補薬剤によるNMR滴定実験は化学シフト変化の大きさを色別に立体構造上にマップする表示法が一般的である(図3破線より上).しかしこの方法は化合物の結合に伴い標的タンパク質の構造が変化しないことが大前提であり,天然変性タンパク質であるAβの系には利用できない.一方で,標的が天然変性タンパク質である場合は,化合物や溶媒成分が,標的分子の複数の過渡的な局所構造間の平衡状態に影響を与えることになる(図3破線より下).主成分分析は,化学シフトマッピングにかわる方法であると期待している.

図3

rigidな標的タンパク質に対するNMR医薬品スクリーニング[破線より上]と天然変性タンパク質を標的としたNMRスクリーニング[破線より下]の違い.化合物の結合に伴いrigidな創薬標的はその立体構造をほとんど変化しない.化合物の添加により例えば1H-15N二次元NMRスペクトルのアミド基シグナルは変化するが,その変化は化合物の接近による影響のみと解釈可能なため,変化量を立体構造上にマッピングすることで結合部位が可視化できる(右上).標的が天然変性タンパク質の場合は,化合物の直接結合のみならず化合物による液性条件のわずかな変化でも,異なる局所構造間の平衡状態が変化しやすい,そのような平衡状態の変化もNMRスペクトルに顕れるが,それを単一の立体構造上にマッピングするのは適切とは言えない.

5.  おわりに

世界的な高齢化社会の進行に伴い,我が国のみならず中国,欧州,米国でも,認知症の治療と予防は喫緊の社会的課題となりつつある.しかしADの発症機序については修正アミロイド仮説の他にも,Tau仮説,歯周病菌原因説など,多くの仮説が乱立し,創薬戦略が確定しづらい.アデュカヌマブの承認は朗報だが,抗体療法が高価であることを考えると,低分子治療薬の開発は急務である.しかし溶解度の低さ・凝集性の高さからAβ(1-42)やそのオリゴマー試料の取り扱いは困難であり,前述のようにAβ毒性オリゴマーの立体構造は未だ解明されていない.クライオ電子顕微鏡法の長足の進歩,1.2 GHzを超える超高磁場高感度NMRの実用化など,新規技術が今後のAβ研究に積極的に活用されることを期待したい.

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Biographies

廣明秀一(ひろあき ひでかず)

東海国立大学機構名古屋大学大学院創薬科学研究科教授・研究科長

 
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