生物物理
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談話室
キャリアデザイン談話室(11) 悩んだら思考をやめて行動する
西川 宗
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2022 年 62 巻 3 号 p. 198-199

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1.  キャリアの不安は軽減できる

将来が予測できないVUCA(Volatility/Uncertainty/Complexity/Ambiguity)時代にあって,企業では社員のキャリアデザインの重要性が高まっている.かたや大学では,多くの大学院生や任期付研究員の方々がキャリアデザインに不安を抱えているという.

人それぞれ背景が異なるので解決策を提示できるわけではないが,不安を軽減して前を向く方法はひとつ知っている.WILL(願望や興味),CAN(能力や知識),MUST(周囲の期待)を可視化して,その時点での答えを自分なりに導いた若手研究者時代を紹介し,お世話になった生物物理学会への恩返しとしたい.

2.  WILL / CAN / MUSTが弱いと迷走する

経済学の教授である父の仕事を理解していたわけではないが,独特の言い回しや孤高の雰囲気は十分にミステリアスで,小学生の息子にとっては自慢であり超えたい目標ではあった.タミヤのカタログを夜中まで読んでいる工作少年のWILLは「理系の何かの教授になる」だった.ただ,学校の授業は退屈で非効率に思え,勉強は参考書を読んで済ませていた.

今思えば浅慮であったが,創薬に未来を感じ大阪大学の薬学部に進学した.服薬だけで病気を治す薬学のほうが医学より尊いと信じていた.大学には父に似た孤高の存在が沢山おり居心地よく,このまま教授になればよいかと楽観的であった.ただ,念のため薬剤師免許を取得する程度には将来に不安を感じてはいた.

修士課程では蛋白質の構造解析による薬物デザインに想いを馳せたが,X線でもNMRでも動的な活性部位は信号が平均化され消えていた.これでは薬が作れないぞと勝手に悩み,装置や実験の解説書や文献を読んでは,MUST(ラボの主流テーマ)から遠い独りよがりの研究に没頭して時間と経費を浪費していた.

悩んだら思考をやめて行動するに限る.「立花隆・100億年の旅(朝日新聞社)」を読んで,平均では捉えられない蛋白質1個の挙動を高感度計測する医学部の柳田敏雄研究室を知った.なるほどミクロ経済学のアプローチか,と妙に納得したので研究室を訪問したところ,魔改造で原形を留めていないニコンの顕微鏡と縦横無尽に飛ぶレーザーに心を奪われた.この分野では自分にCANがなく不安であったが,気絶寸前まで自分を追い込んで学ぶ覚悟で転部を決めた.

薬学部の教授に転部を伝えると,長時間の説教で気絶寸前まで追い込まれた.MUSTへの貢献なく好き放題するのは勝手であったなと猛省した.

3.  CAN(能力や知識)は無我夢中の過去にある

博士課程では分子モーター・ミオシンⅥの歩行の可視化に挑戦した.ミオシンはラボの主流テーマであり,成功すればCNS(Cell, Nature, Science)誌だと言われていた.ここが人生の分かれ道だと毎日深夜まで顕微鏡室に潜ると,運よく狙いの結果が得られた.論文投稿に向けてチームが編成され,証拠固めの追加実験が粛々と進んだ.組織とMUSTの心強さを満喫した.

しかし運もここまで.Stanford大学のライバル研究室に論文発表で先を越されCNS誌は夢と消えた1).この成果で学振研究員に採択されて幾らか慰めを得たが,人生を奪われたように錯覚して大いに怒り憤った.今思えばCANが不足していただけである.

ミオシンVIはまだまだ面白い計測対象であった.分子構造では短足だが歩幅は40ナノメートルもあり,逆方向に移動する.歩行ではなくムーンウォークよろしく滑るなら大発見であり,足の動きを高い時・空間分解能で計測するため特殊な顕微鏡をいくつか構築する必要があった.ただ,数年を賭ける研究計画であり,失敗したら薬剤師だなと将来に恐怖していた.

無我夢中だった.柳田研や木下研の系譜の偉大な先輩達を訪ねて教えを請うた.生物物理若手の会の会長時代に育んだコミュニティは多様な知識と視点を与えてくれた.ソーラボのカタログはタミヤよりずいぶん厚かったが,版改訂のたび最初から最後まで熟読した.いくつもエンドミルを折ったがフライス盤も旋盤も楽しかった.ERATOの遺産,あの魔改造の顕微鏡システムを解体して学び,光学系もレーザーも信号制御もソフトもすべて刷新した.狂気だ浪費だと揶揄されたが,たしかに顕微鏡開発に憑りつかれていた.

ようやくS/Nの良いデータを大量に取得できるようになり,自動化した統計解析からレアイベントが定量的に吐き出された.結果は後にCell誌のArticleに掲載されることとなる2).助教としてラボ運営を学び,医学部の講師を兼任して授業も経験した.夢に向かっていたのか恐怖から逃げていたのか定かではないが,無我夢中の後に振り向けばCANが増えていた.

4.  WILL(願望や興味)はプライドを捨ててエグる

転機は死角からやってくる.研究生活は上向いて安定したが,私生活が乱高下して人生の優先順位が変わった.キャリアデザインを再構築する必要に迫られ,言い訳と奇麗事を排除して「やりたいこと」「やりたくないこと」を自問する数週間を過ごした.

自作の顕微鏡や解析ソフトが同僚や学生の役に立つのが快感だった.もっと沢山の誰かに使って貰いたかった.一方で研究者の資質には疑問があった.ミオシンVI以上に面白い計測対象がなかった.教職者の資質には問題があった.学生は海外のWikipediaやMOOCで学ぶのが効率的に思え,授業の準備は苦痛だった.

顕微鏡メーカーへの転職ですべて解決する気がした.WILLは世界中の科学者が使う倒立顕微鏡を開発すること.CANは大学側の技術や知識とコミュニティ.これをMUSTと認めてくれるメーカーを探せばいい.

子供時代の夢を諦めたようでどこか恥ずかしく,任期なし助教の転職はもちろん教授に申し訳なかった.しかし悩んだら思考をやめて行動するに限る.運よく最初に打診した顕微鏡メーカーに内定を頂いた.

5.  MUST(周囲の期待)は求めずに引き寄せる

33歳でニコンの開発に転職し,まずは存在価値を示すべく小さな製品開発で少しずつ実績を積んだ.大学を訪問すると「人間まるくなりすぎ」と揶揄われたが,組織で夢を叶えるために効率的な形態に自分を換えた.明確なキャリアデザインだけ周囲に示しておけば,下品に求めるより確実にMUSTを引き寄せる気がする.ほどなくして倒立顕微鏡の全ラインナップ刷新のプロジェクトを任された.大きな仕様の採用や断念のたび,大学のコミュニティの叱責と激励を勝手に想像して開発を進めた.大規模開発は苦難の連続だが,WILLなので体力も精神力も無限に湧いてきた.

2016年にローマで開催した製品発表会にて,プロジェクトマネージャーとして満員の会場で開発秘話を語った.3大工業デザイン賞のひとつiFデザイン賞はニコン全社で初の金賞だった.リリースから1年たった頃,期せずして商品企画の責任者を拝命した.今はすべての光学顕微鏡と関連製品を対象に,次の達成と感動を探す旅を楽しんでいる(楽ではない).

6.  若手研究者の未来は明るい

キャリアデザインとは自己の特殊性と外界の需要のマッチングであり,WILL(やりたいこと)をMUST(やるべきこと)として承認するのが大学か企業か,はたまた起業かという問いの定期点検である.しかし希少なCAN(できること)を設定しないと人材競争にさらされ安寧はない.英会話やプログラミングなど汎用的な能力も素晴らしいが,かならず自身の内面の狂気をCANに据えて他者と差別化してほしい.

将来が予測できない時代というが,労働市場が多様な人材と働き方に解放された実力主義かつ機会平等の時代でもあり,若手研究者にとっては朗報でしかない.「博士号は足裏の米粒」のわけがない.研究の世界では珍しくもないが,過酷な実験や失敗の反復に耐える肉体的・精神的な強靭さ,執拗な議論で鍛えられる批判的思考,学会発表や論文執筆で培われる論理的思考,科学やデータへの正しい接し方,いずれも企業では研究開発やマーケティングに必須な希少な能力である.

悩んだら思考をやめて行動するに限る.思考が詰んだから悩んだのであり,行動で追加の判断材料を得るまで思考は機能しない.前を向いて内なるWILLとCANを再定義いただき,それが弊社のMUSTであれば,ぜひ採用面談でお会いしましょう.

文献
Biographies

西川 宗(にしかわ そう)

(株)ニコン・ヘルスケア事業部・商品企画課長

 
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