生物物理
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談話室
パルスEPR法による光合成電子伝達鎖の研究―河盛阿佐子氏IES fellow受賞に寄せて―
三野 広幸
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2022 年 62 巻 5 号 p. 307-309

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1.  ISE fellowについて

2022年度の国際EPR/ESR学会(International EPR (ESR) Societyにおいて河盛阿佐子氏(関西学院大学名誉教授)がIES fellowを受賞(就任)されました.この稿では賞についての概要と受賞内容,河盛先生のご経歴について紹介いたします.

河盛阿佐子先生

贈呈式での紹介スライド(Rocky Mountain Conference およびSpin Chemistry Meeting 2022)より

IESは電子常磁性共鳴((EPR)/電子スピン共鳴(ESR)についての国際的な学会です.1989年に各国の電子スピン研究についての学会を連合する場として,ヨーロッパやアメリカ,アジアで行われる国際会議や,夏の学校などをサポートしています.また,各種賞により研究者を顕彰しています.日本では電子スピンサイエンス学会(SEST)が窓口となっています.IES fellowは当該分野での幅広い功績が評価される賞です.これまでもEPR研究では歴史的な方々が受賞されています.日本からは廣田襄先生,工位武治先生,内海英雄先生が受賞されています.女性としてはSandra S. Eaton氏以来2人目の受賞となります.

これまでのIES fellowのなかで生物関連での応用が知られているのはG. Feher,J. Norris,B. Hoffman,D. Britt,W. Lubitzなどの方々の名前があげられるでしょう.EPRの研究は生物物理とも親和性が高く初期の頃から生物研究への重要な役目を果たしてきました.

2.  河盛先生の研究

河盛先生は生物物理としてはEPR法を用いて光合成タンパク質を中心に研究を進められました.光合成反応中心タンパク質は光エネルギーを化学エネルギーに変換する機能をもったタンパク質です.タンパク質は光化学反応やラジカル,錯体の基礎的な研究としても優れた素材といえます.通常の溶液系での光化学反応では座標のゆらぎが大きいですが,タンパク質は精巧にデザインされているために,電子移動反応などを精密に解析することができます.そのためEPR研究では理論を試す場として光合成分野は重要視されてきました.もちろんEPR法は光合成機構を明らかにする手法でもあります.

河盛先生が特に精力的に進められていたのは光化学系IIの構造と機能の研究です.光化学系IIは光合成の酸素発生の部分を扱うタンパク質であり,そのメカニズムはわかっていません.河盛先生はEPR法を用いて光化学系II内の電子移動酸化還元分子間の距離を測定し,それらの立体的な配置を測定されました.2011年に岡山大学らのグループによって光化学系IIの結晶構造が解明されましたが,河盛先生の求められていたラジカル間配置は結晶構造と比較しても非常に正確であったことがわかります.河盛先生がこれらの距離測定を通して行った新しい測定手法は距離測定にとどまらず,生物物理研究のなかでも広く有効に使われています.専門的な手法が多いのですが,なかでも一般の研究者の方になじみがあるのはパルス電子電子二重共鳴PELDOR/DEERと呼ばれる手法だと思います.この手法は2種類のマイクロ波を使ってラジカル間の距離を測定する二重共鳴法の一種です.この手法を試した当時はマイクロ波ソースがなかったので研究室に2台あったEPR装置をおよそ5メートルのセミリジッド導波管で接続して測定したのを覚えています.PELDOR/DEER法を開発したロシアのTsvetkov先生らが当時来学し一緒に画面を眺めているとみたことがないようなきれいな振動パターンが現れたのでずいぶん興奮したことを覚えています.精巧に分子が配置したタンパク質系ならではのことであったと思います.今後はPELDOR/DEER法が広く生物物理分野で適用されることだろうと確信しました.その後,欧州では研究が進み標準的な手法として展開されるに至っています.日本ではおそらくいまだ認知度は低く,広く普及することができなかったことは残念です.

3.  河盛先生のご経歴

河盛先生は大阪大学物理の伊藤順吉先生の下で学位を取得されました.伊藤先生は日本の磁気共鳴の草分けです.学部生の頃は伊藤先生がSlichterのところでもらってきたパルスNMRの回路図から装置を組み立てていたと伺いました.学位取得後,河盛先生は創立されたばかりの関西学院理学部でメーザーや強誘電体の研究を行ってこられました.初期の仕事としてはブルータスブルーの研究が注目されたと伺っています.河盛先生の研究の転機となったのはサバティカルをとりW. Mims,G. Feher,A. Hoff など世界の多くの研究室を歴訪されたときとのことです.また,国内でも理研の井上頼直研究室で植物の熱ルミネッセンスをみて感銘をうけたと伺っています.

河盛先生が光合成の研究を始められたのは50歳を過ぎてからです.私が学生として河盛先生の研究室に入った頃は,まだ光合成の研究を始められた頃で,誘電体の研究も並行して行っていらっしゃいました.河盛先生の背景にあるのは固体物理ですので,生物に関する知識はほとんどなかったといってもよいと思います.その頃の日本ではほとんど取り組まれておらず,欧米とはずいぶんギャップのあるテーマでありました.研究を始めた当初は内容について学会でもずいぶん怪しまれたように伺っていますが,持ち前のバイタリティーで高い水準にまで押し上げられました.

河盛先生は関西学院退職後,自らNPO法人アガペ甲山医学研究所をおこされました.EPR法の医学応用を目指されてのことでした.近代科学の歴史は物理から始まり化学,生物と波が押し寄せて,次の波は人間になるだろうという河盛先生の洞察によるものです.全く畑違いの領域にすでに70歳になってから取り組もうということには驚かされたものです.ただ,ご高齢のため,数年前に研究所は解散し,現在は研究からは引退されて静かに過ごしていらっしゃいます.

4.  最後に

2021年の夏,国際的な磁気共鳴学ISMAR-AMPERE学会が日本で初めて開催されました.大阪市大の工位先生は基調講演でEPRの歴史を振り返るなかで河盛先生のことを紹介されました.このことが今回の受賞のきっかけでないかと思います.受賞にご尽力くださった内外の先生方に,河盛先生の元学生の一人としてこの場を借りて御礼申し上げます.最後に,河盛先生の総説を文献としてあげてこの稿をおきたいと思います1)-3)

なお今回の受賞については次のホームページで紹介されています.https://ieprs.org/ies-fellow/

文献
  • 1)  河盛阿佐子 (1964) 電子スピン共鳴(出口安夫,大西俊一,諸熊奎冶編),pp. 169-178,化学同人,京都.
  • 2)  河盛阿佐子 (2000) 電子と生命(垣谷俊招,三室守編),pp. 70-88,共立出版,東京.
  • 3)  Bittl, R., Kawamori, A. (2005) Photosystem II (Wydrzynski, T., Kimiyuki, S., eds.), Springer, Dordrecht.
Biographies

三野広幸(みの ひろゆき)

名古屋大学理学研究科准教授

 
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