Seibutsu Butsuri
Online ISSN : 1347-4219
Print ISSN : 0582-4052
ISSN-L : 0582-4052
Salon
Scientific Career Design Tactics
Shinya HONDA
Author information
JOURNAL FREE ACCESS FULL-TEXT HTML

2022 Volume 62 Issue 5 Pages 310-311

Details

1.  経験論を超えて

研究者のキャリアデザインも,つまるところ生物の生存戦略のひとつであろう.ならばそれは学術研究に値する題材ではないか.そして生物物理学会にはその解明に資する知識と経験が充ちているのではないか.そんな乱暴な仮定を動機に無邪気に筆を進めてみる.

2.  大腸菌かタンパク質か

キャリアデザインは細菌の走化性のアナロジーで考えるのが適切かもしれない.ランダムな直進と適時の方向転換を繰り返すだけで,大腸菌は自らの生存に必要な目的を達成できる.ポイントは誘引物質の濃度の正確なセンシングだ.濃度勾配に向かっているときは少し長く直進し,逆に勾配に背いているときは早めに方向転換する.局所的な環境評価のみで大域的な正解に辿り着くことができる.研究者もキャリアの最終地点を初めから見通す必要はない.ただし,自らの研究が正しい勾配に向かっているかを頻繁にチェックすることが大切だ.時代とともに学術の状況も変化するので,意識的に方向を変えることも有効だろう.同じ場所で同じことを続けた研究者に大成した者は少ない.

キャリアデザインはタンパク質のフォールディングのアナロジーで考えるのが適切かもしれない.膨大なコンホメーション空間の中をタンパク質は迷うことなく実に短い時間で活性な天然構造にフォールドする.ポイントはフォールディングには適切な順番があるということだ.この順番を間違えるとoff-pathwayに迷い込み,寄り道した分子は到着が遅くなる.アンフォールド状態のタンパク質は多様なコンホメーションのアンサンブルだから,最初のフォールディング経路は分子ごとに当然異なる.しかし,山に降った雨が谷の清流から大河に集まるがごとく,最後は少数の経路を揃って進むことになる.研究者も最初のキャリアをどこから始めるかについて悩むことはない.いずれも正解なのだから.ただし,清流から大河に至る経路の選択は思案が必要だ.その際は,配列局所的な相互作用と非局所的な相互作用の間に矛盾があるとタンパク質はフォールドしないこと,即ち局所と非局所の無矛盾性がタンパク質構造の重要な構築原理であることを意識すると良いだろう.若いときに身に着けた知識やスキルを合目的的に組み合わせて矛盾なくセルフオーガナイズできるかが(老いて顧みたときにすべての経験が必然だったと思えるかが),研究者がミスフォールドに陥らないための条件になる.

タンパク質の立体構造は美しく,多彩だ.これを研究者のオリジナリティに準えてみる.多彩な立体構造は,局所と非局所の無矛盾性条件を満たす解が自然界に多数存在することを物語っている.研究者のキャリアにも無数の正解があるだろう.中には未だ発見されていないキャリアパスもあるに違いない.どうせなら既存を追うことより未踏の頂を目指したい.ところで多彩な立体構造の理由を探ろうとすると,タンパク質の局所構造のパターンは比較的少数であることに気が付く(実際はべき乗則に従う1)).この事実は,局所構造の種類よりも,それらの組み合わせこそが多彩な立体構造の源になっているとの理解を促す.知識やスキルの数をいたずらに増やすのではなく,いかに美しく組み上げるかが独創性の秘訣に思える.

3.  オートポイエーシスかラマルクか

タンパク質の天然構造は熱力学的最安定状態であり,アミノ酸配列に即して一義的に決定される.しかし,研究者のキャリアが個人の資質のみで決まることは少ない.組織の都合や社会の動向に大きく影響を受ける.他者の研究成果や研究者集団の志向も影響を与える.加えて,これらの研究者を取り巻く環境は流動性に富む.いきおい環境と研究者の関係性も動的になる.部分が全体を構成し,全体が部分を規制する再帰的構造になっている.ならばキャリアデザインはシステム科学の対象として考えるのが適切かもしれない.非線形,開放系,階層性,動的平衡,自己組織化などの特徴は,いずれもシステム科学の十八番である.実際,共同研究者ネットワークの構造解析が報告されたのは20年以上も前だ2).筆者が寡聞なだけで,既に先端的な研究が展開しているかもしれない.もし,研究者システムが定式化され,各人のシステム適合性の定量評価が可能になったらキャリアデザインはどう変わるだろう.①適合性が最大になるよう自身を変える,②自らの適合性が最も大きくなる地点を探し移動する,③適合性が最大になるように周囲の環境自体を変える,の三択ぐらいか.応募書類の見栄えは不毛となり,シミュレーションのスコアが支配する日々に様変わりするかもしれない.

研究者も変化し,研究者システムも変化する.ならばキャリアデザインは進化論の文脈で考えるのが適切かもしれない.ダーウィン進化論の核心は自然選択(変異と適応)である.研究者もこの宿命から逃れられないのだから,生物進化に学ぶことは少なくないはずだ.種分化と多様性,遺伝的浮動と中立進化,遺伝子の水平伝播,適応度地形,互恵的利他主義など,ヒントになりうる概念は複数ある.現代進化論においては疑義のある諸説,例えば用不用説や反復説も思考実験の教材としては有用だ.ただ,いずれの生存戦略を採ったとしても,環境適合の可塑性が重要なのは研究者も同様である.どのような状況であれ,固執と抵抗は愚策であることを認識しよう.

ところで研究者には無限回の試行に費やす悠久の時間はない.故に自然と同一の戦略は採れない.この問題に対し,進化分子工学では,変異の範囲や方向を合理的に限定したり,最終目的に合致した選択圧を大集団に一斉に負荷したりして,実験室進化の効率化を実現している.進化分子工学で培われた発想もキャリアデザインの戦術として有効かもしれない.加えて,研究者が通常望むのは,群の生存ではなく個の生存である.従って,この観点でも自然と異なる進化戦略を考える必要がある.答えのひとつは獲得形質ではないか.分子と異なり研究者には志がある.ランダムに変異する必然性は全く無い.学問の系譜を理解し,世界の先端を把握し,問うべき命題は何が本質かを考えよう.立つべき場所は,これまでの研究の延長線上ではなく巨人の肩でなければならない.

4.  最適化問題か機械学習か

キャリアの選択とキャリアの評価がキャリアデザインの枢要であるなら,組み合わせ最適化問題として考えるのが適切かもしれない.研究者と研究者システムがなす位相空間を表現するのに,どれだけのパラメータを用いれば十分なのか分からないが,相当なサイズの高次元空間になることは想像できる.NP困難かもしれない.しかし,優秀な近似アルゴリズムは複数あり,計算機の性能も向上している.サンプリングが問題になることはないだろう.一方,キャリアの評価は悩ましい.ここでは,研究者システムにおける適合性だけでなく,研究者本人の満足度も加味して目的関数を設定する必要がある.前者の客観性を保証することも難題だが,後者の主観性はどうモデル化すれば良いだろうか.「私の本望は何か」少なくともひとりひとりの研究者が,自身の価値観を形式知化し,使命や情熱を計算可能な尺度で表現することが必要になるだろう.

人生いろいろ,人の生き方に厳密解を求めるのは野暮かもしれない.しかし,古来より格言は伝え継がれ,書店にはいつも指南本が溢れている.浮浪雲も譲れぬ信念を秘めている.ならばキャリアデザインはAIで考えるのが適切かもしれない.諸先輩の金言は有益だ.しかし,研究者ならサイエンスとして論じてみたい.時代はデジタルトランスフォーメーションである.因果はブラックボックスでもルールは抽出できる.全会員のキャリアパスを学習させたプログラムの開発も非現実的と思わない.学者たるもの自らの行き先を己の見識で決せずして何とする.そんなお叱りもあるだろう.しかし,プロ棋士でもAIに学ぶ時代である.AIを使えない棋士は一流を保てないそうだ.研究者だけがアナクロでいられるわけがない.キャリアデザインとは何か.それはスマホのサブスクアプリをタップすることである.そんな未来は遠くないかもしれない.

文献
Biographies

本田真也(ほんだ しんや)

産業技術総合研究所バイオメディカル研究部門・副研究部門長

 
© 2022 by THE BIOPHYSICAL SOCIETY OF JAPAN
feedback
Top