2022 年 62 巻 6 号 p. 331-333
左右円偏光の光をキラル分子に入射して得られるラマン散乱光の強度には微差が生じる.これはラマン光学活性と呼ばれて,溶液中の分子のコンフォメーションを鋭敏に反映した分光スペクトルを示す.本稿では,ラマン光学活性を利用したプロテオロドプシン(バクテリアの光駆動型H+ポンプ)の活性部位の構造解析を紹介する.

アミノ酸が重合して組みあがったタンパク質の内部ではアミノ酸残基が構造の制約を受けながらパッキングされている.そのため,タンパク質中に基質や補欠分子が結合すると,これらの分子にも構造自由度の制限が生じて分子は変形してゆがむ.このような分子の構造ゆがみはタンパク質の機能と結びつくことも多い.例えば,酵素における基質の構造ゆがみは反応を進める効果があると考えられており,“ひずみ効果”として知られてきた.また,補欠分子として色素を内包した光受容タンパク質では,色素の構造ゆがみが吸収極大波長を決める一因になり,これはタンパク質がどの光色を受容するかに直結する.このようなタンパク質中のゆがんだ分子の姿を調べる場合,一般に結晶構造が参照される.しかし,空間分解能よりも小さな分子ゆがみの可視化は容易ではなく,また“正確には見れなくても仕方ないもの”と暗にあきらめられることも多いと思う.
分子に右回り円偏光と左回り円偏光の光を入射して得られるラマン散乱光の強度に微差が生じる現象を,ラマン光学活性(ROA: Raman optical activity)という(図1)1),2).この微差をプロットしたROAスペクトルは分子の立体構造を極めて鋭敏に反映することから,ROA分光法は溶液中の分子の立体構造の観測に最も強力な分光手法として知られてきた.ラマン散乱は入射光で生じる分子の分極に由来し,この分極は光電場で生じた電気双極子が主成分である.しかし,磁気双極子や電気四重極子がごくわずかに含まれており,このような微弱な分極成分がROAの原因となる1),2).“ラマン光学活性”という名の通り,ROA信号はキラルな分子でしか観測されない.タンパク質に結合した分子は一般にゆがんでキラルとなるため,これらタンパク質に結合した分子のROAスペクトルを測定すれば,その構造ゆがみを鋭敏にとらえることになる.

ラマン光学活性(ROA)の概略.
著者らはROA分光法を光受容タンパク質の活性部位の構造解析に応用してきた.光受容タンパク質は活性部位に色素分子を持つタンパク質群であり,色素の光化学反応を通してタンパク質が光感知等の機能を果たす.先に述べたように,この色素分子の構造ゆがみが吸収極大波長を決める一因であり,その光化学反応には(酵素反応と同様に)“ひずみ効果”が潜んでいる.そこで,著者らは光受容タンパク質の活性部位の計測を目的とした近赤外ROA装置を開発し,種々の光受容タンパク質の色素分子のゆがみ構造を明らかにしてきた3)-7).本稿ではバクテリアの光受容タンパク質であるプロテオロドプシンにROA分光法を応用した結果を紹介する8).
プロテオロドプシンはバクテリアの光駆動型のプロトンポンプとして働く膜タンパク質である(図2A).微生物型ロドプシンといわれる光受容タンパク質ファミリーの一種であり,7回膜貫通型構造の内部にシッフ塩基を介してレチナール色素が結合している.プロテオロドプシンは最も広く分布した身近なプロトンポンプとして知られる一方で,結晶構造は未だ解かれておらず,立体構造情報はほとんど皆無といっていい.そこで,ROA分光法を用いてプロテオロドプシンの活性部位の色素構造を調べた.

(A)プロテオロドプシンのNMR溶液構造(PDB ID: 2L6X),(B)プロテオロドプシンのラマン/ROAスペクトル.CH面外変角振動領域の正のROAバンドを矢印で示した.
図2Bに示すのは,励起波長785 nmを用いて得られたプロテオロドプシンのラマンスペクトルとROAスペクトルである.この近赤外領域の励起波長を使うとレチナール色素の振動バンドがほぼ選択的に観測される(前期共鳴ラマン効果という).ラマンスペクトルは,レチナール色素のC=C伸縮振動(1537 cm–1),C-C伸縮振動(1163, 1200 cm–1),およびCH面外変角振動(960 cm–1)等で構成され,全トランス体のレチナール色素に特徴的なC-C伸縮振動領域の強度パターンが確認できる.ROAスペクトルには,これら色素の振動バンドが,ラマンバンドの約5 × 10–5の強度比で観測された.プロテオロドプシンのROA信号は,タンパク質の中でレチナール色素がゆがんで光学活性となった結果である.プロテオロドプシンのROAスペクトルは概ね負の振動バンドが見られるが,CH面外変角振動モードだけ正のバンドを示す点に特徴があった.この弱い正のバンドには再現性があり,またこれまで報告した微生物型ロドプシンのROAスペクトル4),7)には見られない特徴であったため,プロテオロドプシンに特有なレチナール色素のゆがみ方があると考えられた.
レチナール色素をキラルにするゆがみはポリエン鎖の面外への変形である.この面外ゆがみには2種類が考えられ,一つは「ひねり」,もう一つは「たわみ」である.図3Aに示すように,ひねりはポリエン面の捻じれであり,たわみはポリエン面の折れである.図3Bは,レチナール色素のポリエン部分に対して,これらの変形を加えた構造モデルの量子化学計算を行った結果である.ポリエン鎖のβ-イオノン環側あるいはシッフ塩基側に,左回りのひねりを加えた構造(モデル1と2)は,すべて負符号の振動バンドからなるROAスペクトルを与える.一方で,ポリエン鎖をたわませた構造では,異なる強度パターンが得られる(モデル3と4).特に,ポリエンのβ-イオノン環側をモデル3のようにたわませた場合は,CH面外変角振動領域にだけ正の振動バンドが現れ,その他のバンドは負符号を示す.これはプロテオロドプシンで見られたROAスペクトルの特徴を再現しており,プロテオロドプシン中のレチナール色素の変形が主にβ-イオノン環付近のたわみであることを示唆する.

(A)ポリエンの「ひねり」と「たわみ」,(B)面外にゆがんだレチナールシッフ塩基のポリエン部位に対する量子化学計算(密度汎関数法:B3LYP/6-31+G**)の結果と実測スペクトルの比較;モデル1:β-イオノン環側をひねった構造,モデル2:シッフ塩基側をひねった構造,モデル3:β-イオノン環側がたわんだ構造,モデル4:シッフ塩基側がたわんだ構造.CH面外変角振動領域の正のROAバンドを矢印で示した.
プロテオロドプシンの近縁のタンパク質の結晶構造から,プロテオロドプシンのヘリックスF(6番目のαヘリックス)は中央部に310様構造が混ざりこんで変形していると予想されている9).このヘリックスの中央部はレチナール色素のβ-イオノン環と接しており,ヘリックスFの変形が色素分子のたわみの原因になる可能性がある.また,ヘリックスFの動作はプロトンポンプに重要になるとも予想されており9),ヘリックス動作と色素分子のゆがみが結びつくと興味深い.今後,プロテオロドプシンの結晶構造の解明によって,より正確な洞察が得られることを期待したい.
ROAは結晶構造だけでは知りえない光受容タンパク質の活性部位の立体的な変形を教えてくれる.そのユニークな特徴を生かした光受容タンパク質の研究を発信していきたいと思う.
プロテオロドプシン試料を提供していただいた田母神淳博士(松山大学,准教授)に感謝いたします.