生物物理
Online ISSN : 1347-4219
Print ISSN : 0582-4052
ISSN-L : 0582-4052
海外だより
海外だより
~ニュージーランドから~
竹内 信人
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2022 年 62 巻 6 号 p. 374-375

詳細

私は2018年からオークランド大学・生物科学科で上級講師として働いている.本稿では自己紹介と研究室紹介に加え,オークランド大学の海外事業展開と,ニュージーランド(略してNZ)で最近起きた科学と人種差別にまつわる事件について書きたい.

自己(研究)紹介

私の研究上の興味は,生物複雑性の進化だ.生物において見られる普遍的現象の1つに,遺伝情報の「伝達」と「利用」の分業がある.例えば,

・細胞を構成する分子は,遺伝情報を次世代に伝達するゲノムと,その情報を利用して様々な機能を果たす他の分子(酵素など)に分化している.

・多くの多細胞生物を構成する細胞は,遺伝情報を次世代に伝達する生殖細胞と,その情報を利用して様々な機能を果たす体細胞に分化している.

・真社会性動物のコロニーを構成する個体は,遺伝情報を次世代に伝達する女王と,その情報を利用して様々な機能を果たすワーカーに分化している.

この様に,遺伝情報の伝達と利用の分業は,生物の異なる階層で繰り返し見られる現象である.これを説明する一般原理を見出す為,私は多階層選択と呼ばれる過程を数理モデリングとシミュレーションを用いて研究している1).多階層選択とは,自然選択が生物の複数の階層で起きる事を言う.例えば多細胞生物の個体は細胞の集団から構成されるので,自然選択は個体内の細胞間のレベルで起き得る.また自然選択は多細胞生物の個体間のレベルでも起きるから,多細胞生物の進化は細胞と個体の2階層における自然選択の影響下にあると言える.大事なのは,この2階層の自然選択が対立関係にある場合だ.例えば癌細胞はその高い増殖率により個体内の細胞間レベルの自然選択に関しては有利だが,個体間レベルの自然選択に関しては不利と言える.詳しくは述べられないが,遺伝情報の伝達と利用の分業は,多階層選択がはらむ対立を解消する作用があるから進化するのではないかと考えている.この他にも,多階層選択はウイルスやプラスミドなど複数のレプリケーターを含む細菌ゲノムでも起き得ると考え,細菌のゲノム配列解析の研究もしている.

研究室紹介

私の研究室は現在ポスドク1,博士課程1,修士課程2,Honours課程1と私の6名で構成されている(Honours課程とは日本の大学4年次に相当する大学院課程;NZの学士課程は3年間).メンバーはヨーロッパ人,マオリ(NZの先住民),アジア人などの血を引く.

メンバーの研究は各人がテーマを独自に設定してするのが理想だが,現実には修士課程やHonours課程の学生には私がテーマを提案する場合がほとんどだ.今のメンバー達の研究テーマは以下の様になっている.

・個体ベースモデルを用いた,細菌集団において共生関係を生み出すゲノム進化の研究

・Cellular Pottsモデルを用いた,幹細胞の進化と形態発生の進化の関係の研究

・Cellular Automatonモデルを用いた,RNA worldにおける鋳型と触媒の分業の進化の研究

・公共データベースの解析を用いた,古細菌が病原性を持たない理由の研究

・ゲノム配列解析を用いた,溶原ファージとプラスミドが持つ細菌病原性遺伝子の機能的差異の研究

研究室の行事としては,いちおう自由参加としている2週間に1回の論文読み会/発表練習会を設けている(元々そういう行事はやってなかったが,学生が組織してくれた).個人レベルでは,できるだけ各メンバーと毎週2時間程度議論する様にしている(私が仕事に飽きた時は学生達のデスクに行って,かまってもらったりもする).

オークランド大学の海外事業展開について

本学重要政策の1つに,留学生からの学費収入の増大を図る事がある.その為に本学は2019年中国哈爾浜市の東北林業大学と共同でAulin College(奥林学院)という学部課程の運営を始めた.Aulin Collegeは東北林業大学の学生のみが入学でき,学生は4年間の学部教育のうち3年半を哈爾浜で,半年をオークランドで受ける.本来の計画では本学教員の一部が哈爾浜で出張授業を行い,学生に英語による教育に慣れてもらう予定であった(が今年はコロナ禍によりオンライン授業で代替).本学は哈爾浜での授業を無償で行うらしく,本学の収入は学生がオークランドにいる半年分の授業料だけだそうだ.一方,先方の大学はAulin Collegeの学費を一般のそれより高く設定しているらしい.本学がなぜこの様に一見不利な事業契約を結んだかというと,この事業を仲介した商社によると,学生は短期間でも特定海外大学に留学した経験を持つと,その大学の大学院に留学する確率が高まるので,第一陣の学生が学部を卒業するまで待てば,本学は継続的に大学院の学費収入を増大させられると見込まれるのだそうだ.

科学と人種差別:NZにおける最近の出来事

多くの旧植民地国がそうである様に,NZもまた先住民であるマオリへの差別の歴史を持ち,その傷を未だに癒せてはいない.例えばマオリの学士号取得率は他の民族より低い.この傷を癒す事は,政府の重要政策の1つになっている.その中で2020年政府は中高等学校課程の改訂を決定し,改訂点の1つをマオリの伝統的知識に平等な地位を与える事とした.これを受け政府審議会は,マオリ語による課程(英語による課程とは別)に関して次の記述を含む中間報告を出した(「 」は筆者訳,[ ]は注釈).「我々の目的は,マオリの伝統的知識が,本課程の他の知識体系(特に西洋/白人的認識論)と等価である事を保証する事だ」「プタイアオ[マオリ語で科学を含む科目の意]は,科学がヨーロッパ中心主義的世界観を擁護(なかでもマオリの植民化とマオリ語の利用制限を合理化)するのにどの様に使われたかについて,また科学は西ヨーロッパの発明でありそれ自体マオリやその他の先住民に対するヨーロッパの優越性の証であるという考えについて,議論や解析を促進する」.この報告への反対意見として,オークランド大学の教授7人は以下の記述を含む記事を一般誌NZ Listenerに載せた.「科学自体が植民化するのではない.科学は,文学や芸術がそうであった様に,植民化を助ける為に使われたのだ」「先住民の知識は文化や地域慣習の保持や維持に必須であり,運営や政治に関して重要な役を担う.しかし実証的で普遍的な知識の発見において,それは我々が科学と定義できるものには遥かに至らない.それを科学と等価と認める事は,先住民を見下し見捨てる行為だ」.その後,この記事は人種差別的または加害的だとする批判が巻き起こった.例えばNZ王立協会は,この記事は「マオリの伝統的知識は正当な真実ではないと示唆」するとし,記事を断固拒絶するという声明を発した.また2千名を超える署名を伴う公開書簡による批判もなされた.その後,上の記事の著者のうち,1人は理学部長職からの辞任,1人は生態学と進化学の授業担当からの除外,NZ王立協会フェローであった2人(内1人はマオリ)への協会による懲戒必要性の調査などが続いた2).結局懲戒は行われなかったが,後に2人は協会を自主的に脱退した.

マオリの伝統的知識がどの様なものを指すか,私は良く分かっていない.しかし政府機関が現在提案している英語による中高等学校課程(マオリ語による課程とは別)で教えるべき内容に,次の記述がある.「マウリ[マオリ語で生命の力,環境の持つ健康や生命を維持する力の意]は全ての物質に存在する.全ての粒子は自らのマウリを持ち,例えば分子,高分子,塩,金属などの中で,全体の一部として存在している.物質が小さな粒子に分解される時,それぞれの粒子はタイアオ[マオリ語で全ての環境条件の意]の一部として残り続ける.例えば物質が燃やされたり溶媒に溶けたりする時,粒子は,各々のマウリと共に,残り続ける.粒子は消失しないのだ.」

結び:オークランドに住んで

オークランドは東アジア系の人口が多く,自分が外国人だと意識させられる事はあまりありません.日常会話は英語で,気候は温暖,海に面して開放的だし,日本との時差も大きくなく,(良い事ばかりではありませんが)ここに住んで良かったと思っています.

研究室メンバー近影

文献
 
© 2022 by THE BIOPHYSICAL SOCIETY OF JAPAN
feedback
Top