生物物理
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海外だより
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~スタンフォードでの研究と生活~
藤森 大平
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2023 年 63 巻 2 号 p. 126-127

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アメリカで働いているポスドクとして,ごく個人的な体験について書きたいと思う.

私の研究

私の研究の中心には常に顕微鏡がある.博士課程では多細胞期と単細胞期を行き来する生活環を持つ社会性アメーバのエキゾチックな生態に強烈に惹かれ,東大総合文化研究科・澤井研究室の門を叩いた.細胞集団が運動する様子を顕微鏡と微小流体デバイスを使って観察し,細胞間接着による運動制御機構を明らかにした.単一細胞の観察を続けていると,運動様式や分化状態など細胞の持つ多様性に驚かされる.その多様性の根源を,遺伝子発現のオン/オフがまさに決定される場である細胞核とクロマチンの状態を可視化することでどの程度理解できるのかに興味を持つに至った.研究をするなら最も進んでいるであろうアメリカへ,というのと同じくらい素朴な動機である.

クロマチンを構成するヒストンやDNAへの化学修飾による遺伝子発現制御はエピジェネティクスと呼ばれる.そこで一細胞レベルでのエピジェネティクス動態を研究しているStanford大学Lacramioara Bintu研究室に,同研究室最初のポスドクとして加わった.コネも何もないところから突然アプライしてきた自分を採用していただけたのは幸運だったと思う.現在は,バーコード化されたDNA FISHによりクロマチン立体構造を可視化する技術を共同研究者の助けを得て構築し,エピジェネティック修飾の付加に伴う遺伝子発現の変化とクロマチン構造変化の定量的な関係を調べている.特に転写抑制を司るエピジェネティック修飾に注目し,修飾による遺伝子発現変化とその不可逆性がクロマチン構造から予測できるかに興味を持って研究を進めている.流体制御システムを一から構築する必要があった上,極めて素朴なモチベーションで決めた研究であった.当初考えていたプロジェクトが頓挫するなど紆余曲折もあった中,PIであるLacraが常に私の興味を尊重してくれることには大変感謝している.

研究環境

Bintu研究室はDepartment of Bioengineeringに所属しており,Shriram Centerに居を構える.この建物は2014年建立と比較的新しく,共用スペースにキッチンが備わっていたり,各人のデスクは全て電動昇降デスクであったりと環境は充実している.我々の部屋は地下階ながら採光用の大きなガラス窓が備えられており,閉塞感がなくとても良い.アメリカの新しい研究室らしく,Slackでの迅速な情報共有やオンラインツールでのインベントリ管理などシステムがよく整備されている.

現在メンバーの多くはエピジェネティック制御因子のハイスループットスクリーニングに取り組んでいる.そんな中で顕微鏡を用いたクロマチン構造観察は少し異なる路線であるが,お互いのデータが良いフィードバックになっている.研究室の専門分野を超えた技術を使って研究したい院生は,他の研究室とco-mentorされる形で複数の研究室に出入りできる.この柔軟さは特に機器類の揃っていない駆け出しの研究室には利点であり,共同研究が促進される.スタンフォード大学はとにかく広く様々な研究者がおり,何か興味のある技術があれば大抵そのスペシャリストがいるのが強みの一つだと思う.Shriram Centerでは地下階にある複数研究室が,Shriram Basement Seminarと題した研究室持ち回りでの発表を行っており,研究室間の交流を深めるのに一役買っている.他にもキャンパスワイドに通知されるセミナーはたくさんあり,情報を得る機会に恵まれている.日本人の研究者と交流する機会も存在し,筆者も所属するLSJ(Life Science in Japanese)や最近発足したJASS(Japanese Academic Seminars at Stanford),スタンフォードに加えてUCSFなどベイエリアの日本人研究者が参加しているBAS(Bay Area Seminar)などがある.

多様性と包括性

アメリカは人種や性をはじめとして多様性の高さを重んじている国であることは言わずもがなである.当研究室もルーマニア出身のLacraをはじめ様々なバックグラウンドのメンバーで構成されている.しかしながら,ただメンツが多様なだけで特定の誰かの声が大きかったり不当な扱いを受け続ける人がいたりしては機能しない.お互いへの理解を深め,包括性(Inclusivity)を高めて初めて個々人が活躍できる.Bintu研究室では,メンバーが自発的にminutes for diversityと題した人種差別問題や個人の生い立ちなどに関する数分間のトークを進捗報告発表の前に行っている(強制ではない).ある時はカリフォルニアの先住民についての話を聞き,またある時は大戦中に起きた日系人の強制収容の話も上がった.もっと個人的な,幼少時代に祖父が天文学を説いてくれたエピソードもあった.選挙が近ければ投票に行こうという呼びかけでも良い.研究の議論ばかりでは中々知ることのできないバックグラウンドや歴史を学ぶことができ,非常に勉強になる.

また,研究室ミーティングに講師を招いて,ジェンダー包括性と人称代名詞(her,himなど)についてのレクチャーを受けたこともある.知っているつもりでも,このケースではどれが正しいか?と真正面から訊かれると自信を持って答えられないことを認識した.真に全員が全員を理解することは容易ではないが,理解はできなくても「知る」ことはできる.多様性が活きる組織づくりの第一歩は不断の「知る努力」だと感じた.もし自分が研究室を持つことがあるならこういった活動をぜひ取り入れたい.

生活

カリフォルニアの抜けるような青空は,ここで生活していて最も気に入ったものの一つである.特にスタンフォード近辺は平屋建ての住宅が多く,高いビルがほとんどないため空を堪能できる.研究が上手くいかず気持ちが落ち込んでいる時でも,キャンパス中に点在する芝生のベンチに腰掛けて雲一つない広大な青空を眺めると気分が晴れやかになる.気候も安定していて,極端に暑く/寒くなることが少なく雨も少ないので過ごしやすい.その分乾燥していて夏場に山火事が起きることがあり,ひどい時には服がバーベキュー後のような臭いになるのは少しマイナスではあるが.

もう一つ恵まれたのは,人である.最初のシェアハウスの大家さんには,月一のアジア系スーパーへの買い出しや部屋の掃除,差し入れなど大変にサポートしていただいた.引っ越した後もアパートに招くなど交流を続けている.現在のアパートの隣人とも気軽に飲みに行く仲である.研究室の院生たちとは週一でボルダリングに出かけ,夜はディナーやボードゲームなどを楽しむこともある.アメリカで出会った妻は,東海岸でのポスドクポジションを辞して企業研究者として遥々カリフォルニアに引っ越してきてくれた.知り合いの全くいない国に単身引っ越してきて,たくさんの人にこれほど懐深く迎えてもらえたことは大変ありがたい.

英語については,日本で語学学校に通うなどの準備は全くせずに渡米し,聞き取れない,会話に入れない,意味が分かってないけど愛想笑いでやり過ごすなど「海外生活あるある」は一通り経験した.Lacraに英語に対する自信のなさを吐露した時は,「論理構成が重要であり,英語の出来は研究を行う上で最も修正が容易な問題だ」との言葉をかけられた.その言葉を真に受けてあまり気にせず過ごしている.

終わりに

海外に来て良かったかと訊かれれば,間違いなく良かったと言える.結果が求められるポスドクとして,研究分野も住む国も変えて研究することはややチャレンジングであったが,そのような挑戦ができる機会も人生を通してそうないだろう.目に映るもの全てが新しい環境の中で,小さな課題でも一つ一つクリアしていったことは良い思い出になる.私にとって,できなかったことができるようになるのは無上の喜びであり,それはきっとハイハイから初めて立ち上がったのを両親に褒めちぎられた時分から変わってないのだと思う.今後も色々なことに挑戦していきたい.

写真は研究室旅行での晩餐.左から5番目が筆者.筆者の右隣がPIのLacra.

 
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