なんでも中世ヨーロッパの封建領主は,水車小屋をつくる特権をもとに,その使用を領民に強制させてたとか.これをバナリテという.水車も規模が大きくなれば,建設も管理にもコストがかかる.領主が水車を独占事業とし,穀物の一部を納めさせることは水車の成立にとっては理にかなっている.一方,領民にとって,穀物を取り立てる直接の存在は水車小屋の番人(粉挽き)であって,魔法のような動力も操るということで,よほど恐れられていたのか,悪魔の扱いである.
現代人の感覚では,酒や塩,タバコなどの専売制,認可性の拠り所はわかりづらいものであるが,太古に遡れば,これらを交換,散逸させることは祭政一体の共同体の成立に関わる.時を経て,川の流れは電気に代わり,貢租は税金にとってかわった.その納税手段の唯一の媒体として認められる法定通貨は,fiat moneyと呼ばれるが,fiatとは国家からの強制の意が含まれている.一種のバナリテである.技術の革新と社会への普及によってそうした強制が次第に失われることは歴史が示すところである.
現在進行中のいわゆるデジタル革命の本質は,電気の流れに,情報の流れが加わり,公共と私との葛藤の一部がアウフヘーベンし得る点にあろうか.ガルバーニからヘルムホルツと,生物物理学の発端にもある電気の流れは,あらゆる職種で「モーター」を操作し,管理する「粉挽き」を必要とした.一方,人と人が直接に接続する情報の流れの社会に,バナリテと粉挽きは成立するだろうか.ジョージ・オーウェルが描くような暗雲たる情報管理社会を受け入れ,「マトリックス」に生きるか.その対極の自己主権性が飛躍的に向上する社会を目指すか.あなたと社会はどこへ向かうだろう.
科学を志す者は私自身を含め,赤いピルを飲んだつもりでいるものの,その生業が成立する条件の認識は,青いピルのままかもしれない.川が渇いてしまって,水車が回らないことを嘆いてみても仕方ない.水車はもっと小型で済むかもしれないし,川を引いてくることもできるかもしれない.いや,水車とは別に自分の自由になる手臼があるかもしれない.城柵に囲まれた中世集落の粉挽きの亡霊から,科学の営みが解き放たれる近未来が見え隠れする.この新しい時代の科学の発展にとって,当学会のように,フラットな関係で科学者がつながるコミュニティーが果たす役割は決して小さくないだろう.