生物物理
Online ISSN : 1347-4219
Print ISSN : 0582-4052
ISSN-L : 0582-4052
トピックス
大腸菌の多次元表現型計測に基づく適応度地形の推定
古澤 力岩澤 諄一郎前田 智也
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2023 年 63 巻 5 号 p. 263-265

詳細
Abstract

適応度地形を推定することは,進化過程の理解に大きく貢献する.しかしゲノム配列空間においてその推定を行うことには,膨大な実験データが必要となり困難が伴う.本稿では,大腸菌の抗生物質耐性進化の過程において,複数薬剤への耐性能を経時的に計測し,その表現型データに基づいて適応度地形を推定する手法を紹介する.

1.  はじめに

進化ダイナミクスの理解をサポートする概念として「適応度地形」がある.これは,遺伝子型・表現型といった状態変数を座標として,各座標での高さを適応度とした地形のことであり,生物進化において適応度が上昇していくダイナミクスは,この地形における山登りの過程として捉えることができる.この適応度地形を知ることにより,ある個体集団がどのような進化過程を経るかを予測することが可能となるなど,進化過程の理解に大きく貢献する概念である1),2)

この適応度地形を実験的に推定するアプローチはこれまでに広く行われてきたが,状態変数として遺伝子配列を用いる場合には,しばしば配列空間の高次元性が解析を困難にしてきた.つまり,出現可能な配列の種類が膨大となり,それらに対応する適応度のデータを取得することが現実的でなくなるためである.そこで多くの場合には,特定のタンパク質配列に解析を限定し,比較的少数の配列レパートリの適応度を測定することにより,適応度地形の推定とそれに基づく進化ダイナミクスの解析が行われてきた3),4)

しかし実際の進化過程ではゲノム上の様々な遺伝子に変異が入り,出現可能な配列のレパートリは膨大である.では,そうした細胞レベルの進化過程において,適応度地形はどのように推定可能であろうか?この問いに対して本研究では,出現し得る表現型の低次元性に着目した.筆者らによる理論研究により,元々は高次元のダイナミクスを持つ細胞状態が,進化的安定性を要請することによって低次元の状態空間に拘束されることが予想されている5).さらに様々な薬剤を添加した環境下での大腸菌進化実験のデータから,進化過程で出現可能な表現型が低次元の状態空間に拘束されていることが示されている6).例えば,進化実験によってある薬剤に対して耐性能が増加した進化株は,他のストレスに対しても耐性能を上げる場合(交差耐性)と,逆に減少させる場合(交差感受性)がある.この交差耐性・感受性を2,000程度のストレス環境の組み合わせで定量したところ,大腸菌がとり得る耐性能のプロファイルは少数のパターンに限られていることが見出された.さらにこの結果から,低次元に拘束されている大腸菌の表現型が,複数の薬剤への耐性能を用いて記述できることが示唆された.これらの知見に基づいて,高次元となる配列空間の代わりに,薬剤耐性能によって張られた低次元の表現型空間を用いることにより,適応度地形の推定が可能になると着想した.以下,この表現型空間における適応度地形の推定7)について紹介する.

2.  表現型空間における進化軌跡の定量

本研究では,大腸菌の抗生物質耐性進化について,8つの薬剤への耐性能をそれぞれ軸とした8次元空間内の軌跡として捉え,その空間における適応度地形を推定する.そのためには,空間内の様々な点における耐性能データを取得する必要がある.本研究でそのデータ取得のため,耐性能空間で異なる位置にある複数の初期状態からの進化実験を行った.具体的には,先行研究で得られたカナマイシン(KM),テトラサイクリン(TET),ノルフロキサシン(NFLX)の耐性株をそれぞれ2株と進化前の親株の合計7初期条件から,KM・TET・NFLXのそれぞれを添加した環境下で27日間の進化実験を行った(合計44系列).そのときに,上記の3つの薬剤を含む8つの薬剤への耐性能を植え継ぎごとに定量することにより,8次元の耐性能空間での軌跡を得た.この進化実験については,筆者らが開発したラボオートメーションによる進化実験システム8)を用いて実施した.図1にKM耐性株から始めてTET選択環境下で行った4つの独立系列の耐性能時系列を示す.縦軸は増殖速度が半分となる薬剤濃度(IC50; 50% Inhibitory Concentration)であり,その濃度に最も近い薬剤添加環境から菌を植え継ぐことにより,選択環境として用いたTETへの耐性能が上昇することが期待通り観察された.加えて交差耐性・感受性により,選択に用いていない薬剤への耐性能も変化をすることが見てとれる.

図1

大腸菌進化実験における多次元表現型計測の例.KM耐性株から始めたTET選択下での4つの独立進化系列を示している.縦軸はそれぞれの薬剤耐性能をIC50(log2 μg/mL)でプロットしている.文献7より改変.

3.  表現型空間上の適応度地形の推定

上述の表現型空間における進化軌跡データを2次元の主成分空間に圧縮をしたのが図2aである.この進化軌跡を調べてみると,同じ初期状態と選択圧の下での軌跡は多くの場合に類似した方向へ進むが,まれに異なる方向に進む場合もある.例えば図2aの緑色の線は1つのKM耐性株からのTET選択下での進化軌跡を示すが,4つの系列のうち3つは主成分空間の右上の方向に進むが,1系列のみが左下方向へ進む(黒矢印).

図2

表現型空間における適応度地形の推定.(a)主成分空間における進化軌跡の例.44の進化軌跡データから主成分を求めている.緑・橙色の線は2つの異なるKM耐性株からスタートしたTET選択下での軌跡,青線は親株からのTET選択下の軌跡について4つの独立進化系列を重ね書きしている.黒丸は進化実験初日の状態を示す(b)進化軌跡データから推定した薬剤耐性を適応度とした適応度地形の例.文献7より改変.

次に,これらの観察された進化軌跡の背後にある適応度地形を,この2次元の主成分空間において推定することにする.平面上にあるデータ点は8つの薬剤に対する耐性能の定量値を持つので,それらの値をガウスカーネルを用いたカーネル密度推定に供することにより,それぞれの薬剤耐性能を適応度とした地形を推定した(図2bにその例を示す;手法の詳細は文献7)を参照).この適応度地形が観察された進化軌跡の方向をうまく説明できているかを調べるため,一部のデータを用いて地形を推定し,残りのデータにおいて進化軌跡のベクトルと地形の傾きの対応を解析したところ,それら有意に相関することが確認された.この結果は,この2次元の表現型空間上の適応度地形が,抗生物質耐性進化の過程を適切に記述できていることを示している.

この適応度地形の推定により見出された興味深い結果の1つは,TET耐性を適応度とした地形において明確に2つのピークが存在するという点である.つまり,TET耐性を高める表現型を得るために,異なる2つの戦略があるということである.TET選択下での進化軌跡データを調べてみると,おおよそ初期状態に応じて異なるピークに到達していることが確認された.親株をTET選択下で進化させた場合や,先行研究で得られたTET耐性株の表現型は左側にあるピークに位置する一方で,KM耐性株からスタートした場合には多くの場合において右側のピークに向かう.これまでの研究9)との対応を調べたところ,左側のピークはAcrABなどの多剤耐性ポンプの発現上昇が耐性能に寄与していることが示された.一方でKM耐性株は変異により電子伝達系の活性を下げることを通じてKM耐性を獲得しており,プロトンのアンチポーター(対向輸送体)であるAcrABの活性を高めることが難しい.そのため,KM耐性株がTET耐性を獲得するためにはAcrABの活性上昇とは異なる戦略を取る必要があり,それが右側のピークに対応する.この右側のピークに到達した進化系列でゲノム変異を調べてみると,8株中7株においてLonプロテアーゼをコードする領域にフレームシフト変異が固定されていることが見出された.LonプロテアーゼがどのようにしてTET耐性をもたらしているか詳細なメカニズムは不明であるが,興味深いことに親株など電子伝達系の活性低下が無い株では,TET耐性を獲得するためにこの戦略を取るケースは見出されない.抗生物質耐性の進化において,履歴依存性が明確に観察された例となっている.

4.  おわりに

細胞レベルの表現型進化を支配する適応度地形を推定することができれば,その進化過程を予測し制御することが可能となるであろう.実際に,本研究で推定された適応度地形を用いて,添加する薬剤の種類を適切なタイミングで切り替えることによって,表現型空間の進化軌跡をコントロールすることができることがシミュレーションによって予測されている.この表現型空間での進化軌跡の解析を様々な初期条件,様々な選択環境下で行いデータを蓄積することにより,適応度地形が持つ性質に加え,その進化の方向を決める拘束条件が明らかになると期待できる.こうした理解は,世界的に問題となっている抗生物質耐性菌の出現を抑制する新たな手段の開発につながるとともに,生物進化のダイナミクスがどのようにして安定性と可塑性という一見対立する性質を持つかという重要な問題に対し,新たな理解をもたらすであろう.

文献
Biographies

古澤 力(ふるさわ ちから)

理化学研究所生命機能科学研究センターチームリーダー/東京大学大学院理学系研究科教授

岩澤諄一郎(いわさわ じゅんいちろう)

東京大学大学院理学系研究科客員研究員

前田智也(まえだ ともや)

北海道大学大学院農学研究院助教

 
© 2023 by THE BIOPHYSICAL SOCIETY OF JAPAN
feedback
Top