2023 Volume 63 Issue 5 Pages 266-269
発生過程における手の原基である体肢芽には,後から前方向へのソニック・ヘッジホッグタンパク質の濃度勾配が存在する.これが崩壊する多指症マウスの解析から,PI3Kシグナルの遠近勾配により外縁の拡散層と中心の捕捉層が分化し,特殊拡散系の形成により外縁に濃度勾配が維持されていることが示唆された.
個体の発生過程において,「組織はモルフォゲンの濃度勾配を安定的に維持しながら,いかにして成長するか」は壮大な未解決問題である.永年の胚組織の移植実験により,他を誘導する「オーガナイザー領域」と呼ばれる胚の部位が同定された.また分子発生学の進歩により,それぞれのオーガナイザー領域には,モルフォゲンと呼ばれる細胞外拡散物質の合成遺伝子が特異的に発現しているということも明らかとなった.モルフォゲンの下流遺伝子の発現量は,オーガナイザー領域からの距離に応じて徐々に低下していく.異なった濃度のモルフォゲンを培養細胞の培地に加えると,細胞がそれぞれの性質に分化していくことも観察されている.このことは,モルフォゲンが濃度勾配を作り,その濃度勾配が組織内に座標を設定し,それに応じて組織がパターニングされている証拠だと考えられる.
しかし,もし単純拡散によって組織内にモルフォゲンが濃度勾配を形成しているなら,胚組織は絶え間なく成長するから,組織全体の大きさが10倍になれば,モルフォゲンの組織内の到達深度は,全体に比べると1/10の比率に縮小されてしまう.これは「小さい鋳型がそのパターンを維持しつつ大きくなる」という大原則にとって,非常に都合がよくない.
そこで,複数の拡散定数をもつシステムの組み合わせによる特殊拡散系の設定によって,この濃度勾配形成の不安定性問題を解決できるかもしれない.いわゆる反応拡散系は,うち1つの拡散系が反応項を伴う特殊拡散の一例である.しかし,複数の拡散定数をもつ現象が同時に組織内に併存する仕組みはまったく不明であった.筆者らはウェットバイオロジーの実験から,体肢芽におけるソニック・ヘッジホッグ濃度勾配形成の二層モデルを提唱するに至った1).この二層モデルは,層構造を形成する2つの拡散系の相互作用により,濃度勾配が安定化されることを説明するものである.
キネシン分子モーターKIF3Bのエクソントラッピングによる発現低下により,新しい多指症のモデルマウスを得た(図1A).ソニック・ヘッジホッグ(Shh)は10.5日胚の体肢芽において,後方の極性化活性域(ZPA)という小部分にのみ発現する(図2).Shhシグナル伝達の低下や異所性の発現は多指症をもたらす.またShhタンパク質には,long-rangeとshort-rangeの移送形式が知られている2).そこでShhのmRNAとタンパク質の発現をホールマウントの体肢芽において調べた.ZPAにおけるShh mRNA発現には変化がなかったが,体肢芽の外縁に沿ったShhタンパク質の濃度勾配は,多指症マウスで消失して体肢芽全体に拡散し,Shhシグナリングの全般的低下を生じた(図1B–D).これが多指症の主な原因と考えられた.
Kif3bLacZ/LacZマウスの解析によるShh濃度勾配形成機構の解明.(A)14.5日令LacZ/LacZマウスの体肢芽.赤矢頭,preaxial polydactyly.スケールバー,3 mm.(B)マウス体肢芽(10.5日令)の前半と後半におけるShhとαチューブリン(α-tub)のウエスタンブロッティング.(C, D)マウス体肢芽(10.5日令)のホールマウントShh免疫染色像.(C)野生型,(D)LacZ/LacZマウス.スケールバー,100 μm.(E–J)体肢芽(10.5日令)凍結切片の免疫染色像.緑,Shh.紫,細胞核.PZ,進行域.MC,間葉性コア.E,F白四角,G–Jの領域に対応.白矢印,細胞間のShh顆粒.スケールバー,25 μm(E, F),5 μm(G–J).(K, L)間葉性コアにおける細胞間顆粒(矢印)の透過電子顕微鏡像.スケールバー,500 nm.LacZ/LacZマウス(L)では内容物が放出されている.(M)マウス体肢芽(10.5日令)凍結切片のpAkt免疫染色像.LE,長時間露光.スケールバー,50 μm.(N)EGFP(緑)をトランスフェクションした初代培養体肢芽間葉細胞のShh(赤)染色像.スケールバー,20 μm.矢頭,フィロポディア.(O, P)ShhN-EGFPをトランスフェクションしたNIH3T3細胞から放出された小胞のトラッキング(折れ線,O)と放出イベントのタイムラプス解析(矢印,P).KIF3Bノックダウン(KD)細胞では放出が増加している.スケールバー,10 μm.以上,文献1より改変.
Shhタンパク質の後→前濃度勾配形成の「トラック-砂場モデル」.青丸,Shh粒子.橙,FGFsの遠近方向の濃度勾配.PZ,進行域.MC,間葉性コア.ZPA,極性化活性域.AER,外胚葉性頂堤.文献1より引用.
次に,これら体肢芽の長軸方向の凍結切片を作成しShh抗体で免疫染色してみた(図1E–J).野生型では体肢芽中胚葉の深層と浅層で細胞レベルの挙動が異なっていた.電顕ならびに免疫電顕の観察により,深層では細胞間のサイトネーム上や細胞表面に,多数の数十nmの小粒子が細胞膜に包まれた直径1–2 μm程度の顆粒状構造にShhが蓄積されていた.この細胞間顆粒は浅層では見られず,かわりにその細胞膜が破裂して小粒子が放出され,細胞間にアモルファスな染色を呈する像が得られていた.多指症モデルマウスでは,全層性に顆粒の破裂像と細胞間のアモルファスなShh染色が観察された(図1K, L).
一方,古典的な発生学の知見から,体肢芽中胚葉組織を包みこむ外胚葉組織の先端に存在するAER領域からは,線維芽細胞成長因子(FGFs)が継続的に放出され,その下流のPI3Kシグナリングの濃度勾配が体肢芽の遠近方向に形成されていることが示唆されていた(図2).Shhタンパク質の挙動の二層性の本態はまさにこれではないかと考え,PI3KシグナリングのマーカーであるpAktで染色するとともに細胞モデルで解析した.その結果,多指症マウスでは,PI3Kシグナリングを終結するTalpid3タンパク質の細胞内輸送低下により,体肢芽の全層性にPI3Kシグナリングが上昇していた(図1M).このことがShhの挙動変化の本態であることは,FGF8bビーズの移植によっても多指症マウスにおけるShhの表現型が再現されたことにより裏付けられた.細胞生物学的機序としては,深層ではKIF3B/Talpid3依存性のPI3Kシグナリングの終結によってフィロポディア/サイトネーム内へのShhベシクルの輸送が賦活され(図1N),また浅層ではFGF依存性のPI3Kシグナリングの活性化によってnSMase2依存的なShh細胞外小胞の分泌が賦活される機構(図1O, P)が明らかとなった.
この二層拡散の濃度勾配形成における役割について,「トラック-砂場モデル」を構想して,説明を試みてみよう(図2).体肢芽の外周が陸上競技のトラックで,コアの部分が砂場であるようなグラウンドを考える.これは50メートル走のトラックの左側に砂場があるレース場としても語ることができる.
このレース場のスタート地点は体肢芽後方のZPA領域である.そこから,ランダムに走り回る幼稚園児の大群がこのレースに臨む.一方,砂場の領域には,園児のお母さんや先生たちが立ち並んでしきりと応援する.すると,園児のごく少数は50メートルのトラックを走り抜けることができるけれども,大多数は走っているうちに砂場に入り込み,先生やお母さんにトラップされてしまう.このトラップが徐々に起こっていくために,トラックを走っている園児の単位面積あたりの密度は,入り口では10人いたけれども,すこしすると8人になり,6人,4人,2人というように減っていくと考えられる.このことが,体肢芽外周のトラックにおけるShh粒子の後ろから前方向への段階的減弱による濃度勾配の形成過程である.
そして,全層性にPI3Kシグナリングが上昇すると,砂場がなくなり全層がトラックとなるから,園児はトラックを果てしなく駆け回り,陸上競技場全部に簡単に拡散してしまった.一方,トラックがなく砂場のみとなれば,園児は入り口近くでほとんどすべてトラップされてしまい,奥のほうにはまったく入っていけない.このことが,二層の相互作用が濃度勾配形成に重要であることの感覚的な説明となる.
この特殊拡散を伴う「トラック-砂場モデル」の,従来の単純拡散モデルに対するアドバンテージについてさらに考察していきたい.
Kornbergらのグループは,サイトネームによって細胞間拡散はすべて生じるという信念から研究を進めていて,細胞外小胞のリリースによる速い拡散過程はアーティファクトであるとまで言い切っている.しかし,Shhが特殊なマーカーを含むエクソソーム系の細胞外小胞に乗ってリリースされるということは,固形がんの進展や再生医療にかかわる臨床的な事象として,筆者らを含め多くのグループから多数報告されている1),3).しかし,これらの二種の拡散様式がどのように空間的に相互作用しているかについては,これまでの知見ではまったくわかっていなかったといえる.
たしかに筆者らは,Barnaらの言っているように4),細胞間の顆粒にShhが蓄積し,あるときにはそれが細胞間をゆっくりとした速度で受け渡されることを再現することができた.しかし,それこそがShhの後ろから前への拡散を担う本体であろうとする従来の予想は,次の3点から,確からしくない.
第1に,もしこの細胞間顆粒がShh移送機構の本体とすれば,KIF3B発現低下マウスや,体肢芽へのFGF8bインジェクションマウスにおいては,細胞間顆粒が消失しているから,Shhタンパク質は移送されず,ソースである体肢芽後部のZPA領域に留まるはずである.しかし,実験結果はその正反対である.ZPA領域で産生されたShhタンパク質は体肢芽全体に拡散し,濃度勾配が消失してしまう.したがって,この細胞間顆粒は拡散の本体というより,それを妨げるトラッピング機構の本体として,濃度勾配形成に貢献しているのではないだろうか?
第2に,今回の体肢芽の免疫染色は,体肢芽外周を主たる経路として,Shhタンパク質が後ろから前方向に濃度勾配を形成していることを強く示唆するものである.もし単純拡散のみにより体肢芽内に濃度勾配ができるとする説が正しければ,その分布はZPA領域を中心として同心円状に減弱していくはずであるが,現実にはそのようにはなっていない.
第3に,単純拡散だけでは,体肢芽の成長過程での濃度勾配の安定性が説明できない.単純拡散により得られる座標は拡散定数によって定められる絶対スケールであるけれども,特殊拡散によって得られる座標は全体の大きさを反映した相対スケールである.発生現象は質的のみならず量的な成長の過程にあることが大前提であるから,濃度勾配が絶対スケールを示してしまうと,五本の指のパターニングの説明が,時間的な経緯などの複雑な前提5)を入れないと不可能となってしまう.もっともシンプルで美しいのは,体肢芽全体の成長に左右されない相対スケールのサステナビリティであり,それはおそらく両領域の成長過程における一種の散逸構造によりはじめて説明できよう.
今回,筆者らはShhがトランスサイトーシスされやすい周縁領域の発見により,従来の単純拡散モデルの限界を突破し,新たな特殊拡散モデルを提唱することができた.体肢芽内の地理的な領域ごとに細胞外小胞が分泌されたり細胞間にトラップされたりする区別があることが特殊拡散系の「トラック-砂場モデル」の細胞生物学的基礎であると考えた.この新しい二層モデルの提唱は,発生生物学の永年の課題であるモルフォゲン濃度勾配形成の分子メカニズム解明への大きな一歩である.
さらに左右軸形成の素過程についても,ノックインマウス胚における光変換の実験から,ノード流がポリシスチンを含むサイトネーム様の構造を左側に吹き流し,腹側ノードと左側内胚葉をブリッジで結ぶようにして,左側特異的なCa上昇をもたらすという「ポリシスチン移送仮説」を発表している6).今後,このような発生過程等のグローバルな生体現象において,その細胞生物学的な素過程の解明を,マウス分子遺伝学と分子細胞生物学とシングルセルゲノミクス等を駆使してさらに進め,生体物質の「場所性」がどのようにして細胞ならびに生体の機能と分化を支えているかについて,包括的な探究を進めていきたい.
今回のスタディでは場所特異的な拡散定数そのものの実測には至っておらず,今後さらに新しい遺伝学的モデルマウスを作成し,in vivoの光変換実験によって明らかにしていきたい.またそのパラメータを用いた特殊拡散方程式の数学解析により,本稿のアイディアである「トラック-砂場モデル」の発生過程におけるrobustnessについてさらに検討を進める予定である.
マウス解析に関しては,キネシンの細胞生物学を永年にわたって御指導いただいた廣川信隆先生,ならびに共著者の王碩さん,徐瓔さん,竹田扇先生に深く感謝申し上げます.数学解析に関しては,東京大学大学院数理科学研究科の儀我美一先生,山本昌宏先生,宮本安人先生のご示唆に感謝申し上げます.また科研費,東京大学GAPファンド,AMED橋渡し研究東京大学拠点からのサポートにも御礼申し上げます.