生物物理
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巻頭言
物質を生命たらしめる仕組み
坂内 博子
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2023 年 63 巻 6 号 p. 295

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生物を構成する細胞は,分子から構成されている.機械も生物も,どちらも「分子の集合体」という点では同じであり,そのシステムの中に作用する物理法則は共通であるはずである.それなのになぜ,機械と生物はこんなに異なるのだろうか?

しばしばコンピュータに例えられる我々の脳は,シナプスという神経細胞間の情報伝達に特化した構造を通じて,体の内外から受ける情報を処理して運動・思考といった出力を行う.記憶は「シナプスの伝達効率」という形で蓄えられ,数十年単位で保持される.このように記憶は数十年単位で保持されにも関わらず,その記憶が形成されたときの物質(生体分子)は全く脳に残っていない.それどころか,脳を形成する分子は,数日~長くても数十日で半分以上が分解されてしまう.これは,長期間安定した部品で構成され,部品が壊れるまで同じ分子を使って働くことができるコンピュータと脳が大きく異なる点である.不安定な分子を材料として使いながら,なぜ脳は数十年もの間神経細胞やシナプスという形を保ち,記憶を保つことができるのだろうか?それは,構成要素である生体分子が不安定であるがゆえに,絶え間なく新しい分子と交換することを前提として出来上がったシステムだからである.細胞膜上の側方拡散や液-液相分離といった物理現象をうまく利用しながら,古い分子と新しい分子の交換を行うと同時にシナプス内に必要な分子を適材適所に集積させたり,シナプス伝達効率の柔軟で速やかな変化を可能にしている.このように,物理現象を巧みに生物が利用して見事に組み上げられた,生物というシステムが一つ,また一つ明らかになるたびに,私はワクワクしている.

生命は,数十億年の進化の歴史の中で,多様な物質の気が遠くなるような組み合わせの試行から誕生し,生存し続けた.想定外の環境の変化の中で生物が数十億年の間存在し続けたのは,物質の集合体を「生命」たらしめている仕組みが,環境に最適なものだけでなく「どうしてこうなった?」というヘンな仕組みも存在し続けることができた,地球という環境の懐の広さのおかげではないかと思う.研究についても同じことがいえて,日本生物物理学会のように多様で多彩な研究が溢れている学会は,この先どんな環境になったとしても,ワクワクする面白い発見が続いていくのだろう.

 
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