2023 Volume 63 Issue 6 Pages 331-333
私は博士課程を卒業して,2017年から国内企業の研究開発部門で働いている.将来に悩む大学院生や任期付研究員の方々に向けて,中堅・若手の観点で情報発信をしたいとのお話をいただき,ご協力させていただくこととなった.タイトルの「見方を変える」は,一つの道を計画的に突き進むのも素晴らしいが,時には見方を変えて色々な道を検討しても良いのではないかという想いを込めている.物足りなさ,失敗と捉えていた経験も,見方次第で適性や強みに変わるかもしれない.若手研究者の皆様の選択肢を広げるきっかけになれば幸いである.
私は2010年に名古屋工業大学工学部生命・物質工学科の神取秀樹先生の研究室に配属された.神取研究室はロドプシン研究で活躍する研究室である.当時のロドプシン業界は,大きな変化が起こり始めた頃であった.高度好塩古細菌等の限られた微生物だけが持つと考えられていた微生物ロドプシンが,カビ類,藻類,真正細菌から次々と発見されていた.また,藻類由来のチャネルロドプシンを利用した神経細胞の光操作技術,オプトジェネティクスが提唱されていた.神取研もこの流れに適応するように,フロア拡大や実験技術の導入をおこなっていた.学生や研究員もやる気に満ち溢れており,世界に先駆けて新奇ロドプシンを報告する等,大きな成果を挙げていた.配属から理想的な環境が用意されていた訳であるが,この頃の私は陸上競技に情熱を注いでいた.あからさまに実験を怠ることはなかったが,研究室に早く来て早く抜け出す日々を送っており,与えられた研究テーマの進捗は悪かった.専門性の高い実験をしている自覚を持ち,積極的に先生や先輩の指導を仰ぐべきであったが,時間を要することを察して避けていた.教育熱心な神取先生はこうした学生を放っておかないが,研究室を抜け出されては為す術がない.代わりに,2つ上の先輩である片山耕大さん(現・名古屋工業大学 准教授)が呼び出されていたそうである.片山さんは当時から研究熱心で,後輩の面倒見も良かった.他方で,学部生の頃に陸上競技部部長を務めた経験もあり,私の教育係として適任であった.この頃は神取先生や片山さんを大変困らせており,研究活動における自身の振舞いに負い目を感じていた.
私がキャリアを考え始めたのは,修士1年の就職活動の時期であった.大学入学時は研究者になりたい気持ちもあったが,長い学生生活の中で薄れ,研究の難しさに触れたことで半ば諦めていた.進路選択の中で悔いがないようにと思い,博士課程への進学を決めた.「脳に関連する研究をしたい」と考えていたが,この時も将来像やそれに近づくプロセスを明確にしていなかった.そんな私を心配した神取先生の説得により,まずは神取研で博士号取得を目指した.博士課程進学後は,神取研の助教である井上圭一先生(現・東京大学物性研究所 准教授)から過渡吸収分光測定の指導を受け,光駆動ナトリウムポンプの機構解明の研究を開始した1).この研究の傍ら,神取研で一丸となって光駆動内向きプロトンポンプの発見と機構解明の研究に取り組み2),3),光駆動ナトリウムポンプの構造解析の共同研究4),ロドプシンの吸収波長を理論的に予測する国際共同研究に携わった5).また,微力ながら後輩の実験指導もおこなった.私は研究活動に対する負い目があったため,どのような学生にも寛容に接するよう心掛けていたが,周囲はそれを親切な指導と捉えたようである.長らく負い目と感じていたことが,このようなかたちで適性に転じるとは思いもしなかった.
多くの経験をさせていただいたこともあり,博士課程でも将来を考える余裕がなかったが,上司や同僚と喜びを分かち合い,研究室を訪問された共同研究者に労いや感謝の言葉をもらったことで,人と協力して仕事をすることの魅力を知った.いつからか企業での仕事が向いているのではないかと考えていた.アカデミアの若手研究者は筆頭著者になるような研究成果を求められるが,企業では組織の一員として多くの人と協力して働くことになる.先述の経験は,企業への就職において一つのアピールポイントとなった.その後,博士・ポスドク向け企業説明会で出会った株式会社ニデックから内定をいただくこととなる.ニデックは,オートレフラクトメーターや光干渉断層計といった眼科医療機器を開発するメーカーである.20年以上前から人工網膜の研究に取り組む等,研究開発に力を入れている.眼は脳の一部と説明されることもあるので,「脳に関連する研究をしたい」という学生時代の夢に近づいたのかもしれない.
私は入社後,研究開発部門に配属され,新規医療技術の産学協同研究に参加した.生物学を専門とする人が多い部署であったため,物理学から化学に関わる業務を幾つか任せていただいた.全くの異分野であったが,共同研究者の論文や書籍で基礎を学び,関連する論文から実験技術を導入する等,積極的に取り組んでいた.しかし,有効性や安定性を示すための試験で期待する結果を得られなかったこと,部門方針が変わったこと等から,2年弱で撤退することとなった.当時は「企業の研究はここまで淡白なのか」と驚いたものである.私の所属部署は,社外から導入した研究技術の医療応用を目指している.自社の製品技術との関わりが薄いこともあり,研究に取り組む意義から実現性まで丁寧な説明が求められる.顧客ニーズ,想定される売上,自社方針,各種制度,世界の潮流,技術の成熟具合等,複数の視点で情報を集めて話を組み立てる.調査に多くの時間を費やすこともあれば,実験に多くの時間を費やすこともある.少人数で進めるため,社員一人が幅広い業務を任される.撤退も珍しいことではなく,業務内容や技術分野が変更されることも数回経験している.また,全く異なる研究課題を並行して進めている.これまでにインプラント,製剤,体外診断用医薬品,医療機器等の研究開発に携わってきた.特定の技術分野を極めることは難しいが,医療・ヘルスケアに関わる様々な研究に挑戦できる環境である.
私の経験からすると,博士号は社外の方々から一定の信用を得ることに役立っている.協同研究や業務委託で名刺を交換する際に学位を確認されることが多い.一方,社内では,学位よりも博士課程で培った経験が役立っている.私の場合,部署の特性も相まって,文献調査,課題立案,文書作成といったスキルが特別に映るようである.企業は分業で仕事を進めることもあり,20,30代のうちに多くの経験を積めるとは限らない.博士課程では,テーマ立案から論文執筆まで一貫して研究に関わるようになり,多様な経験を積むことができる.この違いがスキルとなって表れるのかもしれない.博士号の価値については,業界や職種によって様々な意見がある.時々耳にするのが,科学技術の専門家という考え方である.これも誤りではないが,教科書的な科学技術に詳しい人であれば,企業も事業分野の範囲内で育成できる.これだけでは博士号取得者を採用する必要性が低いように思う.研究には,世界に先駆けて新しい課題に取り組む,新しい解決策を提案するといった側面があり,その必要性や魅力を他者に伝える能力も求められる.こういった能力は,企業の技術職経験者よりも博士号取得者の方が高いと感じている.
本稿を通じて私自身もキャリアを振り返ることになった.私は学生時代から環境に恵まれており,神取先生をはじめとする多くの方々から,成長する機会,考える機会をいただいていた.具体的な将来像を描き,計画的に歩んだ道ではないが,これまでのキャリアを気に入っており,ここまで導いてくださった皆様に感謝している.反省点も多いが,それらは今後のキャリアデザインに活かしていきたい.
キャリアに悩みを抱える若手研究者の皆様には,研究活動や私生活を通して,多くの人と交流することをお勧めする.見本となる人に出会えたり,機会をいただいたり,気付きがあったりと,選択肢を広げるきっかけになるはずである.また,アカデミアだけでなく,企業も視野に入れたキャリア検討をお勧めする.企業は様々な学歴,職歴を持つ方々が集まる組織であり,それぞれが誇りを持って仕事をしている.そのような環境に置かれると,際立つ経験やスキルが変わり,新たな適性が見えてくる.多忙な研究活動の中で自信を失うこともあると思うが,楽観性も大切にしながら,自分らしいキャリアを描いて欲しい.
加藤善隆(かとう よしたか)
株式会社ニデック研究開発本部生物工学研究所