生物物理
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若手の会だより
若手の会だより
~生命の理を求めて:生物物理の学際をゆく~
加藤 修三
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2024 年 64 巻 2 号 p. 114-115

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加藤修三と申します.九州大学大学院理学府物理学専攻の修士課程を修了し博士課程に一部在籍した後,現在はドイツにあるドレスデン工科大学のCluster of Excellence Physics of Lifeという研究機関で博士課程に在籍しております.九大時代に所属した若手の会九州支部にご縁をいただき,若手の会だよりを寄稿させていただきます.機械工学という少し離れた場所で生物物理に出会い,その後物理学,生物学とホームグラウンドの指向が異なる複数の場所を訪れる機会に恵まれました.その最中で感じたことや,若手の一人として生物物理という分野の今後に期待することについて紹介させていただきます.

生物学と物理学の間に感じていた壁

生物を物理の目で考える,生物学と物理学のあいのこのような学問があるならもっと早い段階から知っていたらよかったとよく思います.中高では物理と生物という科目を別々に学ぶこともあり,物理学は物質の普遍的な性質を追求する学問である一方で生物学は生物の多様な機能を調べる学問だから,両者は相容れないものだという印象を長らく持っていました.あるいは寺田寅彦の時代より残る生物学と物理学の軋轢1)の影響を間接的に受けたかのように,対象を限定しない物理学とはいえども素粒子や固体とは異なり複雑な生物には適用できないだろうという感覚を抱き,それは生物物理に出会う直前まであったように思います.同じような認識を持っていた方は少なくないのではないでしょうか?

機械工学に迷い込んで生物物理に出会う

“生命とは何か?どこから来たのか?”という問いは,大学入学前からの私の興味の一つでしたが,前述の先入観により生物が物理学の研究の対象になるとは頭の隅にもなく,どんな方法なら納得できる答えに辿りつけるかは検討もつきませんでした.高校で物理・化学を選択し,拾い読みしたファインマンの伝記に影響を受けたという中途半端な動機をもとに半ば消去法で物理系を選び,慶應義塾大学に入学しました.物理を初手で選んだのは今思えば幸運でしたが,一年次の物理の基礎科目の数々は無機質に感じられ,二年次に専攻を決める前にその関心はじわじわと薄れていきました(今では惜しい限りです).一方で入学当初全く検討したことのなかった機械工学科で宇宙工学(とその延長の地球外生命探査)や,動物運動の力学的研究ができることを知り,そこに“生命とは何か?”の問いに答えられる可能性を見て,機械工学に専攻を決めました.

さて,専攻を決めてハッピーエンドと思ったのも束の間,製造業を支える学問としての伝統を持つ機械工学の科目の数々や,実学に重きを置く文化にはなかなか馴染めないという事態に落ち入りました.再び振り出しに戻るかと思ったとき,三年次のある授業に救われることになりました.その授業は分子動力学という数値計算に関するもので,運動方程式に基づくその計算手法は,金属や液晶などの従来材料のみならず,タンパク質などの生体高分子の物性研究にも使用されることを聞きました.生命現象の一部を担う生体高分子のダイナミクスが構成要素である原子間の相互作用の計算から浮かび上がる様は衝撃的で,生命現象の背後に物理学があるという事実をまざまざと見せつけられることになりました.興奮に突き動かされるままにその授業の担当であった泰岡顕治教授の研究室を訪ね,卒業研究では生命の起源にヒントを受けて鉱物と生体分子の相互作用について分子動力学を用いて調べる機会をいただきました.形にすることは叶いませんでしたが,生物物理の方法なら生命の本質が理解できるかもしれないという確信に近い感覚を得るには十分でした.

生物物理に踏み入れて深い学際性を知る

計算機の世界を飛び出して生命現象を実際にこの眼と手で考えてみたいと思った私は,九州大学大学院理学府物理学専攻の非平衡物理・生物物理の前多裕介准教授の研究室の門を叩きました.進学が新型コロナウイルスの流行と重なり様々な困難がありましたが,細胞の複雑さを減らすことで細胞内の物理を探る人工細胞系というユニークな実験系を用いた研究に取り組みました.具体的には,大腸菌から抽出した細胞質を油中水滴で封入する簡易な細胞系を蒸発により濃縮すると細胞内の濃度相が分かれる液液相分離現象を見つけ,それをもとに細胞質の相分離構造と内部の転写翻訳系による遺伝子発現の関係について研究しておりました2).ファインマンの“What I cannot create, I do not understand.”の台詞に代表されるように,人工細胞系は細胞を作りながら理解するというアプローチに基づいており,これらは合成生物学と呼ばれる工学分野で盛んに研究される対象でもあります.工学系から理学系に進みながらも工学に近しいことをしているのは少しおかしくもありましたが,理学は工学に裏打ちされている事実を改めて実感する機会でもありました.

このときの研究の背景であった細胞内の液液相分離現象は現在では生物学の大きな研究対象の一つですが,そのルーツを辿ると生物学と物理学の学際的協働の賜物であったことがわかります3).そのさきがけとなった2009年の研究は,細胞生物学ですでに知られていた非膜性構造体についてその形成機構を定量実験と物理学(特にソフトマター物理学)の理論をもとに説明し,細胞内の動的な構造形成における一つの普遍的枠組みをもたらしました4).特筆すべき点は,この研究が実験物理学者,理論物理学者,生物学者の共同作業の結果であり,この研究を支えたドイツのドレスデンという場所は生物学者と物理学者が同居するユニークな研究環境であったことです.生命現象を物理や工学の世界から見てきた私にとって,生物学の分野は広大でまだまだ未知なことばかりであり,そのブレークスルーが生物学と物理学の協働により生まれる環境ではどのような所なのだろう?何ができるのだろう?と思うようになりました.

生物学と物理学と工学/情報科学が織りなす場所へ

その後様々な縁を経て,昨年より博士学生としてドレスデンという場所に来る機会を得ることができました.ドレスデンでは生物学者/実験科学者を擁するマックスプランク分子細胞生物学・遺伝学研究所と物理学者/理論科学者を擁する同複雑系物理学研究所,さらに近年設立されたドレスデン工科大学のCluster of Excellence Physics of Lifeが中心となり,生命科学に関わる理論家・実験家が協働するコミュニティが形成されています.実験家がモデルについて理論家に意見を求めたり,理論家がヘビーな実験データにつっこんだりと異なる視点・専門技術を持つ研究者の対等な議論が至る所で日常的に交わされている風景は非常に新鮮で,その学際的文化には驚きます.生命の理を理解するという共通の目標の下で互いの強みを尊重し協働する様子からは,分野の垣根というものは相互理解によって取り払われるのだと感じさせられます5)

機械工学の場で数値計算の文脈から生物物理を知り,物理学の場で工学的な発想に再び出会うなど,これまで私が辿ってきた道筋を今振り返ると,その一つ一つが生物物理という大きな学際領域を構成する要素であったということを実感します.生物物理学会の年会に参加してもわかるように,生物物理という傘の下には,生物の中の新しい物理を追求する人,物理計測で生命現象を定量する人,制御・合成する人など,専門技術・指向のグラデーションがあります.細胞内の液液相分離現象の発見がそうであったように,それぞれの技術の強みを活かして協働する・組み合わせる動きがさらに活発になっていくことで,ますます革新的な発見が生まれていくことと思います.生物物理という学際分野が生物学と物理学,さらには工学や情報科学などの諸領域をつなげ生命の理を目指す一つのハブとしてさらなる発展をしていくことを願ってやみません.

余談ですが,昨年スタッフとして運営に携わらせていただいた第63回生物物理若手の会夏の学校では,参加者のうち学部生が約30%と高い割合を占めることに驚きました.日本語の優れた関連教科書の数々が充実してきたこともその関心の後押しの一つと推測されますが,生物と物理の間の壁をもっと早くから取り払いたかった一人としては大変喜ばしいことと感じます.ともあれ道半ばの人間が偉そうなことを述べるのは程々にして,私も生物物理に邁進する若手の一人としてより一層精進していきます.ありがとうございました.

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