幼少期は曽祖父,祖母,父,母,私,弟の6人家族であった.曽祖父は最初のひ孫であった私を可愛がり,小3の春に亡くなるまで,私は常に金魚のフンのように曽祖父について回っていた.そんなふうだったから,父母は私がワガママに育ったのは曽祖父のせいだと主張していた.しかし,私にはなんともそうは思えない思い出がある.幼稚園か小学校に上がったばかりの頃,曽祖父に家の周りに生えている笹の枝を切ってくれとお願いをしたことがある.おそらく,外の世界ではじめて七夕飾りを見て,自分でそれを作りたくなったのだ.しかし,その時,曽祖父は頑なに“うん”と言ってくれなかった.普段,金魚とフンの関係だったわけだから,そのことにショックを受け,大げさに泣いて頼んだりもした.しかし,曽祖父は最後まで願いを聞いてくれず,どこかに出かけてしまった.この時,いくら心の底から願っても得られないものがあるのだとはじめて経験した気がする.その後,執着はダークサイドへの入り口だとヨーダがアナキンを諭しているのを聞き,執着はなるほど悪いものだなと思ったりもした.さて,それから何十年かが過ぎ,私があの笹のように,執着したものがあるかと思うと,意外とない.しかし,それでもよく考えてみると,論文の再投稿はこれにあたるのではないかと思えた.CNS誌への採択はとてもハードルが高い.過去にこのチャンスを得た時には,これでもかとリバイスを行い,採択してもらったことがある.このことを振り返ると,やはり執着のなせる技だったと思う.しかし,この執着,ダークなばかりでもない気はする.あの時,曽祖父が笹の枝を切ってくれていたら,私の家には,しばらく,きれいな七夕の短冊が飾られていたかもしれないのだ.執着とは若さの象徴でもある.研究,論文投稿,予算取りなど,優れたアイディアや能力の他にもうひとつ重要なのは,執着心だろう.ひっそりと隠れた執着心が,良い研究を生み出す原動力となっているように思えるときがある.