生物物理
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談話室
リレーエッセイ:シン・私が影響を受けた論文(9) 回転1分子観察の前夜
野地 博行
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2025 年 65 巻 5 号 p. 282-284

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1.  初めに

気がついたらキャリアも30年近くになり,シニア教授の仲間入りをしている.多くの論文から影響を受けてきたが,やはり人生を左右するほどの影響を受けたのは研究者としてのスタート地点であるF1-ATPaseの回転1分子観察に関わる論文である.それらを中心に紹介したい.

2.  回転ではない仮説の検証

私がATP合成酵素の研究を始めたのは,東京工業大学の吉田賢右先生の研究室に参加した博士課程からである.修士までは同大学の大島泰郎先生の研究室で酵素の進化実験に取り組んだ.ちなみに,私は順調にキャリア形成をしていると言われたことがあるが1),修士の研究は全く結果が得られなかった.博士進学した理由の1つは,コンプレックスを抱えたまま社会に出たくないという歪んだものであった.

吉田先生はとにかく反骨精神が旺盛で,当時ATP合成酵素のメカニズムとして大きな関心を集めていた「回転触媒仮説」に対して当初は懐疑的であった.彼が私に提案した最初の研究テーマは「回転ではなく大規模な二次構造変化でエネルギー伝達をする」という仮説の検証であった.この仮説には根拠もあったのだが,その検証実験の結果はネガティブであり,半年後に私の研究テーマを再考することとなった.ここで改めて回転触媒仮説を再検討した結果,検証に値する仮説と考え,この実験的検証を行うこととした.

3.  回転触媒仮説

ATP合成酵素の回転触媒機構は今や教科書に掲載されているので,簡単に説明する.ATP合成酵素は,膜から突き出した構造体と,膜に埋まった構造体の2つから構成される.前者はF1と呼ばれATP合成反応を触媒する.後者は,Fo部分と呼ばれプロトンの透過路を形成する.この2つが複合体を形成し,ATPの加水分解の自由エネルギーとプロトンの電気化学的ポテンシャルの間のエネルギー相互変換を行う.回転触媒仮説は,P. Boyerが最初に提唱したもので,F1とFoの中央に回転子複合体が存在し,その分子内回転によってエネルギーが伝達されるとする仮説である.

F1部分は単体で強いATP加水分解活性を示すためF1-ATPaseとも呼ばれ,この反応はATP合成反応の逆反応であると考えられている.そのため,回転触媒仮説によれば,単体のF1-ATPaseがATP加水分解反応するときF1-ATPaseの中心部に存在するγサブユニットが回転することになる.私達が実験的検証を検討したのは,このF1-ATPaseのATP加水分解時の回転運動である(図1).

図1

左:ATP合成酵素全体像,右:F1-ATPaseをFo側から見た図.

4.  回転を実証する最初のアイデア

当初,吉田研究室で用いられていた多彩な生化学的実験手法を活用することから検討した.中でも,サブユニット間で近接する部位の2つの残基にそれぞれCys残基を導入し,ジスルフィド結合によるクロスリンク形成を利用することが有効であると考えた.F1は,それぞれ3つのαとβサブユニットが交互に並んだリング構造をとる.このリングの中央部に想定上の回転子となるγサブユニットが存在する.当時,βサブユニットとγサブユニットがクロスリンクすること,そしてF1のATP分解活性がほぼゼロになる結果は報告されていた.これは回転仮説を支持すると解釈できるが,回転以外の構造変化を抑制した結果であると解釈することもできるため,直接的検証が求められていた.

Cys残基間のジスルフィド結合は可逆的であり,溶液条件を還元して再び酸化条件にすることで,ジスルフィド結合の架け替えが可能である.私達が最初に検討したアイデアは,この架け替えを検出するものである.すなわちγとクロスリンクさせるβに目印を入れておき,クロスリンクを解除する.その後,ATP加水分解条件にした後に再クロスリンクさせる.もしγが最初とは異なるβとジスルフィド結合を形成すれば,γが相対的に向きを変えることになる(図2).このアイデアを構想していたまさにその時,全く同じアイデアの実験がR. Cross研究室から発表された2).殆ど非の打ちどころがない実験であり,再び戦略が白紙に戻ってしまった.

図2

F1の回転の証明に寄与した3つの手法とそれぞれの研究グループ代表者の写真.左からR. Cross,W. Junge,木下一彦,吉田賢右.

5.  生物物理学会で見つけた1分子イメージング

Crossの成果は「回転の向きが分からない」「連続的に回転しているのか分からない」などの根本的問題があったが,吉田先生と二人でどんなに頭を捻ってもこれを超えるアイデアをどうしても思いつかなかった.そこで,吉田先生に勧められて生物物理学会の年会に行くことになった.これが私にとって大きなターニングポイントになった.この会議で阪大の柳田敏雄先生の1分子イメージングを知り,即座にこの手法を利用したいと考えた.この年会で知り合った当時柳田研の原田慶恵さん(現阪大蛋白研)に紹介してもらい慶應大学の木下一彦研究室の佐瀬一郎さん(現Nikon)と知り合った.佐瀬さんと互いに研究室を訪問する中で共同研究の具体的イメージを固めることができた.それぞれの先生に共同研究の提案を行ったところ,吉田先生と木下先生は以前から知り合いであったため話はスムースに進んだ.これが,私から見た回転1分子観察の共同研究の起点である.

6.  蛍光偏光解消法

佐瀬さんは当時既に博士課程の3年生で就職先も決まっていたため,博士課程1年の安田涼平さんが私のパートナーとなった.当時の彼も私もとても洗練された研究者とは言い難かったが*1,彼との共同作業は大変うまくいき,とんとん拍子で成功した.この時の話は報告済みであるためここでは詳細には述べない.詳しくは私達の古い総説を参照されたい3),4)

私達が1分子計測に取り組み始めたちょうどその頃,衝撃的な論文が発表された.それが,W. Junge研究室から発表された,蛍光偏光解消法を用いてF1の回転を検出したとする論文の発表であった5).これには驚いた.この手法は多分子計測であったにもかかわらず回転を示す結果を得ていたからである.当時,自分なりにおよそ考えられうる全ての可能性を検討していたつもりであったが,彼らの手法は全く想定していなかった.蛍光偏光解消法も一応は頭にあったが,F1分子全体の回転ブラウン運動を計測するには適しているが,分子内部のしかも非常に遅いサブユニット回転運動を検出するには全く適さないと考えていた.Jungeの工夫は,γを蛍光標識したF1分子をビーズ上に固定したのち,偏光した励起光で特定角度を向いている蛍光分子を褪色させ,その後その向きに偏光している蛍光強度の回復からγの回転を検出するというものである.分光測定に精通していれば思いつく手法であったかもしれない.しかし,当時の私には全く想定外であった.この論文では,γが360度回転することに加えて,その時定数が秒のオーダーであることも示していた.私達は,1分子計測による回転の直接観察を目指していたため,Jungeの論文後もプロジェクトを継続したが,彼は私にとってヒーローであった.私達は,その数ヶ月後に実際に誰が見ても明らかな回転観察に成功し,その後はこの回転計測がスタンダードとなった.これら一連の研究の後,回転触媒仮説を提唱したP. BoyerとF1-ATPaseの構造を明らかにしたJ. Walkerがノーベル化学賞を受賞した.

7.  その後

1分子回転観察後,私はGordon Research Conference(GRC),Bioenergetics meetingに参加し,初めてJungeやCross,そしてBoyerや Walkerなど,この分野のスター研究者達と実際に会うことができた.彼らと直接話をして交流することで,彼らの人柄や哲学を知ることができたのは人生最高の経験の一つである.その後,Jungeとは共同研究する機会もあり6),互いにリスペクトし合いながらも議論を戦わせることができたのは,私のその後のキャリア形成に大きな影響があった.Crossの論文の第一著者であったT. M. DuncanとはGRC会議の度に卓球をする仲となった.もっとも,彼は毎回私をコテンパにして「お前は研究はリスペクトしてるが,卓球の腕はリスペクトできんな」と言うのだが.また,当時一緒に実験をした安田さんや当時の仲間とは今でも楽しく交流を続けている.図3は安田氏と,同じく若い頃から仲良くしている藤原さんとの懇談の様子である.安田氏はMax Planck Florida Inst.で偉いポジションについているらしいが,この時はアポなしで私のラボに来たため少々迷惑した.とはいえ,当時の話や最近の話で楽しく懇談した.お互いに切磋琢磨しつつリスペクトを持って楽しく交流できることも,科学者として生きていく時の一つの醍醐味だとつくづく思う.

図3

F1研究を肴にした懇談の様子(2024年10月2日研究室の私の居室で).安田涼平(中央),著者(右).左はポスドクの頃から交流のある藤原郁子さん.

*1  木下氏に言わせれば我々はType Bとのこと.なお,これは血液型ではなく性格型を指しているので注意されたい.なお,彼の講演は今でも動画として視聴可能であり,Type Bについてコメントがある(26分以降)7).この点はさておき,彼のウィットに富んだ英語講演は今でも参考になる.

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Biographies

野地博行(のじ ひろゆき)

東京大学工学系研究科教授

 
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