生物物理
Online ISSN : 1347-4219
Print ISSN : 0582-4052
ISSN-L : 0582-4052
談話室
リレーエッセイ:シン・私が影響を受けた論文(10) 十代の未来に?
―荘子,普遍生物学,さよなら(?)非平衡,そして―
金子 邦彦
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2025 年 65 巻 6 号 p. 337-339

詳細

1.  はじめに

昔を振り返るのは情けないとだいぶ前に書いたのだけど1),既に2度同様なことをしてしまっている2),3),*1,それと多少重複してしまうけれど,十代から二十代で影響を受けた本を10冊ほど述べていきたい(編集部より「論文」でなくてもよいとお許しをいただいた).皆さんのお役に立つかは疑問であるけれど.

2.  高校時代

普通に数学や物理に興味を持ち,その関連の本は読んでいたのだけれど,それは標準的なことだろうから,外れたもので後年まで影響を受けたものを述べる.

*荘子4):物理学者で言えば湯川秀樹の荘子好きは有名であり,読み始めたきっかけはそのあたりだったと思う.結果,自身の世界の見方,生き方の骨格をなすほどの影響を受けた.「無用の用」において,役に立つことへの疑義と最適化の相対性を学び,渾沌(カオス)に出会い,要素還元主義の限界を教えられ,言語で表現できることは思考全体のうちのほんの表層に過ぎないと知った.今も影響を受け続けている.

*小松左京(SF):小説は様々読んでいて好きになった作家はほぼ全部読んでしまう.他にも挙げたい作家は多々あるけれど,後年の研究に最も影響を受けたのは小松左京,特に「継ぐのは誰か」5)である.1968年に出版されたこの書は21世紀を舞台にしているのであるが,そこに普遍生物学という分野が登場し,「この宇宙における生命現象の普遍的パターンと,そのバリエーションの可能性を探る生物学で,前世紀末から急速に拡充し始めた.まだ理論的推論の域を出ないが,しかしこの分野がひらかれてから,生命の位相学的(*)解釈が急速に進み,近いうちに生物学の領域における相対性理論のような,画期的な理論の出現が,期待されるところまできた」(*おそらく力学系のこと)とされている.この分野をリードしているヤング教授という人に憧れたものである.

高校時代であと付記すると,化学にはそれほど強い興味を持っていたわけではないけれど,授業の横道で,ルシャトリエ原理について説明があり,これは世界の安定性にかかわる,重要な原理ではと妙に興奮し,ノートに書き連ねたことを覚えている.

それから,歴史が好きで,特にそれが偶然か必然かを考え,授業のレポートに書いたこともある.それは各分子の運動はでたらめにも見えるけれどマクロな振る舞いは熱力学で記述できるという物理の知識を持ち込み,個人側と社会側の両面からの歴史記述を探りたいというようなものだったと思う.そのあとに読んだ,トルストイの「戦争と平和」6)で,そうか誰でも思いつくような,月並みな考えなのかなとは思うに至るのだけれども,その思いはずっと残っていた.

3.  大学時代

物理が面白かったし,その研究をしていきたいという思いはある一方で,生来の天邪鬼として,素粒子や物性といった主流の研究をしたいとは思うになれず,何か変わった方向はないかと探っていた.

物理をやるならこのくらいは読むべきなのかと勘違い(?)して全巻買った岩波講座「現代物理学の基礎」7)も結局,よく読んだのは「統計物理学」8)と「生命の物理」9)だけであった.統計物理はミクロとマクロのつながる醍醐味に魅了されていたので当然としても,むしろ,「生命の物理」に,より魅かれていた.まず内容が極めて独特であった.生物物理学会の人なら皆さんご存じであろう,大沢文夫さんのタンパクの章のみならず,フォンノイマンの自己増殖機械,生態系に向けた多種ロトカヴォルテラ系の統計力学,マックスウェル・デーモンから情報につながるシラード・エンジンの話など,通常の生物の本でも物理の本でも出会うことのない,魅力的な話にあふれていた10),*2

一方で,当然,理論物理から生命に興味を持つものとして,シュレーディンガーの「生命とは何か」11)は当然読んではいたのだけれども,それほど,大きな感銘を受けたわけではなかった.確かに遺伝情報を担うのは非周期性結晶であろうとDNAの情報を予言していたのは立派であるけれど,時代的にはもう答えを知ってしまっているわけで,犯人を知って推理小説を読む感がぬぐえなかった.後半の負のエントロピーを食べているという点については確かにそうかあと思う反面,でも,それをどうやって物理として表現するのか?という点で放り出された感があった.ただ,同じ頃(大学1年時),宇宙地球科学の講義で,Prigogineが非平衡開放系の散逸構造の研究を進めていることをきき,その先に生命の物理があるのかもという気持ちにさせられた.進学した物理学科ではなかなかそうしたトピックには出会えなかったのだけれども,4年生時の久保-鈴木研の理論演習でHakenの“Synergetics”12)を読み,この少しあとに読んだ,Nicolis & Prigogineの“Self-organization in Nonequilibrium Systems”13)とともに,熱・統計力学を平衡近傍から離れた次元にまで展開して,生命現象から社会現象まで新しい物理が作れるのではないかという期待を抱かせられた.今になってみると,これらの本とそこから展開された研究の流れは的を外していた面もあると思う.とはいえ,学問の新しい流れを作りたいと夢想している若者には大いに刺激的であった.

4.  大学院時代

というわけで非線形非平衡現象の研究を進めるべく大学院に進学した.そうした研究を進める上では力学系は必要というものの,その当時,今のように自然科学者向けの力学系の教科書があるわけでもなく,よく読んでいたのはRosenの「生物学における力学系入門」14)であった.もっと良い力学系の教科書があふれている現在*3,この著を手に取る人はいないだろうし,当時も周りに読んでいる人がいたわけでもないけれども,力学系を自然現象につなげる上でも,動的な生命現象に近づく上でも良著だったと思う.

結局,大学院時代は生命現象の研究を始めることはできなかったのであるけれど,興味だけは持ち続けていた.Waddingtonの“The Strategy of Genes”15)は当時,入手はできておらず,翻訳されていた「発生と分化の原理」16)を読んで進化発生の理論の可能性を漠然と考えていた.またEigen & Schusterの“The Hypercycle”17)も眺めてはいたが,むしろ翻訳されていた,Eigen & Winklerの「自然と遊戯: 偶然を支配する自然法則」18)が広範な話題にアイゲン独自の卓見が散りばめられていて刺激的であった.これらの本で展開された生命の起源の理論に関しては,Freeman Dysonの“Origins of Life”19)に出会って,こういう方向の研究ができないかなあと真剣に考え始めるのは博士修了後になる.

大学院の後半は,カオスの研究に没頭していた.今から思えば当然と思えるような着想でもどんどん新しいことが見つかる時代だった.カオスは生命現象で,これという決定的な関連がいまだに出るに至っていないけれど,これまでの物理ではお目にかかれなかった,生き生きとした現象だった.それまでは時間的変動というと,リズムという繰り返しかでたらめなノイズにしか出会わなかったわけだから.当時は,カオスの教科書があったわけでもなく,最も影響を受けたのはEdward Lorenzの論文Deterministic nonperiodic flow20)だった.自然現象での散逸系カオスの嚆矢となったこの論文には基本的な考え方が導入されていてパイオニアというのはこうなのだなあと今でも考えさせられる.

5.  振り返って,伏線の回収

カオスからCoupled Map Latticeの導入を始め,そして時空カオス,大自由度カオスの研究に至り,そこから細胞分化を経て生命現象の研究にようやくたどりつく経緯は既に述べたこともあるので1),2)ここでは省略する.では十代,二十代に考えていたことはどうなったのだろうか? この原稿が小説であればそろそろ伏線の回収をしないといけない時期だろうし.

生命が非平衡であるのはそうだとしてもそれこそが重要なのかはかなり疑問にも思えてきている.非平衡のたいがいのものは生きていないのだから.その意味では非線形非平衡現象は生命研究の本日に至る道筋としてはどうだったのかなとも思う.とはいえ,それにこだわることもなく「生命とは何か」に挑めるようになってきたのだから,生命の理論へ向かうきっかけとしては有効だったようにも思う.一方で,EigenとDysonは生命とは何かに迫る上で,それぞれ情報と多様性の切り口を開いてくれたわけで,今やそれをどう止揚していくのかが課題なのだと思う21)

そして,半世紀前にはあまり脚光を浴びていなかったWaddingtonの考え方や彼の導入した地形は今や発生進化を考える上の基本課題となっている.力学系の考え方でだいぶその理論を進めてこられたようにも思う.さらに,この20年ほどで彼の遺伝的同化の考え方を統計力学の揺動応答関係と関連付けることができた.それにより進化の拘束と方向性を定量的に定式化され,それが実験でも検証できてきた21)-25).その結果として,環境変化で生じた状態変化が遺伝的進化で打ち消されていくという進化ルシャトリエ原理を導出して実験的にも検証された26).この結果は,「ルシャトリエすごいのでは,」とノートに書きこんだ高校時代の私にちょっと知らせてあげたくもある.

普遍生物学はこの20年ほど研究を進めて,小松左京氏が亡くなられる前に少しだけお話もできた.そして2016年には生物普遍性機構を東大に立ち上げられた.あの小松左京のSFの中で世界各国からの“サバティカル院生”が普遍生物学研究に勤しんでいる,その理想像にはとても至ってはいないけれど,今ニールス・ボーア研で東大の院生とインドや欧州の院生が普遍生物プロジェクトに励んでいるのを見ていると小規模ながら少しはSFに近づけたのかなと思う時もある.

もちろんのこと荘子にはすべてにおいて影響を受けてきたなと今でも思う.多様性こそが生命の基本ではという考え方も遡れば荘子に由来しているし,一見無用に見えるものが頑健性において欠かせないことは揺らぎの進化的意義を考える上で本質的であった.言語表現できるものなど氷山の一角というのは,遺伝子よりも表現型こそが重要ということにつながっている.さらに言えばLLMに席捲される現代の科学において,荘子の思想にこそ人間科学者が勝負しうる点があるのではと思ったりもする.

最後に,さすがに,歴史の興味には戻ってこられないかもとも思いかけてきたところ,この数年,板尾健司さんのおかげで「普遍人類学」研究27)-30)を進められている.この方向が発展していけばこれからその伏線の回収もしていけないかなあと期待しつつ筆をおくことにしたい,とりあえず.

*1  このLivingHistoriesシリーズはHopfieldはじめ生物物理の研究者が多く登場しているのだけれども意外と知られていないようである.

*2  文献10)にはそのフレーバーを入れた.改訂版は,Takagi, H. et al. (2025) Theoretical Biology of the Cell, Cambridge University Press, UK.

*3  ストロガッツ「非線形ダイナミクスとカオス」など.

文献
Biographies

金子邦彦(かねこ くにひこ)

コペンハーゲン大ニールス・ボーア研究所

 
© 2025 by THE BIOPHYSICAL SOCIETY OF JAPAN
feedback
Top