生物物理
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特集:生命システムを読み解くアクティブマター物理学~基礎解明から機能実装まで~(前編)
微小遊泳体における非相反性
石本 健太
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2026 年 66 巻 1 号 p. 28-29

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Abstract

微小遊泳体(マイクロスイマー)が流体中で泳ぐための基本原理は,時間反転対称性を破った非相反変形であり,これは帆立貝定理という名で知られている.微小遊泳体の流体力学とその幾何学的な理論形式,そして流体中の微小遊泳体を「物質のある種の非平衡状態」として記述する奇弾性理論をそれぞれ簡単に解説する.

1. はじめに:アクティブマターにおける非相反性

微小遊泳体(マイクロスイマー)とは,流体中を自己推進する微小物体の総称で,バクテリア(細菌類)や単細胞真核生物(原生生物)といった微生物や,自己遊泳コロイド粒子などがその例である.実験室でも制御可能な系として,多岐にわたるアクティブマターの系の中でも,中心的な役割を担ってきた1)

アクティブマターの系は,ドライな系とウェットな系の2つに大きく分類することができる.前者は周囲の流体運動を考慮しないモデルのことで,その代表例がヴィチェックモデルである.一方,後者のウェットな系の場合には,周囲の流体との相互作用を考慮する.微小遊泳体は,ウェットなアクティブマターにおける基本単位であると言えるだろう.

本稿では,マイクロスイマー系の基本原理である非相反性(non-reciprocity)に焦点を当てる.非相反性という言葉は,アクティブマター物理学だけでなく,統計物理学や量子系にも及ぶ非平衡現象における近年のキーワードの一つであるが,扱う系によって相反性の意味は異なっているようにも見受けられる.

アクティブマターにおける非相反性について,最近の総説2)では,相反性を「系に対する擾乱とその応答の間の対称性」と定義している.オンサーガーの相反定理では,熱平衡状態からの擾乱を考え,熱力学的な力と示量変数の流れとの間の線形関係に現れる,応答係数Lijの対称性(Lij=Lji)のことであった.この相反性は系の詳細釣り合いに基づくものであるから,最終的には,ミクロの力学的な法則が時間反転に対して不変であることに起因する.一方弾性体にもマクスウェル-ベッチ相反性と呼ばれる関係が知られている.弾性体の場合,力学的平衡状態からの微小変形を考えると,歪みテンソルと応力テンソルの間の比例関係がある.これを表現する弾性テンソルにおける対称性Cijkl=Cklijがマクスウェル-ベッチ相反性である.こちらは,弾性エネルギーが保存力であることに起因しており,非保存力が働くアクティブな系では,対称性が破れる場合がある.Cijkl=Cklijとなる非対称成分は奇弾性と呼ばれる.

本稿では,微小遊泳体における非相反性について,物質の非平衡状態としての遊泳運動に関する著者の最近の研究をごく簡単に紹介する.

2. 微小遊泳体の流体力学

微生物や自己駆動コロイドなどの微小遊泳体の大きさは,数μmから1 mm程度である.そのため,周囲の流体のレイノルズ数は1以下となり,慣性を無視したストークス流れが成立する.以下単体の微小遊泳体を考え,周囲にはそれ以外の境界が無いものとする.

微小遊泳体の流体力学における最も基本的な問題設定は,運動学的遊泳問題と呼ばれるもので,変形の1周期の形状変化が与えられた時に,その1周期でどれだけ並進と回転が生じるかを問うものである.この時,物体の運動を求めるためには,さらに物体の運動方程式である運動量・角運動量保存則が必要となる.慣性が無視できる今の状況では,これらは物体に働く力とトルクがゼロという条件に対応する.

以上の条件のもと,微小遊泳体が流体中を運動するための必要条件が,帆立貝定理(scallop theorem)である.「微小遊泳体は,時間反転対称的な変形(reciprocal motion)を行うと,変形の1周期後に元の位置に向きも含めて戻って来る」ことを主張するもので,遊泳のためには,non-reciprocalな変形が必要となる.つまり,変形の時間反転対称性の破れが,微小遊泳体における非相反性である.

3. 微小遊泳体における非相反性と奇弾性

微小遊泳体の運動学的遊泳問題では,慣性が存在しないため,各時刻で座標系を取り替えても系のダイナミクスは変わらない.この剛体運動の自由度は,ゲージ対称性に対応しており,この系には自然にゲージ理論の構造が入る3).これを模式的に示したのが図1(左)である.形状空間における閉曲線Cが,変形の1周期に対応する.変形後に,形状が元の形に戻ってきたとしても,その位置や向きは必ずしも元に戻ってくるわけではない.帆立貝定理は,この閉曲線Cが潰れて線分になると,1周期での変位と回転がゼロになることを意味する.

図1  微小遊泳におけるゲージ理論の概念図(左)と確率過程への拡張(右).

運動学的遊泳問題は,この曲線Cをこちらで設定するという意味で制御系になっている.実際には,内部の化学反応によって,変形や表面流動が駆動されるのだから,遊泳体の変形は,何か別の機構によって得られると考える方が自然だろう.

そこで,物体の形状を指定するパラメータσaa=1,2,,N)の時間発展の式,dσa/dt=Fa(σ)を考える.変形が小さい時には,線形近似したFa(σ)Kabσbの形で書ける.Kabは弾性体を構成する物質要素間のバネ係数に対応しており,保存力のみの場合には,Kab=Kbaとなる.一方,非保存力が働いている場合には,KabKbaとなっても良く,特にKabの反対称成分は(ミクロな意味での)奇弾性に対応する4).非線形領域の場合には,Kabは定数でなく一般にσの関数となるが,その場合でもKabの反対称成分によって奇弾性を定めることができる.形状空間における曲線Cがゼロでない面積を囲うためには,Kabに奇弾性成分が存在しなければならない.これは,帆立貝定理の言い換えである.

次に,形状変化のダイナミクスにノイズが加わった状況を考えてみる.これは,鞭毛内部の分子モーター由来のアクティブなノイズを模していると考えれば良い.ノイズが加わると,図1(左)にあるゲージ理論の描像は,形状空間での確率的な遷移へと拡張される.図1(右)の形状空間におけるベクトル場はこの確率流束を表し,色は定常確率分布の大きさを表す.形状空間内の曲線Cが囲む面積速度は,対応する確率面積速度流Jabへと拡張される.この場合も奇弾性の存在は遊泳可能性の必要条件となっている.

奇弾性は内部の分子モーターによる非保存力と解釈することも可能であるし,これらの分子モーターの挙動の非可逆性による形状空間の遷移ダイナミクスの詳細釣り合いの破れを表現している,と理解することもできる.また,奇弾性そのものを微小遊泳体が有している性質と捉えることも可能である.実際,奇弾性から生まれる仕事率は,系のエントロピー生成率に一致しており,形状空間における拡散係数は,拡張された揺動散逸定理を満たす5).このように,奇弾性による微小遊泳体の表現は,自己推進物体の非平衡物体としての定式化を与えている.

4. おわりに:微小遊泳体における非相反性の起源

微小遊泳体における奇弾性の起源を,物体内部の非可逆過程に求めるのは自然だろう.実際,これらの内部自由度を消去すると,マクロの有効理論として,相反関係を破る物質応答,すなわち奇弾性が生じる.細胞の場合には,内部の分子モーターの非相反的な変形によると考えられているが,どうやら必須の条件では無さそうである.相反性の自発的な破れは,細胞の局所的な環境からのフィードバック,すなわち情報処理によっても生じることが分かってきた6).こちらも非可逆過程を生み出す内部の仕組みと言える.微小遊泳体の非可逆過程と情報処理の関係は,今後の課題と言えるだろう.

文献
Biographies

石本健太(いしもと けんた)

京都大学大学院理学研究科・教授

 
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