生物物理
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談話室
キャリアデザイン談話室(35) キャリア論,十人十色
松永 智子
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2026 年 66 巻 3 号 p. 174-175

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1.  はじめに

キャリアデザインという言葉はどうも苦手です.就職活動で見かける「入社してやりたいことは何ですか?」という質問とよく似た構造があるように思います.「どんな仕事で何ができるのか,何をやらせてもらえるのか.それも分からないのにやりたいことって言われても難しい….」これを研究の世界に持ってくると,「どこに行けるか,いつまでやれるかも分からないのに,何をどうデザインしろと….」そんな風に思えてしまいます.

少なくとも私はそうでした.自身の未熟さも相まって,明確な設計図は持たず(持てず?),目の前の選択肢から“できること・やってみたいこと”をただ選んで,ここまで来たように思います.今振り返れば,もう少し方向性や戦略を持って取り組むこともできたかもしれません.でもやはり,当時の私には難しかったでしょう.とはいっても,ありがたいことに,現在細々とでも研究を続けられていることも事実です.これを“キャリア”と呼んでもいいのなら,今どこかで研究を諦めそうになっている,でも研究がしたいと心から望んでいる誰かに,この経験をお届けできればと思います.

2.  「モノ取り」との出会い

キャリアの始まりは,シンプルに“卒論の研究室選び”でした.水産学部3年生だった当時,現在のような仕事に就くなど全く頭になく「水産学部にいるのだから,魚を扱う水産らしい研究室を選ぼう」と漠然と考えていました.しかし,実際に私が選んだのは“海洋天然物化学”.この分野は,海洋生物がつくる特異な“毒”などを医薬品開発の探索源と捉え「Drug from the Sea」のスローガンのもと発展してきた学術分野です.未知の生理活性や化学構造を持つ化合物は,生命現象を解明する鍵となる可能性を秘めている.そんな,文字通り“宝探し”の側面に惹かれたのです.

当時の私は「教科書に載るような大きな発見は既に調べ尽くされていて,そこに自分が関わるようなことはないだろう」と考える一人でした.のちに所属することになる研究室についても,「“新規化合物”なんて言うけど,どうせ夢物語の遊びに違いない」と穿った目を向けていたことをよく覚えています.

ところが,です.次年度の配属に向けた研究室紹介で,私の“強い先入観”はある化合物によって見事に覆されることになります.それは,ミクロネシア連邦ヤップ島に生息する海綿から得られた“新規興奮性アミノ酸”でした.この「つい最近,構造も機能も新しい化合物を発見して,名前も付けて論文にした」という事実.大げさに聞こえるかもしれませんが,これが,私の見える世界を変えました.化学のことなど何も理解していなかったにもかかわらず,なぜか「これだ!」と思えたのです.それはモノ取りの世界が“ロマン”を“現実”として見せてくれた瞬間だったように思います.

そうして,海洋天然物化学の世界に飛び込んで今に至ります.この時の私は,自身の化学への親和性や得手不得手などは全く考えもせず,また“やりたいこと”と“できそうなこと”のバランスも何にも考えず,純粋に「私も新しい化合物を取る!」という衝動だけで動いていた気がします.

3.  “女性”というキーワード

“モノ取り”の世界にすっかり魅せられて,そして運よく“自分の取った化合物”にも恵まれて,2008年3月に博士(水産学)の学位を取得しました.博士課程修了後は,漠然と大学の教員になることや,助手のような形で研究を続けることを希望していました.しかし,自分の実力と希望が一致するようなポストはありません.実際には,指導教員の転出とそれに伴う新規研究室の立ち上げに携わりながら,3年半を同じ研究室でポスドクとして過ごすことになりました.そして,任期満了による「雇止め」を経て,JREC-INで見つけた専門とは異なる和漢医薬の研究室で1年間,研究員としてお世話になる機会を得ました.

この時の研究室の主宰は女性の先生で,そこで初めて,私は“男女共同参画”と枕詞の付くセミナーに参加することになります.おそらく,その時参加されていた先生方もそうだったのだと思いますが,女性研究者は“女性である”という理由だけで,そのような場に駆り出されることが多々あります.例にもれず私も,その後“女子教育”にどっぷりつかることになるのですが,この時講師の先生がお話しされたこと,そして女性PIとして当時のボスが見せてくださっていた後ろ姿には,その後のキャリア形成において非常に大きなヒントを与えてもらっています.

4.  二つ目のキャリア

その後,女性限定公募で現在の高専に着任し,気づけば13年が経っていました.

高専という教育機関は,少し特殊な立ち位置にあります.中学を卒業したばかりの15歳から5年生の卒業時には20歳,さらに専攻科に進めば大学4年生に相当する22歳,この幅広い年齢層の学生と日々向き合うことになります.教員の仕事も授業や研究,校務だけではありません.部活動指導や引率業務,クラス担任を持てば毎朝のショートホームルームや行事の采配,就職関連企業や保護者との面談など,研究にまるまる1日を費やせる日は非常に稀です.ですので研究という観点で見ると,これからバリバリ研究するぞ!と思う若手の皆さんが足を踏み入れる場としては,少し面食らう場面が多いかもしれません.一方で,アカデミアの公募で求められることも多い“教育経験”を積む場としては,大変に充実した環境であることも確かです.広い年齢層の学生と日々向き合い,その成長に立ち会うことができるという意味で,高専は教育経験上この上ない場と断言できます.

そんな環境の中で,私はある時期から,いわゆる“女子学生支援”と呼ばれる取り組みに関わるようになりました.きっかけは“理系女子実験隊”という出前授業プロジェクトの発足でした.振られた仕事で,且つ自分の専門とは全く関係しない活動だったこともあり,初めの頃はあまり前向きではありませんでした.しかし気づけば10年,毎年試行錯誤を重ねながら活動に関わっているうちに,この“女子学生支援”がキャリアの二つ目の柱に育っていました.

5.  研究者/教育者として

一方で,自分自身の研究活動はというと,相変わらずもがきの連続です.研究にまとまった時間を割くことが難しく,気持ちの集中も続きません.科研費の申請にも毎年力を注ぎましたが採択には至らず,自己評価としても「研究者として一人立ちできていない」という感覚も抱え続けています.

研究者としてのもがきと,教育者として育ちつつあるキャリア,この二つの想いを抱えるようになっていた時,生物物理学会年会に高校生発表で参加する機会に恵まれました.これを契機に「自身のこれまでの研究の一部を学生に“なぞらせて”発表させる」という研究スタイルを確立していくことになります.思いつき,とも言える始まりでしたが,実際には単なる過去の模倣には終わらず,共同研究を支えてくださる先生方の力を大いに借りながら,研究そのものも新たな展開を見せています.

6.  おわりに

「研究そのものへの情熱はあれど実力不足」という葛藤を抱え,次第に教員としてのキャリアの方が大きくなっていくことに,淋しさに似たものを感じることも確かです.ただ,「なぜ?」という問いから始まる純粋な知的好奇心がいかに世界を広げるか,広がった世界がいかに面白いかを伝えたい.それが,私がまだ研究にしがみついている理由なのだと思います.

学生を見ていると,彼らの多くはどうやら研究を遠い世界のことだと感じているようです.その壁のようなものを取り払い,彼らが最先端の科学をリアリティを持って感じられるような教育を提供したい,今はそんなことを思う日々です.

こうして振り返ってみると,紆余曲折を経て辿り着くものには,何らかの“価値”が必ず付随するのだと思います.「それを拾っていくとオリジナルの道を見出せるよ!」それが,私にお伝えできる“キャリア論”なのかもしれません.最後までお読みいただき,ありがとうございました.

Biographies

松永智子(まつなが さとこ)

函館工業高等専門学校物質環境工学科准教授

 
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