日本の中世前期に、どのような陶磁器が舶載、輸送され、受容されたのかを知ることができる資料に、大韓民国(韓国)全羅南道西部の新安沖に沈没した輸送船より発見された陶磁器群がある。このいわゆる新安沈没船は、荷札などから至治三年(一三二三)以降に、漸江省慶元(寧波)を出港して博多へ向かった船と考えられている。新安沈没船陶磁器群には、約2万点の文物が積載されていたと推計されており、その内容は青磁が60%(漸江省龍泉窯)、白磁、青白磁が25%(江西省景徳鎮窯)で、その他船員が所有していたと考えられる文物にまで及んでいる。新安沈没船の陶磁器類には、器胎見込み部分に墨書がある青磁、白磁が含まれている。その一部は、図版および所見として報告されているものの、経年劣化もあり剥落、消失も多く難読である。そのため、それら墨書の文字の検討や意味についての考察はなされておらず、不詳のまま今日に至っていると思われる。本稿では、韓国国立中央博物館(ソウル)、国立海洋文化財研究所(木浦)での実査に基づき、それら蓋器の墨書を再検討し、墨書銘の文字確定を試みた。また、その墨書銘が墨書蓋器としてどのような意味を持つのかについての見通しを述べた。なお、本稿は科学研究費補助金〈基盤研究(C)(一般))課題番号二四五二○七二三「中世鎌倉地域における寺院什物帳(文物台帳)と請来遺品(唐物)の基礎的研究」によって行われた調査に基づくものである。