日本物理学会誌
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二次元分光法:タンパク質のダイナミクスを可視化する二次元蛍光寿命相関分光法を中心として
石井 邦彦田原 太平
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2017 年 72 巻 12 号 p. 854-861

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抄録

我々の研究室名には「分子分光」という言葉が冠されている.「分子分光」とは,分子の構造やダイナミクスを光の吸収・散乱・放射の精密な計測を通して明らかにすることを目的とする,主として物理化学に分類される研究分野である.特に,光と分子の多様な相互作用を利用して新しい計測の方法論を開拓し,これを未解明の分子現象に適用することが重視されており,分光法の開発そのものが研究分野の重要な位置を占めている.

今世紀に入ってからこの分子分光分野の最先端で,二次元分光法と呼ばれる方法をよく目にするようになった.ここで述べる二次元分光法は,「二次元的な空間広がりをもつ系に対する分光イメージング」を指すのではない.簡単に言うと,二つの物理量の関係(相関)の有無を,二つの量をそれぞれ縦軸と横軸に取った二次元プロットを用いて解析する実験手法のことである.さらにはこのプロットを利用して,「片方の量が変わった時に,もう一つの量が影響を受けるか否か」を系統的かつ網羅的に調べる分光手法ということができる.その二次元プロットのパターンから,一次元のスペクトルからは得られない高度な情報,例えば系の不均一性やそのダイナミクス,分子内・分子間相互作用などを読み取る.それぞれの二次元分光法に対して,通常そのベースとなる分光計測法が存在しており,その意味で二次元分光法自体が実験法として新しい特定の原理に基づいた手法というわけではない.むしろ,多量のデータを収集して俯瞰的に解析することで,従前の方法では見え難かった複雑な現象を歴然とした形で可視化することにその本質がある.つまり,種々の分光法を二次元分光法へと発展させることで,一つの測定量を議論しているだけではなかなか見えてこない不均一性やダイナミクスが直感的に理解しやすい形で捉えられるようになるのである.このような方法論が可能になったのは,レーザーの安定性の向上など分光関連技術の進歩により実験の精度が改善したことや多数回の実験が比較的容易になったこと,さらにはPCの処理能力の向上で多量のデータを容易に扱えるようになったことが背景にある.

我々は最近,一分子蛍光計測法を基盤とした新たな二次元分光法として,二次元蛍光寿命相関分光法を提案した.この手法はタンパク質など多自由度をもつ分子系に特徴的な,熱揺らぎによる自発的な構造ダイナミクスを可視化することを目的に開発したもので,一分子計測法としては最も高いマイクロ秒レベルの時間分解能で構造選択的なダイナミクス計測が可能である.我々はこれをシトクロムcの折り畳み過程の研究に適用し,複数の変性中間体の存在とマイクロ秒以下からミリ秒以上までの時間スケールにまたがる階層的な構造遷移の様子を可視化することに成功した.階層的なダイナミクスを解明するためには時間軸のダイナミックレンジの広さが重要であるため,この手法は生体高分子の構造揺らぎという重要な問題に対して本質的な寄与をなしうると考えている.これは一つの例だが,いくつかの分野で分光データの二次元マッピングが成功を収めており,既存手法とは一線を画す応用展開が広がりつつある.

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