近年,量子情報科学の進展や量子計算機への期待が高まる中で,量子力学の基礎的な問題への関心も再び活発になってきている.中でも,「科学の最も深淵な発見(H. Stapp)」とも評されるベル定理は,その解釈や実験的検証,さらには量子情報科学への応用に至るまで,幅広い分野から強い関心を集めている.実際,2022年にはベルの不等式の実験的破れがノーベル物理学賞の授賞理由となり,量子もつれ(エンタングルメント)を介した非局所的な相関の不思議さは,今なお量子力学の世界像を問い直す重要な手がかりとして注目されている.
伝統的には,ベルの不等式の破れは,アインシュタインらが想定していた局所実在論の破綻を意味すると理解されてきた.しかし,ベルの不等式を導く際に前提とされる仮定には,例えば(相対論的)時空の存在や測定選択のランダム性(あるいは“自由意志”の存在)といった,通常はあまり意識されない暗黙の仮定も含まれている.さらに,“実在”や“自由意志”など哲学的な概念は誰もが納得する明確な定義を与えること自体が難しい.また,後年のベルは「相関は説明を切望(cry out)している」と述べ,局所実在論そのものよりも相関の説明に主眼を移していた.このような背景から,ベル定理の含意をめぐる議論はいまなお続いている.
以上のような背景から,ベル定理を教える方法には多様なアプローチが存在するが,中には混乱を招きかねない議論も見受けられる.定理の内容を正確かつわかりやすく理解するためには,まず明確に定義された局所隠れた変数理論を導入し,その枠組みの下でベルの不等式を導くことから話を始めるとよい.その上で,背後にある“実在”などの哲学的概念との対応や解釈については,学ぶ者の関心や理解の程度に応じて,議論の深さや論点の焦点を適切に調整することが大切となる.
一方,ベルの不等式の実験検証は,1970年代後半のクラウザーやアスペらによる初期の実験以来,今日に至るまで精力的に行われてきた.その過程で特に注意すべきなのは,検証結果の信頼性を損なう可能性のある各種の抜け穴をいかに塞ぐかという点である.中でも,「検出効率の抜け穴」と「通信の抜け穴」という,重要な抜け穴を同時に塞ぐことに,2015年,3つの独立した研究グループが成功した意義はきわめて大きく,ベル定理の実験的検証における重要な到達点となった.
他方,測定選択のランダム性を保証する試みとして,遠方のクエーサー光を用いて測定の種類を決定する「宇宙ベル実験(Cosmic Bell Test)」や,10万人にのぼる人間の“自由意思”によって測定選択が行われた「BIGベル検証」なども実施されている.しかし,(未知の)隠れた変数と測定選択とのあいだに依存性がある可能性は,論理的に完全に排除することができないため,「測定独立性」の抜け穴を原理的に完全に塞ぐことは不可能であることにも注意が必要である.
現在,量子もつれやベル定理は,物性,宇宙,素粒子といった分野の垣根を文字通り「もつれ」させつつあり,今後の展開からも目が離せない.
全ての超伝導体では電気抵抗が消失し磁場が内部から排除される. したがって,超伝導状態は基本的に無個性である.超伝導状態の個性を知るためには,超伝導を担う電子対の結合エネルギーである超伝導ギャップの情報が必要となる.特に,超伝導ギャップの波数空間構造は,超伝導発現機構の特徴を反映することが知られている.では,逆に波数空間で超伝導ギャップを人為的に制御して超伝導体に個性を持たせることはできないだろうか.この一見荒唐無稽な試みについて紹介する.
物性の制御は,一般に磁場・電場・圧力といった外部場の印加や,構成元素の組成変更によって行われることが多い.それに対して,物質の構造そのものを人工的に操作することで量子状態を自在に制御しようとする手法が注目を集めている.その実現基盤として脚光を浴びているのが,ファンデルワールス層状物質と総称される原子層状の物質群である.これらの物質は,数原子層程度の厚さを持つ原子層が積み重なった構造を有し,金属,磁性体,超伝導体など多彩な物性を示す.特に興味深いのは,単一の原子層を取り出すと,バルク状態とは異なる性質が顕在化する場合がある点である.さらに,異なる原子層を積み重ねたり,積層時に層同士にひねりを加えたりすることで,自然界には存在しない新奇な構造や量子状態を創出できる.単体では超伝導を示さない遷移金属ダイカルコゲナイドやグラフェンをひねって積層することで創発する超伝導相は,その好例と言えよう.
このような背景のもと,我々は原子層超伝導体における構造自由度を利用した,超伝導ギャップ構造制御の可能性に注目した.しかし,原子層超伝導体を積層し,かつひねるには高度な試料作製技術が求められる.さらに,超伝導ギャップ構造を調べるには,電子状態を直接観測する電子分光の利用が不可欠である.原子層超伝導体の超伝導転移温度はせいぜい数K程度であるので,電子分光において数十µeVの極めて高いエネルギー分解能が要求される.こうした技術的な困難さから,原子層超伝導体の超伝導ギャップはこれまで系統的に調べられてこなかった.
本研究では,単層超伝導体NbSe2とグラフェンのひねり積層構造に着目した.分子線エピタキシー法による成長温度の精密制御を行うことで,基板上で結晶軸が自然にずれた準安定なひねり積層を作製できることを見出した.また,100 mK程度の超低温環境と20 µeVレベルの分解能を実現した分光イメージング走査型トンネル顕微鏡法(SI-STM)を用いることで,ひねり角ごとに異なる超伝導ギャップ構造を詳細に解析することに成功した.
その結果,ひねり積層構造において,超伝導ギャップの内側のエネルギーにボゴリューボフ準粒子が出現し,ひねり角度に依存した特徴的な空間パターンを示すことが明らかになった.空間パターンの詳細な解析から,グラフェンとNbSe2のフェルミ面が重なる特定の波数において,NbSe2の超伝導ギャップが選択的に抑制される機構が明らかとなった.
このように,ひねりを通じて超伝導ギャップ構造を波数選択的に制御するという手法は,超伝導状態そのものを自在に設計・制御するという新たな研究の萌芽である.本手法はNbSe2とグラフェンの組み合わせに限らず,他の多様な原子層物質系にも展開可能であり,今後,新たな超伝導状態の創出や次世代デバイスの開発へとつながる重要な足がかりとなることが期待される.
暗黒物質は宇宙の全エネルギー密度のおよそ27%を占めるとされる未知の物質である. 暗黒物質の正体をめぐっては,これまでいくつものモデルが提案され,その検出に向けた様々な実験が行われてきたが,未だ発見には至っていない.
暗黒物質の有力候補の1つとして,アクシオンと呼ばれる未発見の素粒子が挙げられる. アクシオンは素粒子物理学の理論的問題を解決するのに加えて, 暗黒物質としての非常に良い性質も備えており,素粒子物理学と宇宙物理学における2つの問題を同時に解決する可能性を持った魅力的な粒子である.
アクシオンの模型では,宇宙初期にストリングと呼ばれる場の配位が形成された可能性があると考えられている.ストリングはアクシオンの理論の基礎となるペッチャイ-クィン対称性の破れに伴って形成され得る, エネルギーの高い領域がひも状に連なったものである.形成されたストリングは複雑なネットワークを形成し,そのエネルギーをアクシオンとして放出しながら発展していく.宇宙の初期条件次第では,このようなストリングネットワークから放出されたアクシオンが暗黒物質の主要な成分となるシナリオが考えられる.
ストリングからのアクシオン放出過程を正確に計算することは,アクシオン暗黒物質の質量を推定する上で重要である.もしアクシオンが暗黒物質の主要な成分ならば,その質量は原理的には現在の宇宙におけるアクシオンの残存量から推定できると考えられる.アクシオンの残存量,すなわち宇宙初期にストリングからどのくらいの量のアクシオンがつくられ,現在の宇宙に残っているかは,アクシオンの質量に依存する.このことを利用すれば,アクシオンの残存量が現在観測されている暗黒物質の量に一致するために必要となる質量の値を推定することができる.質量の値が正確に推定できれば,アクシオン暗黒物質の検出に向けてどのようなパラメター領域を探査すべきか,といった指針が明確になり, 将来実験における検出効率を高めることができると期待されている.
ストリングからのアクシオン放出過程の計算は解析的な取り扱いが困難で,数値シミュレーションを用いる必要がある.数値シミュレーションでは,ストリングの長さに相当する宇宙論的スケールと,太さに相当する素粒子論的スケールという,極端に異なる2つの長さスケールが存在する点に注意する必要がある.ところが,計算資源には制約があるため,これらのスケールの違いを正確に反映させることは実際には不可能である.このことが,計算結果に対する大きな不定性の要因となっている.
近年,アクシオン模型におけるストリングネットワークの大規模数値シミュレーションが活発に行われるようになってきており,不定性の解消に向けた研究が進んでいる.計算規模を大きくすれば,シミュレーション結果が長さスケールの違いにどのように依存するかを,より正確に調べることが可能となるのである.現実的なスケールの差をそのままシミュレーション上で再現することは不可能であるものの,シミュレーション結果を現実的な値へ外挿する際に生じる不定性については, ストリングの密度や放出されるアクシオンのスペクトルのスケール比に対する依存性の解析などを通して, ある程度定量的な議論が行えるようになってきている.
アクシオン模型におけるストリングの研究は,将来の暗黒物質検出実験に対する指針を示すとともに,その結果を正しく解釈するための理論的基盤を与えるという点に貢献し得る.今後のさらなる計算精度の向上によって,暗黒物質の性質の解明に向けた重要な手がかりが得られることを期待したい.
オーロラは,北極などの極域で観測される自然の発光現象であり,地球磁気圏において加速された電子が天空から降り注ぎ(降下電子と呼ぶ),大気中の窒素や酸素と衝突することで光る.それは,磁気圏にあるプラズマの振る舞いを反映して,時には静かに,時には激しく輝く.オーロラの色は降下電子のエネルギーに依存するが,緑,青,赤といった特徴的な色の現れ方や振る舞いについて,現在も精力的に研究が進められている.
色を定量的に示すには,その中にどの波長の光がどの程度含まれているかを計測する必要がある.そのため,オーロラの分光計測は古くから行われているが,観測は特定の一か所,もしくは子午線上といった1次元に限られていた.一方,2次元の分布計測にはフィルタ付きカメラがよく利用されている.フィルタ付きカメラを用いた観測よりも良い波長分解能で各波長の空間強度分布を観測することができれば,オーロラの光を詳細に調べることができるようになる.本研究では,核融合エネルギー研究で使われている高感度な分光器と空間掃引のための光学系を組み合わせてオーロラの波長スペクトルの空間分布を得られるハイパースペクトルカメラを開発し,実際にオーロラを観測した.
分光器は,分光イメージ画像として,スリット方向の空間1次元の波長スペクトル分布が得られる.分光器の入射スリット手前に設置したガルバノミラーを傾けることでスリットに垂直方向へ観測位置を掃引することができ,空間2次元の波長スペクトル分布を得ることができる.つまり,この手法は,分光器本体を固定したまま,任意の2次元空間を観測することができる.1フレーム0.2秒の露光時間で340フレームの分光イメージ画像を取得することで2次元の波長スペクトル分布を得る.この分光器は,格子定数500本/mmと1500本/mmの2枚の回折格子を切り替えることで,低波長分解能・広波長域(半値全幅2.1 nm,400 nmから860 nm)と高分解・狭波長域(半値全幅0.73 nm,123 nm幅)での観測を行える.標準光源を用いて,ハイパースペクトルカメラの明るさを較正し,肉眼で視認できるオーロラを数値データとして解析できることを示した.
本装置は,オーロラ帯直下の北緯67度51分に位置するスウェーデン宇宙公社(SSC)のキルナ・エスレンジ・オプティカルプラットフォームサイト(KEOPS)に設置され,2023年9月より観測が開始された.2023年10月20日から10月21日の朝にかけて発生した激しく活動するオーロラを観測することができた.その波長スペクトルには,酸素原子からの緑(557.7 nm)や赤(630.0 nm),窒素分子からの青(427.8 nm),640 nmから700 nmにかけての窒素分子のバンドと様々な波長の光が観られ,時間とともに変化する様子を観測することができた.630.0 nmと427 nmの二つのスペクトルの強度分布や,位置による波長スペクトルの差異を定量的に観測できた.
このように,オーロラ観測にハイパースペクトルカメラを用いることで観測波長域の中から任意の波長の空間2次元の強度分布を得ることができるようになった.様々なタイプのオーロラの色構造(波長スペクトルの時空間分布)の中に磁気圏での電子の加速機構の理解へとつながる現象を見つけ出そうと考えている.これらのデータは,核融合科学研究所のオーロライメージ分光のデータリポジトリー(DRAIS)を通して公開されているので,活用していただきたい.