日本物理学会誌
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最近の研究から
原子からニュートリノを引き出せるか――コヒーレンスの新奇な応用
田中 実笹尾 登吉村 太彦
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2019 年 74 巻 8 号 p. 548-553

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抄録

ニュートリノは原子核や素粒子のベータ崩壊にのみ関わる不思議な粒子で,およそ通常物質とは関係ないと思っておられる読者が多いかもしれない.しかし,ベータ崩壊のみにニュートリノが関わるわけではない.1973年のGargamelle実験では,高速の荷電π中間子崩壊から得られるニュートリノビームを原子集団に照射した結果,数100 MeVのエネルギーの電子が放出された.これは原子に束縛された電子がニュートリノ衝突によりはじき出されたと解釈され,素粒子理論の予言と一致した.

素粒子物理の基礎である相対論的場の量子論に従うと,このニュートリノと電子の相互作用は,原子内電子の束縛状態変化によるニュートリノ・反ニュートリノ対放出という予言を導く.量子電気力学による光子の放出過程に類似しているが,はるかに弱い過程である.私たちの主たる物理目標は,このニュートリノ対生成を確認すること,対生成を利用してニュートリノの未知の性質を解明することにある.

ニュートリノ振動実験の進展により,3種類のニュートリノが混合し,質量固有状態の内,少なくとも2つが有限の質量を持つことが明らかになった.ニュートリノ振動は質量の2乗の差と混合行列で記述される.これまでの振動実験の結果から,2つの質量2乗差と3つの混合角が比較的良い精度で分かっている.一方,質量そのもの(質量の絶対値)はニュートリノ振動では決定できない.つまり,最も軽いニュートリノがどれ程軽いかは振動実験では決定できない.

ニュートリノが従う方程式も2つの可能性がある.中性粒子のニュートリノは,電子のようにディラック方程式に従うディラックフェルミオンであってもよいが,マヨラナ方程式に従うマヨラナフェルミオンの可能性もある.ニュートリノ振動確率はディラックでもマヨラナでも同じであり,振動実験では2つの可能性を区別することはできない.

これらのニュートリノの謎に迫るために,私たちは原子遷移を用いたニュートリノ質量分光を提案した.原子の準安定励起状態|e〉から基底状態|g〉への光子を伴ったニュートリノ・反ニュートリノ対の放出過程(RENP),|e〉→|g〉+γ+νiν(¯)j ,を用いる.原子遷移のエネルギースケールはO(1eVで,ニュートリノ質量スケールに近く,遷移確率はニュートリノの質量に敏感である.また,RENPでは終状態にニュートリノ対が含まれているので,ニュートリノがマヨラナの場合,同種粒子効果でディラックの場合と遷移確率が異なり,RENPによりマヨラナかディラックかを決定できる.

孤立した原子のRENPレートは極めて小さいので,レート増幅に原子集団のコヒーレンスを利用する.それぞれの原子の初期状態を|g〉と|e〉の重ね合わせにすることにより,レートは関与する原子数の2乗に比例して大きくなる.巨視的標的でこれを実現できれば,その増幅効果は莫大である.RENPのような複数の粒子を放出する過程では,終状態の運動量が位相整合に相当する条件を満たしている場合にこれが可能となる.私たちはこれをマクロコヒーレント増幅機構と呼んでいる.

RENPのニュートリノ対を1つの光子で置き換えた過程,|e〉→|g〉+γ+γを対超放射(PSR)と呼ぶ.マクロコヒーレント増幅機構についての理解を深めるために,理論・実験の両面からPSR研究を進めてきた.パラ水素の振動励起状態を用いたPSR実験で18桁の増幅を確認し,マクロコヒーレント増幅機構の実証に成功した.

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