日本物理学会誌
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最近の研究から
低温度差スターリングエンジンの力学系モデリング――自律非平衡熱機関の物理学に向けて
泉田 勇輝
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2020 年 75 巻 6 号 p. 324-328

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抄録

身近な熱エネルギーを有効利用するテクノロジーは持続可能社会のための重要な基盤である.熱力学によれば熱を仕事に換えるには温度差が必要である.1980年代に提案された低温度差スターリングエンジンは体温と室温の間のわずかな温度差でも動くエンジンとして知られている.コーヒーを注いだカップの上で優雅に回転するエンジンの様子を眺めたことのある読者もいるかもしれない.しかし,低温度差スターリングエンジンはどのようなメカニズムで回転するのだろうか.より性能の高いエンジンの設計のためのみならず,わずかな温度差から自律的な運動を可能にするメカニズムはそれ自身基礎物理学の観点からも大変興味深い.

低温度差スターリングエンジンは気体の膨張・圧縮に伴うパワーピストンの往復運動をクランクによって回転運動に変換することで動作する(ピストン・クランク機構).この際,位相がずれたもう一つのピストン(ディスプレーサ)によって気体がシリンダー内を上下に移動して高温熱源と低温熱源に周期的に接するように自動制御されることで回転運動を実現している.このように低温度差スターリングエンジンは,外部の操作者を必要とせずに自律的に動く.熱力学では実際のエンジンを理想化した準静的サイクルを考え,その熱効率を議論するが,自律的に動作するエンジンのダイナミクスそのものは扱えない.低温度差スターリングエンジンは非平衡状態で動くため,これは非平衡系の物理学の関わる問題でもある.

これまでにも低温度差スターリングエンジンのモデリングの試みはあったが,機械力学や熱流体力学などを用いた非常に複雑なモデリングが多く,回転運動が生じるメカニズムの本質が分かりづらいままであった.基礎物理学的な観点からは,本質を損なわない程度に極力複雑な要素を省き,温度差によって生じる自律的な運動を記述できるミニマルモデルを考えたい.

著者は最近,機械力学におけるクランクの運動方程式をベースに非平衡熱力学,非線形動力学のアイデアを融合することで,低温度差スターリングエンジンのミニマルモデルを提案した.本モデルでは低温度差スターリングエンジンの複雑なダイナミクスをたった1変数のニュートンの運動方程式で記述する.得られた運動方程式は非線形駆動振り子の運動方程式によく似ているが,回転の駆動力が温度差という熱力学的な力である点が異なる.

運動方程式はクランクの回転角と角速度を変数とする2次元力学系を構成する.エンジンの回転運動は力学系の周期解として表現される.エンジンの回転運動の消失は,温度差を分岐パラメータとした分岐現象として記述されることを示した.

本モデルの実験的検証やその熱力学的性質の解明は,自律非平衡熱機関の物理学構築の重要な指針になると期待できる.近年発展が著しい有限時間熱力学との関係も興味深い.また,本研究で示されたエンジンを力学系として表す発想が新しい熱テクノロジー提案へとつながることも期待している.

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