日本物理学会誌
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最近の研究から
同位体シフトによる新物理探索――精密分光で迫る基本法則
田中 実小野 滉貴山本 康裕高橋 義朗
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2022 年 77 巻 6 号 p. 355-360

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抄録

素粒子物理学には,いくつかのフロンティアがある.一つは高エネルギーフロンティアで,高エネルギーの状態から新たな素粒子を発見することが主な目的である.CERNの大型ハドロン衝突型加速器(LHC)が現在の最高エネルギーの実験装置であり,LHCにおける2012年のヒッグス粒子の発見により,素粒子標準模型に登場するすべての粒子が既知のものとなった.もう一つのフロンティアは高輝度(あるいは高強度)フロンティアで,特定の素粒子を大量に生成し,その性質を詳しく調べることで素粒子の相互作用について解明することを主眼とするものである.日本ではKEKのスーパーBファクトリー実験やJ-PARCにおけるK中間子,ミュー粒子,ニュートリノの実験等がこれにあたる.宇宙も素粒子物理のフロンティアであり,インフレーション理論の検証等が行われ,コスミックフロンティアと呼ばれている.

これらに加えて,高精度フロンティアと呼ぶべき研究が近年重要さを増している.例えば,標準模型を越える新しい素粒子模型の多くが予言する,電子の永久電気双極子能率の探索が,原子や分子を対象とした高精度の測定に基づいて行われている.このフロンティアは,原子物理学の発展と密接に関連している.かつてはマクロな数の原子集団の測定によって個々の原子の性質が決定されてきたが,実験技術の進歩とともに,少数の原子を対象とした実験が可能になり,1個の原子やイオンをトラップし,単独原子の孤立状態を実現できるようになった.また,多数の原子の低温の孤立集団も実現されるようになり,ボーズ・アインシュタイン凝縮といった量子的なマクロ状態も観測されている.

私たちは,原子スペクトルの同位体シフトを精密に測定することで,標準模型を越える新しい物理の探索を行っている.もし,電子と中性子に結合する新粒子が存在すれば,この粒子が電子・中性子間で交換されることでも同位体シフトが起こる.同位体シフトの実験値と標準模型での理論値を比較すれば,原理的には,この効果を検出できる.しかし,同位体シフトの系統的精密測定が行われているカルシウムやイッテルビウムのような電子多体系のスペクトル計算の不定性は,実験精度に比べてかなり大きい.このため,同位体シフト自体の実験値と理論値の直接的な比較による新物理探索は,単純な原子を除いて現実的ではない.そこで,複数の遷移の同位体シフトが満たす線形関係に注目し,新粒子の効果でこの線形関係が破れることを利用して,新物理探索を行った.

具体的には,魔法波長の光格子に中性イッテルビウム原子をトラップし,578 nmの狭線幅光学遷移(時計遷移)について,数Hzの不確かさで系統的に同位体シフトの測定を行った.この結果と先行研究のイッテルビウムイオンの411 nmおよび436 nmの遷移の同位体シフトの測定結果を合わせることで,世界初の3遷移間の線形性検証を行った.その結果,線形性が有意に破れていることが分かったが,同時に,この線形性の破れは標準模型で説明されるべきものであることも明らかにした.新物理に由来する非線形性には上限が得られ,これに基づいて新粒子の結合定数に対する制限を与えた.現状では得られた制限は既存の実験のものよりも弱いが,今後の実験精度の向上によりこれを上回ることが期待される.

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