日本物理学会誌
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最近の研究から
レーザー光による「反物質原子」操作に初めて成功
百瀬 孝昌藤原 真琴
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2023 年 78 巻 1 号 p. 34-38

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抄録

物質が光を吸収したり放出したりするとき,エネルギーとともに運動量の吸収,放出が起こる.この運動量の変化のために,わずかではあるが,光から物質に力を及ぼすことができる.この効果を用いた光による物質の運動制御が,レーザー技術の発展に伴って可能になった.特に,レーザー光による原子操作および原子冷却の技術は,ノーベル賞級の現象の観測をいくつも可能にし,近年の原子物理学を大きく発展させてきた.

ディラックが導いた相対論的量子力学によって予言されたように,物質には必ずその反物質がある.例えば,陽電子は電子の反物質としてよく知られている.では,反物質も物質と同じように,光を使ってその運動を制御できるだろうか?

理論的には,反物質も物質と同じようにその運動を光で制御できると考えられている.しかしながら,我々の宇宙には反物質がほとんど存在しないため,このことを実験的に直接検証することは,これまでほとんど不可能と考えられていた.

CERN(欧州原子核研究機構)を実験拠点とするALPHA国際共同研究グループ(Antihydrogen Laser Physics Apparatus)は今回,このレーザー光の力を用いた反物質の操作に世界で初めて成功したことを報告した.最も簡単な原子である水素原子の反物質である「反水素原子」を実験室で作り,緻密に制御されたレーザー光を照射することで,反水素原子の運動を通常の物質と同様に制御できることを実証した.さらに,この手法によって反水素原子を絶対零度付近にまで冷却できることが確認された.

ALPHAグループはこれまでに,反水素原子の電子遷移および超微細構造遷移の分光に初めて成功し,反水素原子の構造を精密に調べる新しい手法を示してきた.原子内の電子は,原子核と電子の相互作用によって特定のエネルギー構造を持つが,現在の標準模型理論では,水素原子と反水素原子は厳密に同じ周波数の光を吸収・放出することを予言している.そして,これまでのALPHAグループの実験では,電子遷移において,12桁の精度の範囲内で遷移周波数は一致していた.

しかしながら,現在の宇宙空間で観測できるほとんどのものは物質の粒子でできており,それと同数あるはずの反粒子の物質はほとんど存在していない.このことから,物質と反物質の振る舞いにはわずかな違いがあるはずであり,その違いが遷移周波数の差として観測されると期待されている.

今回成功したレーザー冷却によって,反水素原子の運動をほぼ停止させることができ,レーザー光との相互作用時間を長くすることで,反水素の内部構造をより精密に測定できる.これにより,水素原子と反水素原子の遷移周波数の違いを,さらに一桁から二桁以上,精度を向上させて調べることを可能にした.

水素原子と反水素原子の挙動にほんのわずかでも違いが見つかれば,物質と反物質の不均衡を説明する手がかりが得られる.さらに,宇宙を構成する基本粒子とそれらを支配する力を記述する物理学の理論「標準模型(Standard Model)」の大前提である,CPT対称性や,ローレンツ不変性が破れている可能性が出てくる.

今回の反物質原子のレーザー冷却の成功により,基礎物理学の根幹に関わる反物質研究が飛躍的に進展すると期待されている.例えば,現在CERNで進行中の,地球の重力が反物質にどのように力を及ぼすかを調べる実験を,さらに高精度で行えるようになった.また反物質を用いた新しい量子技術の開発,あるいは反物質でできた分子の創生など,様々な反物質応用研究の可能性が今後新たにひらけると期待されている.

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