日本物理学会誌
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解説
Bフレーバー物理の異変――この10年で分かったこと・分からないこと
井黒 就平
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2025 年 80 巻 4 号 p. 166-174

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抄録

素粒子の標準模型は欧州原子核研究機構(CERN)の大型ハドロンコライダー(LHC)における2012年のヒッグス粒子発見で予言されるすべての粒子が確認され確立された.対称性に基づき構成された標準模型には相互作用を媒介する4種類のスピン1粒子と12種類のスピン1/2の粒子(フェルミオン)が知られる.右図に示すように標準模型のフェルミオンの部分はアップ型クォーク,ダウン型クォーク,荷電レプトン,ニュートリノの4つの粒子の組み合わせ(このセットを世代と呼ぶ)の3つから構成され,繰り返しの3世代構造を持つ.標準模型は右図下部の光子などが媒介する相互作用では世代を区別しないことを予言する.一方でフェルミオンの質量を与えるヒッグス粒子との湯川相互作用は,特に質量の大きいトップクォークと軽いアップクォークでその強さが5桁異なるなど粒子の種類(フレーバーと呼ぶ)を明らかに区別する.これらの背後にある基本原理は何か?を標準模型を超える物理(NP)によって解決する模型も提唱されており,粒子のフレーバーに着目するフレーバー物理は標準模型の拡張を考える上で重要な手がかりを与えうる.

事実として2024年12月の時点では,地上での人類の高エネルギーフロンティアであるLHC実験からの新物理の証拠となる新粒子の発見の報告はない.一方でフレーバー物理では,2018年開始の高エネルギー加速器研究機構のBelle II実験やJ-PARC実験などの国内実験や欧州のLHCb実験など,先行実験の統計精度を遥かに上回る実験が近年進行中であり,現在標準模型の予言と精密な実験結果の間に4σ(標準偏差の4倍)ほどの食い違いが複数報告されている.フレーバー物理では精密測定を武器に,標準模型の検証および,標準模型の予言と精密な実験結果とを比較しその差異を手掛かりにNPの重い粒子を探索する.特にB中間子崩壊では,中性粒子やタウ粒子など測定が難しい粒子があるものの莫大な統計量を誇るLHCb実験と,低い重心エネルギーでのee衝突を用いてB中間子を生成し,より背景事象の少ない環境で崩壊を精査するBelle II実験が世界を牽引する.

B中間子からD中間子やレプトンへのセミレプトニック崩壊では10年ほど前にアメリカのBaBar実験から標準模型の予言と実験値の間の食い違いが指摘されていたが,ここ3年で多くの独立実験結果が報告され,この結果は標準模型の綻びとこれを説明するTeVスケールの新物理の存在を示唆している可能性がある.このB中間子崩壊を正確に予言するには,ボトムクォークなどの素粒子レベルではなくB中間子からDKなどの軽い中間子へ遷移を,非摂動な量子色力学(QCD)の効果を含めて記述する必要がある.これに関し直近の2,3年で格子QCD計算の複数の独立グループが関連結果を公表しており,今後この理解が深まることが確実視されている.素粒子物理学における発見は,従来5σを基準として定義されているが,この差異の確定には進行中の実験での追検証とともに,上記の格子計算の進展も含む標準模型の予言の精密化が不可欠である.近年,食い違いが示唆する新物理模型の性質とLHCや核子の電気双極子モーメントなどにおけるこれらの新粒子の検証方法の研究も盛んに進み,多角的アプローチで当分野の発展が加速している.

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