智山学報
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バクティ信仰と臨終 : 三昧と生活(3)
小山 典勇
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1990 年 39 巻 p. A1-A13

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抄録

世間では,ホスピスが話題になり,また脳死,臓器移植,あるいは安楽死など生命倫理の問題に多方面から関心が集中している。自分が死ぬことをま正面から考え,あるいはホスピス関係や死を主題とする文献を読みあさるのは,正直いって些か気が重いものである。しかし,我々がこの種のテーマを論じる時,すぐ引き合いに出されるのが浄土教であり,また覚ばん上人のものである。そして,かわりばえのしないまとめに当惑し,落胆をしてきたものである。何故死の一瞬が重要視されるのか,死の一瞬は我々にどんな意味があると教えているのか,これらの点については論じられていないようである。それ故そこで行われる臨終作法,あるいは葬儀についても,所作や方法は懇切丁寧に説明されても,それはどのような意味を持っているのか,問われないのである。本論はヒンドゥー教の聖典・バーバヴァタ・プラーナにおける,老バラモンの物語りを検討材料とする。それは老バラモンの臨終の場面で,しかも本人が無意識の状況でおきた出来事である。結果としては,臨終に,しかも無意識の中で最高神の名を唱えた功徳が高く評価される。そして,その効能によって生前の悪業が取り消され,蘇生する。夢中の出来事のように思い起こして反省して,バーガヴァタ派の信仰者となっていくという筋書きである。 考察のポイント 1)臨終に何が現れたのか,それにはどのような理由,背景があるのか。2)それはどのようにして形成されたのか。このテーマを解く鍵の一つに,蘇生した人の意識状況をたどることも必要であろう。3)この間題を我々はどのように受け止めていけばよいのか。死を巡っての諸問題にも目を向けながら,上記の課題について考察を進めよう。なお今回のテーマもまた,般舟三昧経から出発した「三昧と生活」シリーズ・3である。

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1990 智山学報
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