智山学報
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敦煌本チベット文治療書Pelliot tibétain 1057試訳
谷田 伸治
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2016 年 65 巻 p. 001-020

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抄録

    筆者らは先ごろ、『チベット伝統医学の薬材研究』(石濱裕美子・西脇正人・福田洋一・谷田伸治著、藝華書院、2015年)を上梓した。同書は、チベット伝統医学の最重要古典『ギューシ(漢名:四部医典)』(rgyud bzhi)1)の概観・研究史、その薬材に関する第二部解釈タントラ第19〜21章の訳注・薬材名属名対応表2)、寺本婉雅(1872〜1940)が1898年に入手し将来したチベット本草図譜の稀覯本の影印・訳注など、を含んでいる。さらに筆者らは、早稲田大学中央ユーラシア歴史文化研究所の事業として「『四部医典』によるチベット薬材データベース」(http://tibetan-studies.net/tibmed/)に、上掲第19〜21章の薬材の学名の詳細も公表してきた。
 『ギューシ』の成立過程の考察には、敦煌出土のチベット医学文献の研究が不可欠である。この方面については、フランス国立図書館のチベット語敦煌文献の影印本3)が出版されたことなどを契機として、中国の学者らによる種々の文献が発表され、日本でも山口瑞鳳教授4)や筆者5)のものがある。本稿では主に以下の文献を参照した。
①羅秉芬主編、強巴赤列(byams pa 'phrin las)・黄福開審訂『敦煌本吐蕃医学文献精要(訳注及研究文集)』北京、民族出版社、2002年。(以下「文献精要」。本稿で参照した漢文訳を「羅訳」、チベット文摹写部分[翻字]を「羅本」、注釈を「羅注」と呼称)
ー内容は、第一編漢文訳本(A. Stein[1862〜1943]蒐集のS. t. 756, I. O. 56, 57とP. Pelliot[1878〜1945]蒐集のP. t. 127, 1044, 1057, 1058)、第二編研究論文(12篇)、第三編蔵文摹写・注釈(第一編の文献[P. t. 1058はなし]とI. O. 755)、附録:索引・研究論著目録ほか。敦煌出土チベット医学文献研究に大変有用である。なお本書は、羅秉芬・黄布凡編訳、強巴赤列審訂『敦煌本吐蕃医学文献選編(附訳注)』(蔵漢文)(民族出版社、1983年)の増補版。
②王尭・陳践訳注『敦煌吐蕃文献選』成都、四川民族出版社、1983年。(以下、漢文訳を「王訳」)
ー医学文献のP. t. 127, 1044, 1057と法律・経済・古典文献の漢文訳と語釈。
③bsod nams skyid dang dbang rgyal gyis phyogs sgrig dang 'grel bshad byas pa:tun hong nas thon pa'i bod yig shog dril(陳践・王尭編注『敦煌本蔵文文献』[蔵文])、民族出版社、1983年。(②の蔵文版。以下、翻字を「王本」、語句の蔵文注を「王注」)
 Pelliot tibétain 1057は、フランス国立図書館所蔵の巻子本(26.3×450cm)で行数208、無標題、背面は漢文『妙法蓮華経』。その豊富な内容は注目され、研究論文に洪武娌:敦煌石窟『蔵医雑療方』的医史価値(『中華医史雑誌』12(4)251-253、1982年。上掲「文献精要」pp. 105〜111再録)があり、7世紀か7,8世紀境目の内容を反映しているとする。
 内容は各種症状(洪論文によると49種)に対応する治療法を述べたもので、大部分は薬物療法(同上約136種)だが、灸・瀉血・精神療法その他も含んでいる。そのチベット語は、山口教授が「P一〇五七の文は難解である。用語の意味が不明な上に綴字が正しくないから解読は更に困難であり、医方に明るい人でなくては不可能に近い」(『敦煌胡語文献』[注4]p. 542)と述べている。上掲2種の漢文訳は、チベット医学の専門家らの協力も得ているが、解釈の異なる部分や「不詳」と注される箇所などが存在する。拙訳は、『ギューシ』にも記載される薬物に「☆」を付し、注で薬物の学名などを記し活用の便を図ったが、いまだ不明箇所もある試訳である。識者のご批正を乞う次第である。

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