理学療法学Supplement
Vol.48 Suppl. No.1 (第55回日本理学療法学術大会 抄録集)
セッションID: C-34
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シンポジウム
10年前を振り返ってみたら,10年後に変えたいことが見えてきた
中谷 知生
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抄録

 「私たちはつねにある時代,ある地域,ある社会集団に属しており,その条件が私たちのものの見方,感じ方,考え方を基本的なところで決定している。だから,私たちは自分が思っているほど自由に,あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは,ほとんどの場合,自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは,そもそも私たちの視界に入ることがなく,それゆえ,私たちの感受性に触れることも,私たちの思索の主題となることもない。

 私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども,実は,その自由や自律性はかなり限定的なものである。」内田樹(2002)『寝ながら学べる構造主義』文春新書。

 

 この文章は私の好きな思想家の文章です。これを読んで皆さんは何を感じるでしょうか。私はこの文章が,「運動の客観的評価をおろそかにしているのに,運動療法についてわかったようなことを語る理学療法士」のことを指しているのではないかと思っています。私自身を含め,すべての理学療法士はどれくらい主体的な立場で物事を判断できているでしょうか? 客観的判断を行うことが難しい臨床現場において,私たちはどうすることで少しでも「自律的な主体」に近づくことができるでしょうか?

 今回,「10年後にはここを変える」というお題で原稿を書くにあたり,まず私は自分の10年前を振り返ってみました。ちょうど10年前,2010年は私の理学療法士人生の非常に大きな転換点となった出来事がありました。川村義肢株式会社から「ゲイトジャッジシステム」の試作機を使ってみませんか,とオファーを頂いたのです。ゲイトソリューションの油圧ユニットの圧変化と足関節継手の角度変化を計測・記録することで症例の歩行分析を簡易に行うことを可能としたこの機器との出会いにより,私は「客観的な評価に基づきトレーニング内容を吟味する」という行為こそが,理学療法士が『自律的な判断を行える主体」に近づく唯一の道であることに気づきました。

 それから10年が経過して,当院では徐々に動作を分析するにあたり定量的なデータを重視する,という組織風土が根付いてきたように思います。しかしまだまだ問題点は山積みで,同じ回復期病棟に勤務していても定量的評価に積極的なセラピストとそうでないセラピストが居ること,評価に積極的ではあるもののデータの分析が苦手なセラピストが多数居ること,回復期を退院した後に生活期でのリハビリテーションにおいて動作の定量的評価の機会が減少してしまうこと,などなど…おそらく当院の現状は,我が国の理学療法における,定量的評価の導入過程の縮図ともいえるのではないかと思っています。

 皆さんの前で未来の理学療法士に向けて公約を掲げるというような大それたことはできませんが,私が10年後に変えたいことがあるとすれば,「定量的な評価に基づいた理学療法評価を定着させること」ということになるのではないかと考えています。

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