眼上顎褐青色母斑,naevus fuscocaeruleus ophthalmo-maxillaris Ota(以下太田母斑と略す)は1939年太田により始めてclinical entityとして命名され,翌年谷野によりその臨床症状が詳細に記載された.爾来本邦ではとくに珍しい疾患ではなく,本症に関する文献も既に吉田,北村ら,肥田野ら,山田ら,地土井ら,関口らの詳細な報告がある.一方欧米では比較的稀有な疾患に属し,類症を含めわずかに80余例の報告を数えるに過ぎないが,本症の発生病理,あるいは本症と眼球メラノージス,蒙古斑,青色母斑,色素血管母斑症ならびにmelanoses neurocutaneesとの関連性などについて改めて検討されている.先年教室の中村がFitzpatrickを訪れたのを契機として,著者は本研究を命ぜられ,最近15年間(1952~1966)に熊本大学皮膚科教室で経験した太田母斑175例に蒙古斑,色素血管母斑症,青色母斑などの類症を合めて,臨床的観察を行ない,さらに組織学的ならびに電顕的検索から若干知見を得たので報告する.