2024 年 43 巻 p. 29-31
『資本主義が分かる経済学』の使用例を紹介し,使用する中で感じていることについて述べている。同書は,資本主義社会を捉える経済理論のミニマルエッセンシャルを提示したものである。そのため,授業などでシティズンシップ教育に直接つなげるためには,何らかの工夫が必要である。例えば,労働組合,新自由主義と福祉国家,貧困問題といったより具体的な内容を補う必要がある。また,既存の経済学と政治経済学の関係について明示する必要がある。
本稿は,オルタナティブな経済学教育の一端を担うべく出版された『資本主義がわかる経済学』1)の使用例を紹介するとともに,使用している中で感じていることについて述べる。
まず,1節で本の内容について,2節で使用例について述べる。次に3節で感じていることについて述べ,最後にまとめを行う。
置塩信雄・鶴田満彦・米田康彦著『経済学』(大月書店,1988年)2)は,長年政治経済学の教科書として多くの人に読み継がれてきた。しかし,出版から時間が経過していることもあり,その現代化のために書かれたのが阿部他(2019)である。読者は大学初年次生を想定し,適度に数式を用いて,数学的な手法を身につけることも意図している。
目次は表1の通りであり,第I部がマルクス経済学に相当する「資本主義の基礎」,第II部がミクロ・マクロ経済学に相当する「資本主義の再生産」となっている。
表1 目次:阿部他(2019)
第I部 資本主義の基礎
第1章 資本主義を理解するために
第2章 再生産,剰余,社会的分業
第3章 賃金と利潤
第4章 利潤と資本蓄積
第5章 国家と貨幣制度
第II部 資本主義の再生産
第6章 市場の機能とその限界
第7章 生産・雇用の決定
第8章 経済成長と景気循環
第9章 財政・金融政策
第10章 外国貿易と為替レート
第11章 グローバル化と国民経済
置塩他(1988)との違いとして大きいのは,第III部「資本主義の止揚」がないということである。決定への参加というのが置塩他(1988)に貫かれている主張の柱であり,第III部では,決定への意識的な参加を読者に呼びかけている。
もう一つは,「標準的な経済学(近代経済学)」との関係が明示されていないことである。置塩他(1988)においては,マルクス経済学は,生産力,生産関係,経済主体の行動,経済現象の諸関係といった全体の経済システムを研究対象とし,近代経済学はその全体の中の経済主体の行動がどのような経済現象をもたらすのかという問題を集中的に研究対象とするとしている。
これらの点を全面的に取り上げなかったのは,紙幅や時間の制約による。
次に,阿部他(2019)の狙いを佐藤(2020)を基に説明する。
大きな狙いは,資本主義経済を含む多様な人間社会の批判的な読み解き方の習得である。マルクス経済学の基本的視点であるが,人間社会の存続を不可欠の条件としつつ,社会の再生産を「物質的財貨の再生産」と「生産をめぐる人と人との関係の再生産」から捉える。同書では,このような視点を提示している。これは,主流派を特徴づける理論としての限定性/非歴史性を超えるものである。
社会の相対性を知ることで,自己を社会の中に埋没させずに,自己を相対化/客観化する道が拓ける。そこから,個人的レベル・私的利害を超えて,より良き社会実現の方向性に対して一定の意見をもつことが可能となる。このように,同書はシティズンシップ教育につながる内容を有している。
この節では,筆者の同書の使用例について述べる。社会経済学(政治経済学)3)という専門科目で使用しているが,この科目は2年次から履修することができる。授業上の制約としては,学部カリキュラム上の問題で,簡単な経済学史と地域に関係する内容を含めなければならない。
授業では,第I部の1章から5章のマルクス経済学部分を詳しく説明する。第II部はマクロ経済学等の他の授業と重なることから取り上げていない。これらの説明が終わった後,労働組合,新自由主義と福祉国家,貧困問題について取り上げている。また適宜,野宿問題の当事者や支援者,労働組合職員による講演も行っている。
近年多くの大学では,経済界の要求を淵源とした新自由主義的な教育が強まっている。その背景には,少子化という環境下で生き残りを模索する大学が,それを丸呑みしているという現実がある。よくあるのが,正社員とフリーターの生涯年収を比較して,フリーターにならないようにという指導である。これは脅迫型のキャリア教育と言われている。一部上場企業に多くの学生を就職させ,「社会的評価」を上げ,「選ばれる大学になる」ことを方針として掲げる大学も存在する。そのような方針に基づき,「稼ぐ力をつけなさい」「資本主義社会に生きているのだから,競争に勝ち抜かなければならない」という言葉が学生に浴びせられる。
経済学部においては,その目標に向かって限られた時間を最適に用いるようにとの指導がなされる。例えば,「一部上場企業に入るという目標を設定し,そのために何をするべきかを考えなさい。それが経済学的な思考だ。」といった具合である。もともと主流派経済学のイデオロギーは,新自由主義と適合的な面をもっており,それが先鋭的に顕在化している。
もちろん,「稼ぐ力」は必要であろう。しかし,それを最大の目標とし,他をその目標に従属させていくような教育は,学生個人にとっても社会にとっても問題があると言わざるを得ない。
そのような考え方を相対化するのが,政治経済学の役割の一つである。著者の所属する学部のカリキュラムには,そのような新自由主義的な考え方を相対化し,シティズンシップ教育を意識するような経済学の科目は非常に少ない。阿部他(2019)は,シティズンシップ教育につながる内容を含んでいる。また,各章のコラムで現実の問題を紹介している。しかし,理論に重きをおいており,学生が現実に直面する問題を十分取り上げているとは言えない。
したがって,筆者のように,カリキュラム上学生に十分なシティズンシップ教育の機会が与えられていない環境においては,労働組合,新自由主義と福祉国家,貧困問題といったより具体的な内容を補う必要が出てくる。
なお,以上のような教育は,資本主義社会の問題点を指摘し,それを革命に転化するという図式でとらえることもできなくはない。しかし問題は,そもそも革命以前に,主権者意識を涵養するような科目がほとんどないという環境下において,社会に働きかける可能性があることを少しでも示すということである。「とにかく稼ぐ力をつけて競争に勝ち残ろうとしないと悲惨な未来しか待っていない」という脅しを呪文のように浴びせられ続ける環境の中に,ささやかながら小さな風穴を開けるという試みに過ぎないのである。
もう一つの問題は,既述のように,同書が既存の経済学と政治経済学の関係について明示していないことである。既存の経済学に慣れ親しんでいる学生が多い中で,それを明示することの意義は大きい。筆者は,置塩他(1988)でなされたような,マルクス経済学は既存の経済学を包含するようなものであるという整理が未だ有効であると考えている。また,経済学史の学習も欠かせない。
以上,『資本主義がわかる経済学』の使用例と感じていることについて述べてきた。
感じていることは次の二つである。
シティズンシップ教育の機会が与えられていない環境においては,同書の内容だけでは十分ではなく,労働組合,新自由主義と福祉国家,貧困問題といったより具体的な内容を補う必要がある。
既存の経済学と政治経済学の関係について明示する必要がある。
同書は,資本主義社会を捉える経済理論のミニマルエッセンシャルといったものであり,上記の点が十分反映されていないのは,致し方ない。筆者のような教育環境にある方の使用例として参考になれば幸いである。
1)以下,阿部他(2019)。
2)以下,置塩他(1988)。
3)カリキュラム変更の関係で,受講学年によって呼称が異なる。