2023 年 5 巻 5 号 p. 155-159
症例は67歳,女性.便潜血陽性で前医を受診した.下部消化管内視鏡検査でS状結腸の亜全周性大腸がんと横行結腸左側から下行結腸にかけて発赤,糜爛,線状潰瘍の閉塞性大腸炎の所見を認め当院を紹介された.通過障害の症状を認めなかったため外来にて酪酸菌製剤を投与したところ,2週間後の内視鏡検査で腫瘍口側の大腸の病変は完全に治癒していた.術中所見でもがんの口側の大腸に異常を認めなかったため通常の切除範囲の腹腔鏡下S状結腸切除術を施行,経過良好で術後8日目に退院した.病理所見も閉塞性大腸炎の所見は認めなかった.閉塞性大腸炎の病因として,腸管内圧の上昇による腸管壁の虚血性腸炎の他に,腸内容停滞による腸内細菌の異常増殖の報告がある.酪酸菌製剤は大腸内で酪酸を産生し,酪酸は腸管上皮細胞の増殖作用と,大腸粘膜での抗炎症効果が報告されている.酪酸菌製剤を術前経口投与し閉塞性大腸炎の治癒後に手術を施行した症例を経験した.
大腸がんが増大すると腸管内腔の狭窄をきたすが,大腸がんなどの疾患によって通過障害をきたした場合に,口側腸管に潰瘍や粘膜糜爛,粘膜内出血や粘膜壊死を伴う非特異的炎症を発生することがあり,閉塞性大腸炎と称されている1).閉塞性大腸炎の診断基準は,がんなどによる大腸の通過障害があり,病変が通過障害部位の口側に限局し,肛門側の粘膜は正常で,炎症性腸疾患等の疾患がないこととされている2).発生頻度は全大腸がん症例の0.3~2.0%と報告されており3),不完全閉塞の症例にも認められる4).
外科的治療はがんの切除手術に閉塞性大腸炎の病変部位を含む腸管切除が基本とされるが病変が広範な際には大量切除となる3).一方で閉塞性大腸炎の病変部位で吻合すると,縫合不全や術後合併症の危険性があるとされている5).
今回,術前に酪酸菌製剤を内服投与し閉塞性大腸炎の治癒後に,安全に切除手術ができたS状結腸がんの1例を経験したので報告する.
67歳,女性.
2. 主訴なし.
3. 既往歴特記すべきことなし.
4. 現病歴検診の便潜血検査が陽性で近医を受診した.下部消化管内視鏡検査でS状結腸に全周性の2型進行がんと閉塞性大腸炎の所見を認めたため,検査翌日に当科紹介となった.検査の前処置の下剤による特記すべき腹部症状はなかった.
5. 身体所見腹部は平坦,軟で自発痛や圧痛を認めなかった.腸雑音も正常であった.
6. 血液検査所見WBC 5,530/μL,CRP 0.15 mg/dLと炎症所見は認めず,RBC 433万/μL,Hb 13.1 g/dLで貧血はなく,他の生化学検査所見に異常はなかった.腫瘍マーカーはCEA 1.9 ng/mL正常範囲内,CA19-9 58.5 U/mLとやや高値であった.
7. 初診時下部消化管内視鏡検査肛門縁から約30 cm口側のS状結腸に全周性の2型進行がんを認めた(図1).内視鏡は容易に通過するも,横行結腸左側から下行結腸口側にかけて発赤,糜爛,線状潰瘍を伴う閉塞性大腸炎の所見を認めた(図2).なお狭窄部の肛門側および狭窄部と潰瘍性病変の間は正常粘膜の所見であった.腫瘍の生検結果は中分化型管状腺がんであった.
肛門縁から約30 cmのS状結腸に亜全周性の腫瘍病変を認めた.
下行結腸と横行結腸に閉塞性大腸炎(比較的境界明瞭な浅い縦走線状・地図状潰瘍)の所見を認めた.
S状結腸の全周性壁肥厚を認めたが,口側の大腸や小腸に拡張や異常所見を認めなかった(図3).単純CTのみでの所見ではあるが,内視鏡で閉塞性大腸炎の病変を認めた横行結腸左側や脾彎曲部,下行結腸にも異常所見を認めなかった.
S状結腸に壁肥厚(矢印)を認めたが,大腸と小腸に拡張を認めなかった.
腹痛,腹満,下痢などの症状を認めず,排便や排ガスも普段通りに認めており,家庭の事情で2週間以降の手術を希望された.そこで手術までの期間の腸内細菌叢の改善を目的として,プロバイオティクス製剤の酪酸菌製剤ミヤBM®錠20 mgを1日3回14日間経口投与した.手術3日前に内視鏡検査で腫瘍の位置確認と点墨および全大腸の観察を行った.
10. 術前下部消化管内視鏡検査S状結腸がんに特記すべき変化は認めず.腫瘍の口側の大腸に前回認められた閉塞性大腸炎は治癒していた(図4).
腫瘍口側の閉塞性大腸炎は治癒していた.(酪酸菌製剤経口投与2週間後)
腹腔鏡下S状結腸切除術を施行した.腫瘍はS状結腸に存在し漿膜浸潤は認めなかった.腫瘍口側の大腸の漿膜面にも異常所見は認めなかった.肝転移と腹膜播種は認めず,腫瘍近傍のNo. 251リンパ節に腫大を認めたが軟らかかった.D3郭清を施行し機能的端々吻合で腸管を吻合した.吻合前に切除標本を開いて確認したところ,腫瘍の口側の大腸粘膜に異常所見を認めなかった.
12. 病理組織学的検査所見S,Type2,70 × 30 mm,環周率100%,tub2,pT3,INFb,Ly3,V3,PnX,pPM0(35 mm),pDM0(35 mm),pN0(0/31),cM0,pStage II.組織学的所見でも腫瘍口側腸管粘膜に閉塞性大腸炎の所見は認めなかった.
13. 術後経過術後経過良好にて術後8日目に退院した.
大腸がんイレウスの発生頻度は3~21%の報告があり,なかでも便が固形化する左側結腸では高頻度であるとされている6).がんによる狭窄や閉塞により腫瘍の口側の腸管が拡張して口径差があっても自動縫合器による機能的端々吻合は可能であるが,拡張した腸管壁は薄くなり脆弱化しており,腸管内圧亢進による浮腫や血流障害も生じやすく,縫合不全のリスクが高くなる.そのため大腸がん腸閉塞症例には予防的ストーマ造設や6),全身状態が良好かつガイドワイヤーが狭窄部を通過すれば,狭窄部への術前ステント留置による減圧処置が行われる7,8).
日本でも2012年に大腸の悪性狭窄に対する大腸ステント治療が保険適応になってからは,経肛門イレウス管よりも違和感や臭気がなく洗浄不要で減圧効果の高いステントが広く用いられている9).ステントの普及によって術前に腫瘍口側の大腸の内視鏡での検索が可能となったが,閉塞性大腸炎は発生頻度が大腸がんイレウスの約6%と比較的まれな疾患であるため4),口側検査の有用性は同時性多発大腸がんの発見についての報告に限られる8).
自験例と同じく腫瘍による狭窄部位の内視鏡の通過が可能であった症例では,術前に腫瘍口側の閉塞性大腸炎の診断が可能であった報告もあるが,数日間の絶食と高カロリー輸液を施行して下痢と発熱の消退の後に,閉塞性大腸炎の部位も含めた広範囲の結腸切除術を施行している10).術中に内視鏡検査を行うことで,口側に同時性多発がんがあれば術中に追加切除を行い,閉塞性大腸炎の所見があれば炎症部位を含めて切除が可能であったという報告もある11).しかし,虚血性腸炎や非閉塞性腸管虚血症でも粘膜病変のみであれば,腸管切除を行わなくても保存的治療で粘膜病変が回復することも多く12),閉塞性大腸炎の粘膜病変が術前に治癒すれば,がんの切除手術の際に通常よりも広範囲の腸管切除を必要としない.
閉塞性大腸炎の原因としては,狭窄部位の口側の腸管内圧上昇による結腸粘膜の血行障害以外に,狭窄部位の口側の便の停滞による腸内細菌の異常による粘膜障害が示唆される1,4,13).自験例は内視鏡が容易に通過可能で腹部症状も無い不完全閉塞であり,このようなケースでは血行障害よりも腸内容の停滞による細菌増殖が主因と考えられる4).
腸内細菌叢の悪化が原因の代表的腸疾患には,抗菌薬投与による正常腸内細菌叢の乱れによりClostridioides difficileが異常増殖し毒素を産生して腸粘膜を傷害する偽膜性腸炎がある14).治療法は原因抗菌薬の中止とバンコマイシンまたはメトロニダゾールの経口投与であるが再発も多く,正常腸内細菌叢の維持と回復を目的としたプロバイオティクス製剤の有効性が報告されている15).プロバイオティクス製剤には乳酸菌,ビフィズス菌,酪酸菌製剤がある16).酪酸菌製剤のClostridium butyricum MIYARIは大腸で増殖,酪酸を産生して腸内フローラを改善する.ラットの実験大腸炎では投与による腸粘膜上皮増殖促進効果と腸管浮腫軽減,抗炎症作用が報告されており17),臨床研究では潰瘍性大腸炎術後の回腸嚢炎の予防効果の報告もある18).
自験例は不完全閉塞で愁訴が無く,便通もあって全身状態も良好であり,患者の家庭の事情で手術まで2週間の期間があったため,閉塞性大腸炎の治療目的で酪酸菌製剤の経口投与を試行した.閉塞性大腸炎は自然治癒の可能性も推測されるが検索した限りでは基本的に閉塞を解除する手術が行われ,経過観察をした報告は無かった.自験例は術前には閉塞性大腸炎が治癒していたので,広範囲の腸管切除を考慮せず,縫合不全などのリスクの危惧も無く,通常の手術を施行できて術後経過も良好であった.
数年前まではこのようなケースは稀であったと思われるが,大腸ステントの普及で術前に閉塞が解除され,また口側の観察が可能な閉塞性大腸がんの症例が増加している.閉塞性大腸炎を伴う大腸がん症例で待機的予定手術になる場合は,抗菌薬の様な投与による偽膜性腸炎のリスクも無く,副作用も無い酪酸菌製剤の経口投与を行うことも有用と考えられた.
本論文の要旨は第77回日本消化器外科学会総会(2022年)にて発表した.
本症例報告は「医学研究における倫理的問題に関する見解および勧告」,「症例報告を含む医学論文および学会研究発表における患者プライバシー保護に関する指針」を遵守している.症例報告に関して患者本人に説明し同意を得た.
本論文に関する著者の利益相反なし