2023 年 52 巻 1 号 p. 11-19
Anecdotally, it is considered that there are several populations for the cultured tiger pufferfish, Takifugu rubripes, in Japan; however, strict pedigree managements are not undertaken in hatcheries. To understand the genetic diversity and relationship among broodfish used in Nagasaki Prefecture, where the majority of aquaculture seedlings of this species are produced, genetic analysis was conducted using 12 microsatellite markers. DNA samples and pedigree information of each broodfish used for production in 2015 and 2016 were collected from private hatcheries. Samples from a total of 56 broodfish including 15 wild females were obtained. The artificially raised broodfish were grouped into three putative populations, Population A-C, based on pedigree records. The results of several genetic statistics showed significant genetic divergence from wild individuals among the populations. Population structure analysis revealed genetic independency of Population B and Population C, while it was implicated that Population A was occasionally interbred and crossbred with wild individuals, suggesting the susceptibility of population loss of Population A. Moreover, discordance in population assignments was observed between pedigree records and what inferred from molecular markers. These results indicated the necessity of pedigree managements with the aid of molecular markers for the sustainable use of these populations.
養殖トラフグには複数の選抜集団が存在するとされるが、厳密な系統管理は行われていない。本研究では、長崎県内の選抜集団の遺伝的特徴を把握するために、同県内の種苗生産機関が保有し、2015年と2016年に種苗生産に使用された親魚について集団遺伝学的解析を行った。サンプル収集の際に種苗生産機関が記録する血統情報を聞き取ったところ、提供された56サンプルには3集団(集団 A-C)の人工魚と15個体の野生メス個体が含まれていた。12座のマイクロサテライトマーカーを用いて各種遺伝的統計量を求めるとともに、集団構造解析を行った結果、集団 B と集団 C はそれぞれ野生魚から独立し、選抜が進んだ集団を形成していることが示された。一方で、集団 A は野生集団から遺伝的に独立しておらず、野生魚との交配が頻繁に行われており、遺伝的独立性を失っていることが示唆された。また、遺伝解析の結果と聞き取り調査の結果が一致しない個体が散見され、血統情報の誤りが確認されたことから、遺伝マーカーを用いた系統管理の必要性が示された。
トラフグ Takifugu rubripes は、東アジア地域を中心に盛んに養殖されている重要な養殖対象魚種の一つである1-2)。我が国では1990年代に種苗生産技術や成熟誘導・人工授精技術が開発され 3-5)、種苗生産機関への技術普及が進められた6)。現在では、年間700万個体程度の養殖用種苗が販売されており、養殖種苗のほとんどで人工種苗が利用されている7)。
養殖用人工種苗の生産には、主に野生親魚のメスと人工親魚のオスが用いられてきた。野生のメスが用いられたのは、天然海域で漁獲された大型個体から採卵することで十分な卵量が確保できるといったコスト的な理由による。最近では一部の種苗生産機関において、積極的に人工親魚同士の交配も行われ、系統化が進んでいる集団もある。人工親魚の作出過程では生産機関独自の選抜が行われており、日本の代表的な養殖魚種であるマダイ Pagrus major やヒラメ Paralichthys olivaceus と同様に、養殖場における飼育情報を得て好成績の個体を買い戻して親魚に利用することが多い 8-10)。すなわち、養殖トラフグにおける選抜育種では少数エリートの表現型選抜が主流となっている。これまでに数世代にわたる表現型選抜によって造成された複数の選抜集団が流通している 10-12)。しかし、近親交配の回避策として集団間交配や野生親魚の導入が行われているため、各集団の遺伝的特徴は不明確であり、選抜効果の喪失が懸念されている。
これまで系統を維持するには実際の交配記録をもとにした正確な血統情報が不可欠であった。しかし、近年ではマイクロサテライトや一塩基多型(single nucleotide polymorphism, SNP)などの遺伝マーカーを利用することにより、実際の交配記録がなくても、後代の解析から血縁関係の推定が可能になった。これにより、血縁関係が曖昧なまま継代されてきた養殖集団においても、血統情報の推定・修正や系統管理が可能となってきた13-14)。このため、養殖トラフグにおいても、遺伝マーカーを利用することで正確な血統情報のない集団の遺伝的特徴を推定し、遺伝的健全性を保てるような交配を行いながら効率的な選抜育種の導入が可能になると期待される。
そこで本研究では、我が国の養殖用トラフグ種苗生産の大半を賄う長崎県15)において保有されている養殖トラフグの親魚集団内の遺伝的特徴を明らかにするために、マイクロサテライトマーカーを用いた集団遺伝学的解析を行った。併せて、種苗生産機関が記録する各親魚の血統情報の聞き取り調査も行い、遺伝解析の結果との比較からその正確性を検証した。
解析魚の収集 2015年および2016年に、販売用種苗の親魚として長崎県内の民間種苗生産機関で飼育されていたトラフグを用いた。これらの親魚のうち人工魚は同県内の主要な3つの養殖集団に由来し、高成長性を対象とした選抜を受けている。ただし、これらの集団は不定期に野生魚を導入した開放的な集団であり、一般的な選抜系統のような閉鎖的な集団ではない。鰭または精液として提供された材料を、99.5%エタノールに浸漬し、解析まで-30℃で保存した。同時に、民間種苗生産機関へ聞き取り調査を行い、各解析魚が人工魚であったか野生魚あったかを確認した。また、人工魚だった場合は、当該個体がどの集団に由来するか、その親が野生魚であったかを確認した。
マイクロサテライト多型解析 ゲノム DNA は DNeasy Blood and Tissue KIT(Qiagen)を用いてメーカーのプロトコルに従って抽出した。抽出した DNA を鋳型として PCR によりマイクロサテライト座を増幅した。使用した12プライマーセットの情報をTable 1にまとめた。これらのマーカーは Kai et al.(2011)16)で設計されたもので、そのうち10セットは当該研究で報告されている。PCR 反応液は以下の条件で調製した。すなわち、1 µL の10×PCR Buffer(タカラバイオ株式会社)、0.9 µL の dNTP Mixture(各 2 mM, タカラバイオ株式会社)、0.05 µL の Forward primer(10 pmol/µL)、0.5 µLの Reverse primer(10 pmol/µL)、1.25 µL の蛍光標識 M13 primer(10 pmol/µL, Thermo Fisher Scientific)、0.04 µL の r-Taq DNA Polymerase(5 U/µL, タカラバイオ株式会社)を含むプレミックスに2.5 µL の DNA テンプレート(およそ10 ng/µL)を加え、滅菌蒸留水で合計10 µL とした。この反応液を iCycler(Bio-Rad)を用いて以下の条件の PCR に付した。すなわち、94℃で3分間の熱変性反応を行った後に、94℃で10秒間、59℃で30秒間の増幅反応を37サイクル行い、最後に59℃で3分間の最終伸長反応を行った。PCR 産物をABI 3130(Applied Biosystems)による電気泳動に付し、得られた波形データを Gene Mapper Software 4.0(Applied Biosystems)で可視化して遺伝子型を決定した。
Table 1. Microsatellite markers used for this study
遺伝解析 各養殖集団の遺伝的特徴を明らかにするために、最初に、アリル頻度に関する各種統計量を算出した。すなわち、平均アレル数(MNA)、有効アレル数(ENA)を GenAlEx 6.51b217)で算出するとともに、アレリックリッチネス(AR)をFSTAT 2.9.418)、多型情報量(PIC)を CERVUS19)でそれぞれ算出した。系統化の過程で近交が進むとヘテロ接合度の観測値(Ho)は Hardy Weinberg 平衡(HWE)から期待される値(He)と比べて小さくなり、その後に別の系統と交配した場合には Ho は He よりも大きくなる。また、系統化が進んだ集団では遺伝子型頻度が HWE から期待される値から逸脱するマイクロサテライト座が増える(Deviations from the Hardy-Weinberg equilibrium, DHWE)。このように、DHWE、Ho、Heからも養殖集団の遺伝的特徴を推定できる。そこでこれらの値を GenAlEx 6.51b2 で算出した。これらに加えて各集団の有効な大きさ(Ne)を NeEstimator 2.120) を用いて推定した。推定には Molecular coancestry(MC)法21) を用いた。以上の解析は、人工魚同士を交配して得られた個体(人工魚×人工魚)ならびに人工魚と野生魚を交配して得られた個体(野生魚×人工魚)とを分けて解析した。なお、集団 C/W は1個体のみであったため、これらの解析から除外した。また、集団 C には両親の由来が不明な2個体が含まれていたが、STRUCTURE 解析の結果から人工魚同士を交配して得られたものとして扱った(結果参照)。野生集団の遺伝的特徴を推定するために野生個体についても同様の解析を行った。
次に、集団内ならびに集団間の遺伝的異質性を検討するために FSTAT 2.9.4で pairwise wcFst22) を算出して集団間の分化の程度を評価した。解析には、各集団の人工魚同士を交配して得られた個体と野生個体を用いた。10,000回の permutation test を行って帰無仮説(wcFst = 0)を片側 5% の有意水準で評価した23)。さらに、個体間の遺伝的類似性を GenAlEx 6.51b2 を用いた主座標分析(Principal Coordinate Analysis, PCoA)で評価した。解析個体間の距離には codominant genotypic distance を用い、分析には distance-standardized option を用いた。
最後に、集団の遺伝的構造を STRUCTURE 2.3.424)を用いて推定した。祖先集団数(K)を1から10まで変化させながら、各 K について Markov chain Monte Carlo 法を独立に10ラン試行した(総反復数: 80,000回、burn-in: 30,000回)。出力結果を Structure Harvester25)に入力してΔK26)を算出した。各個体の祖先集団に対する帰属率を CLUMPP 1.1.227)で推定し、DISTRUCT 1.128)で可視化した。
解析魚の履歴 収集した56個体について、血統情報などの履歴に関する聞き取り結果をTable 2にまとめた。56個体のうち、オスは34個体、メスは22個体であった。オスはすべて人工魚で、メスは半数以上(15/22個体)が野生魚であった。人工魚について集団毎の内訳は、集団Aが8個体、集団Bが23個体、集団Cが10個体であった。そのうち、集団Aと集団Bでは4個体が、集団Cでは1個体が野生魚メスと人工魚オスの交配で得られた個体であった。なお、野生魚同士の交配によるものは認められなかった。
Table 2. Sample information of the tiger pufferfish used for the genetic structure analysis
養殖集団内の遺伝的多様性 12マイクロサテライト座の多型情報を用いて算出した遺伝統計量をTable 3に示した。有効アレル数(ENA)は野生親魚で最も高く(10.76)、集団B(5.99)が他の養殖集団(3.48-3.77)よりも高かった。アレルリッチネス(AR, 95%信頼区間)は野生親魚(5.05, 4.04-6.06)、集団B(4.20, 3.15-5.26)、集団A/W(4.09, 2.39-5.79)の順に高く、最も低い集団Cは野生親魚の2/3程度(3.44, 2.32-4.56)であった。多型情報量(PIC)でも野生親魚(0.89)で最も高く、次いで集団B(0.80)が他の養殖集団(0.62-0.67)よりも高かった。ヘテロ接合度については、すべての養殖集団で観測値(Ho)が期待値(He)よりも大きい heterozygosity excess29)の状態にあり、特に、集団A、集団A/W、集団B/W、集団Cではその差が0.2程度と大きかった。また、ヘテロ接合度の期待値(He)は、野生親魚が0.89と最も高く、集団B(0.82)が、他の養殖集団(0.68-0.71)よりも高かった。集団Bと集団Cでは、HWE から逸脱したマイクロサテライト座が2座ずつ出現した。以上の通り、いずれの統計量でも野生親魚がもっとも遺伝的多様性が高く、集団A、集団A/W、集団B/W、集団Cが集団Bよりもやや低いという結果が示された。有効親魚数(Ne, 95%信頼区間)は野生親魚が最大となり(66.5, 4.9-207.3)、集団A(17.6, 5.7-36.1)、集団A/W(5.0, 1.8-9.8)、集団B(11.4, 6.0-18.5)、集団B/W(25.8, 0.0-129.4)および集団C(10.2, 3.8-19.9)を大きく上回った。
Table 3. Number of samples (n) and indices of genetic diversities for each population and wild parental fish
集団の分化 2集団間の pairwise wcFst を求めて遺伝的分化の程度を推定した結果、集団Aと野生魚以外の組み合わせで有意な遺伝的分化が認められた(P < 0.05)。集団の組み合せをみたところ、集団Cと他の3集団間にみられる分化(0.080-0.101)が、他の3集団間で検出された値(0.046-0.062)よりも大きかった(Table 4)。
Table 4. Estimated pairwise wcFst values (below diagonal) and P values (above diagonal) among the three populations and wild parental fish
主座標分析 12遺伝子座の遺伝子型情報を用いて主座標分析を行った(Fig. 1)。第1主座標(寄与率 = 12.4%)では、集団B及び集団 B/W と集団C及び集団C/Wとが大きく分かれ、集団A及び集団A/Wと野生親魚は集団B寄りの値を示した。第2主座標(9.3%)では野生親魚と集団Bの分散が大きく、両集団が分かれる傾向にあった。一方、第3主座標(8.4%)においては、集団B内での分散が最も大きく、集団A、集団A/W、集団C、集団C/W及び野生魚は類似した分布を示した。人工魚と野生魚の交配に由来する個体は、その親が属する集団の近傍に出現する傾向にあった。なお、第1主座標では、集団Cのクラスター中に異なる集団の個体(36番: 集団A/W, 41番: 集団B)が内包されていた。

Fig. 1. Principal coordinate analysis for the 56 samples. The contribution of each coordinate (axis) is shown in parentheses in the axis labels. Coordinate 1 vs. Coordinate 2 (a), Coordinate 1 vs. Coordinate 3 (b), Coordinate 2 vs. Coordinate 3 (c).
STRUCTURE 解析 STRUCTURE 解析の結果、ΔK の値からは親魚集団が3つの遺伝子プールで構成される(K = 3)と仮定するのが尤もらしいと考えられた。K = 2-7とした場合に各個体がどの遺伝子プールに属するかを可視化し、集団構造を精査した(Fig. 2)。K = 2を仮定した場合、集団B/W及び野生魚と、集団Cを主とする2つの集団に大別され、その他の集団はこの2集団が混交する集団であると推定された。K = 3においては集団B、集団C、集団B/W 及び野生親魚がそれぞれメインの集団を構成し、集団 A 及び集団A/Wはこれらの3集団が混合して形成された集団であると推定された。K = 4以上は集団B内で2つの分集団が形成された一方で、K = 5以上を仮定した場合に集団Aで優占する祖先集団の存在が推定された。主座標分析で本来の集団とは異なる集団Cとクラスターを形成した36番(集団B)と41番(集団A/W)は、STRUCTURE 解析でもKの値に関わらず集団 C と同じ集団に属すると推定された。また、集団 C の個体のうち両親の由来が不明であった51番、52番(図中の白抜き矢印で示された個体)は同集団内の人工魚同士の交配で得られた個体と同じ遺伝的背景を持つと推定された。

Fig. 2. Population structure of each population inferred from STRUCTURE analysis. Black arrows indicate individuals for which the phylogenetic information based of the pedigree recodes and genetic analysis are inconsistent. White arrows indicate individuals of which parentage information was unknown.
解析魚収集の際に行った聞き取り調査により、親魚集団には野生魚(メスのみ)と人工親魚が含まれており、人工親魚には人工魚同士の交配で得られた個体及び人工魚のオスと野生魚のメスとの交配で得られた個体が混在していた。野生魚のオス個体、ならびに人工魚のメスと野生魚のオスとの交配で得られた個体はいなかった。各集団のうち人工魚同士の交配で得られた個体と野生親魚の4集団でペアワイズに遺伝的分化の程度(pairwise wcFst)を調べたところ、集団 B と集団 C は野生魚から遺伝的に分化していることが支持された。また、主座標分析並びに STRUCTURE 解析で集団 B と集団 C の独立性が支持された。以上の結果から、長崎県内には系統化が進んだ選抜集団が少なくとも 2 つ存在することが示された。一方で、集団 A と野生集団との間では遺伝的分化が支持されず、主座標分析並びに STRUCTURE 解析でも集団としての独立性が弱かった。また、集団 A と集団 A/W の各種遺伝統計量を比較すると、両者は Ne を除いて類似した値を示していた。これらの結果から、集団 A では野生魚の導入が集団 B や集団 C よりも頻繁に行われていることが示唆された。実際に、集団 A として入手した8個体のうち4個体はメス親が野生魚であり、集団 B(4/23個体)、集団 C(1/8個体, 不明の2個体を除く)に比べて出現率が高かったことからも、野生魚の導入が頻回に行われていることが推察された。集団 A の解析魚中にメスが含まれなかったことも踏まえると、本集団ではメス親魚は維持されていない可能性も考えられた。本研究で収集した集団 A の解析魚は少なく、集団の全体像が明らかになったとは言えないが、本集団では、近親交配の回避を目的とした野生親魚との交配により遺伝的独立性が弱い集団となったと推察された。今後、集団外からの遺伝子流入が継続すれば、集団 A の遺伝的独立性が失われる可能性が高いと考えられた。
集団 B と集団 C は、野生親魚から独立しており、系統化が進んでいることが認められた。集団 B は集団 A、集団 C に比べて AR および PIC が高く、heterozygosity excess29) の程度が野生魚と同程度であったことから、遺伝的多様性が比較的に高く保たれていると言えた。また、主座標分析及び STRUCTURE 解析(K = 4-7)から、集団内に複数の分集団を含む可能性が支持された。これらの結果から、集団 B は系統化が進みつつも、近親交配を避けるための操作が機能していると考えられた。しかし、集団 B の Ne は10個体程度と少なかったことから、今後の選抜方法次第では遺伝的多様性が急激に減少する可能性も示された。一方で、集団 C は各種の多様性の指標が他集団に比べて低かった。主座標分析や STRUCTURE 解析においても集団の単一性が支持され、少なくとも今回の解析に用いた個体は近縁な個体で構成され、近交が進んでいると考えられた。養殖魚において、遺伝的多様性の減少は、初期生残率や成長率の低下、産仔数の減少など、重要形質に遺伝的劣化(近交弱勢)をもたらすことが知られている30-33)。集団 B と集団 C は、親魚間の血縁距離をもとに近親交配を回避しつつ、遺伝的多様性を増やすような交配計画を策定すべきと言えた。
本章で提供を受けた親魚検体のうち、オスはすべてが人工魚であった。その内訳は、野生魚メスと人工魚オスの交配に由来する個体が9個体であったのに対し、人工魚同士の交配で得られた個体は23個体と多かった(両親が不明だった個体は2個体)。オスに人工親魚が多いのは、オスがメスよりも人工魚の導入で得られるメリットが大きいからと考えられる。すなわち、トラフグのオスはメスよりも1年短い2歳で成熟することに加え4)、メスに比べて複数個体との交配が容易であることから後代検定が行いやすいため34)、エリート個体の選抜が容易である。一方で、メス親魚には野生個体が多く利用されており(15/22個体)、その背景には、前述したように野生魚の方が採卵量を多く確保できるというコスト的な理由が考えられる。また、種苗生産業者と養殖業者の近親交配に対する忌避感から人工親魚同士の交配を避ける意図もあるようである。しかし、近年のトラフグ天然資源は減少傾向にあり35,36)、メスでも人工親魚の利用が増えるものと考えられる。今後は人工魚同士の交配が主流となることで近親交配の可能性が高くなることから、系統管理の重要性がこれまで以上に高くなると予想された。
以上の通り、系統管理の重要性を指摘したが、主座標分析と STRUCTURE 解析において、当該親魚集団では血統情報の誤記録や個体の取り違えが起きている可能性も明らかになった。例えば、主座標分析において、36番(集団B)や41番(集団A/W)は集団 C のクラスター内に出現したが、STRUCTURE 解析でも集団 C と同じ祖先に由来することが支持された。種苗生産機関が親魚候補として養殖業者から養殖魚を買い戻す際には、活魚輸送業者や仲卸業者が関与することもあり個体の記録ミスや混入を完全に排除するのは困難である。また、種苗生産機関の一部では外部標識が用いられているが、標識の脱落等による個体の取り違えが起きる可能性もある。このような場合、記録や標識だけではなく、遺伝マーカーを利用した遺伝的類縁関係にもとづく系統管理の併用が有効である37)。また、誤記録だけでなく、51番と52番の個体のように親魚の由来が不明であった個体でも人工魚同士の交配によるものと推定できたように、記録がない個体の遺伝的背景の推定も可能であった。以上の通り、本研究により、長崎県内の養殖集団は10セット程度のマイクロサテライトマーカーで系統管理が可能であることが示された。今後は親魚候補の導入と同時にゲノムを採取して DNA 多型標識を行い、遺伝履歴を把握して親魚管理の厳格化や交配計画の策定に利用する必要があるだろう。
近年、養殖集団の DNA 多型情報から血縁関係を推定することにより、目的とする形質を高効率で改良可能なゲノミックセレクション(GS)法が発展している38,39)。トラフグにおいても耐病性やオスの早熟性といった形質において GS 法が試行されているが40,41)、産業規模での導入は行われていない。これまで、養殖トラフグにおいては、正確な系統情報が残されていないことが選抜育種プラグラム導入の妨げとなっていた11,42)。本研究において長崎県内で用いられている親魚集団の遺伝的類縁関係を解明したことにより、既存の養殖集団を用いて直ちに GS 法などの効率的な選抜育種法の導入が可能であることが明らかとなった。今後は厳密な系統管理が行われていないトラフグ養殖集団においても、遺伝マーカーを用いて個体間の血縁関係を推定しながら既存系統を活用した選抜育種を行うことが可能となり、養殖生産の向上に貢献することが期待される。
本論文を取りまとめるにあたり、サンプル提供にご協力いただいた長崎県種苗生産技術研究会会員の皆様に厚く御礼申し上げる。