本稿は,牛窪隆太著『日本語教育学の新潮流29―教師の主体性と日本語教育』(2021年,ココ出版)の書評である。しかし,本稿はその内容の紹介でもないし,解説でもない。本稿は,牛窪の議論や議論の流れを,サルトルにおける実存や主体性の議論と照らし合わせ,その共通点と相違点とを示すことで,牛窪による日本語教育における教師の主体性の議論を,より大きな枠組み,よりよい生のありかたと,よりよい社会のありかた,あるいは「人間存在としての存在論」と「場の存在論」とでも言うべき,より哲学的且つ社会的な議論の中に再置しようという試みである。牛窪が述べているように,言語は人を作り社会を作るものである。であれば,言語教育とは「人を作り社会を作るもの」の教育となる。本稿はそのような観点から,牛窪の著作を捉え直すものである。