2023 年 21 巻 p. 185-201
本研究では,タイの教育機関で6年半日本語を教えた後,日本語教師以外の職業に転職したI氏に対してインタビューを実施し,キャリア形成プロセス及びそのプロセスにおける日本語教育観の変容を分析した。複線径路等至性アプローチによる分析の結果,I氏は社会人の学習者に対して教える中で,「社会のことを知らない」という想いが生じ,それが教えることへの不全感に繋がっていた。その不全感が転職を促したが,その後日本語教育以外の仕事に従事する中で不全感は解消されていき,I氏は再び自身の生活と関わる範囲で主体的に日本語を教えるようになっていく。つまり,転職はI氏にとって日本語教師であり続けるために必要な行為であった。そして,転職というキャリアにおける重大な選択に学習者の存在が影響を与えていたことは,日本語教育が相互的な営みであり,教師自身の「生き方」にも大きく関わる可能性があるということを示唆している。