2023 年 19 巻 p. 21-34
グローバル・ヒストリーにジェンダーの分析視座を組み入れたとき、どのような叙述が可能となり、どのような歴史的状況を浮かび上がらせることができるのだろうか。本稿ではこの疑問を念頭に、グローバル・ヒストリーと海を渡って性売買を経済的営為としていた「からゆきさん」を接続させてみたい。
まずは「からゆきさん」を簡単に説明しておきたい。「からゆきさん」とは、日本の開国以降に海外へ渡り、渡航先で性売買を経済的営為としていた女性たちを意味する。元は九州北西部の方言であり、漢字で「唐行きさん」と表記するように、「唐(から)」へ「行く」人を指した言葉だった。「唐」は当時の中国だが、厳密な国としての中国ではなく、海の向こうの国々を総じて「唐」と呼んでいたようである。当初は外国へ〈出稼ぎ〉1 に行った人々のことを男女の区別なく「からゆきさん」と呼んでいたが、次第に〈出稼ぎ〉先が娼館やそれに類する料理店ばかりとなり、いつしか「からゆきさん」といえば、海外で性売買をしていた女性を指す言葉となっていったという(森崎 1976、18-19)。
「からゆきさん」の出身地としては長崎県の島原半島と熊本県の天草がよく知られている。これは島原の口之津に石炭積み出しのための国際船も停泊できる口之津港があり、ここから女性たちが石炭とともに密航で送り出されていたからである。この港は海を挟んで天草ともまた近い場所にあった。本稿で扱う、ある「からゆきさん」もこの港からシンガポールへ渡ったひとりである。
この海外へ〈出稼ぎ〉に行った「からゆきさん」とグローバル・ヒストリーの接点を考える際には、アン・ローラ・ストーラーの研究が参考になると思われる。周知のように、ストーラーは植民地期のオランダ領東インドでの植民者と現地人との「親密な関係」について考察した研究者である。「性を考えること、つまり誰が誰といつどこで関係するかを考えることは、支配のミクロな次元に近づくことなのであり、同時に植民地主義のマクロな政治学についてわれわれが知っていると考えていることの再考を意味する」とストーラーは述べている(ストーラー 2010、22)。
植民地における植民者と被植民者との「親密な関係」や「誰が誰といつどこで関係するかを考えること」を促すストーラーの問題提起は、「からゆきさん」を考察する際にも重要な示唆として受け止められるべきである。もちろん厳密にいえば「からゆきさん」は被植民者ではなく、貧困ゆえに〈出稼ぎ〉に出た女性たちではある。しかし、これまでの「からゆきさん」への問題関心は、渡航先で性売買をしていた/させられていたことが重視され、娼館内部やそこを出てからの女性たちの経験というものにそこまで関心は払われてこなかった。ましてや「親密な関係」についてはこれまでほとんど考察されてこなかったといってよいだろう。非対称的な権力関係が厳然と存在する渦中で、性売買という形で性を搾取された女性たちの問題を考察することはもちろん重要だが、ストーラーの提起を踏まえるならば、「からゆきさん」が誰とどのような関係をもったのかという「親密な関係」についても考察を深める必要があるということになるだろう。
その手がかりとして本稿では、ある「からゆきさん」の語りを取り上げる。島原からシンガポールに渡航し、娼館に勤めた後にイギリス人男性に身請けされたという彼女の個人的な経験からどのような風景が見えてくるのか考えてみたい。