ジェンダー史学
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論文
  • ――イングランドの歴史的経験から――
    長谷川 貴彦
    2022 年 18 巻 p. 5-16
    発行日: 2022/10/14
    公開日: 2023/10/13
    ジャーナル フリー

    2020年11月、路上で生活をしていた女性が、明け方に渋谷区のバス停で殴打されて死亡した。パートタイムの仕事を転々として、折しもコロナ禍で仕事を失っていた女性は、アパートを出てホームレスとなり夜露をしのげるバス停のベンチの上で就寝するという姿が目撃されていた。犯人の男性は、後日母親に付き添われて警察に出頭したが、自営業を営む彼もまたコロナ禍で生活不安を覚える存在でもあったとされる。コロナ禍では、とりわけ若年の女性が自ら死を選ぶというケースが増えているという。新自由主義のもたらす格差社会のなかで、コロナウィルスの蔓延という事態。100年に一度とも言われる重層的な危機が、社会を直撃するなかで、弱い立場に置かれた女性に集中したかたちで表出される。思えば、こうした女性たちは、過去においても存在していたはずである。彼女たちは、どのように危機を経験し、それに対応していったのだろうか。こうした素朴な問いが、本稿の出発点となる。

    歴史のなかでの女性は、見えない存在とされている。とりわけ貧困のなかで喘ぐ女性の姿は、ほとんど可視化されてこなかった。これは、近代の歴史研究がたどってきた軌跡によって形成されてきたと思われる。たとえば、19世紀の歴史学の課題は、政治史的アプローチを中心としながら、政治家のための学校として将来のエリートに対して模範となる指針を提供することにあった。20世紀には、社会史研究の勃興によって労働者や女性の姿が復元されてきたが、貧困や福祉が中心的な主題となったのは、新自由主義の台頭によってポスト福祉国家が叫ばれるようになってからのことであった。現実と学問の状況が交錯するなかで、貧困や福祉に関するアプローチもこの間に大きく刷新されてきたと言ってよかろう。国家レベルでの制度や政策を対象とする政治史・経済史的アプローチ、その背景としての社会構造や社会変動に焦点を当てる社会史的アプローチ、個人レベルでの身体性や主観性にまで立ち入っていく文化史的アプローチなど、対象と方法が進化・発展してきたのである。

    本稿の課題は、貧困と福祉の問題に対するアプローチの変化を念頭に置きながら、イギリス(イングランド)の歴史のなかで貧困と福祉がどのように論じられているのかを素描することである。まずは、歴史のなかの福祉と貧困を論じる研究史を整理しながら、それが国家、地域、個人という分析の位相を変化させながら進化してきたことを明らかにする。次に、それらの方法論的視座に基づいて、近世から近代にかけての福祉国家の歴史的源流の実態を明らかにする。この論点に関しては、すでに拙著(長谷川2014)で論じたところであるので、ごく簡潔に描写することにする。さらに、同じ視点から戦後福祉国家の歴史的展開を論じることにする。戦後福祉国家史は、サッチャリズムないしは新自由主義の前史として論じられてきたところだが、近年、この新自由主義の「成功物語」には疑問符がつけられるようになっている。戦後史の再検討のなかで提出されている論点を踏まえながら、福祉と貧困の歴史を論じることにしたい。

  • ――大恐慌期のアメリカにおけるフードスタンプ制度――
    佐藤 千登勢
    2022 年 18 巻 p. 17-29
    発行日: 2022/10/14
    公開日: 2023/10/13
    ジャーナル フリー

    アメリカでは今日、連邦政府による貧困対策としてさまざまな所得維持政策が実施されているが、なかでもフードスタンプ制度1は、4,150万人(人口の12%)が参加する最大規模のプログラムとなっている。この制度は、農務省の食料・栄養サービス局が管轄しており、原則として所得が貧困線(2021年に3人家族で年収約2万2,000ドル)の130%以下であれば、年齢や子どもの数、健康状態などに関わらず、だれでも参加資格を得られる。平均受給額は、1世帯で月444ドル、1人当たり233ドルであり、フードスタンプを用いて、酒類とタバコ以外のあらゆる食料品を購入することができる。

    フードスタンプ制度は、重要なセーフティーネットとしてアメリカ社会で広く受け入れられている。その理由としては、低所得の家庭の子どもを飢餓や低栄養から救い出す役割を果たしていると評価されていることや、フードスタンプが農産物や食料品の消費拡大に貢献しているため、農業団体や食品業界が強く支持していることがあげられる。

    フードスタンプ制度は、農務省の下で、現金ではなく食料品の購入に特化したスタンプを支給しているという点において、他の社会福祉プログラムとは異なる特殊な性格を有している。生活困窮者が支給されたスタンプを用いて消費行動をし、それによって食生活を向上させるという仕組みは、大恐慌による余剰農産物の処理との関連で1930年代に考案された。本稿では、こうしたフードスタンプ制度の歴史的な起源を、消費行動の主体とされた貧困女性に着目しながら検討し、プログラムに内在していたジェンダー規範を明らかにしていく。消費と結びついたフードスタンプ制度をジェンダーの視点から見ることで、福祉国家の多様なあり方やアメリカ的な特殊性を考察することが本稿の目的である。

    これまで、フードスタンプ制度については、政策史や経済的な効果といった観点からいくつかの研究がなされてきた(Waugh, Hoffman, Gold 1940; Herman 1940; Herman 1941; Harvey 1941; Kreager 1942; Coppock 1947; Poppendieck 2014)。また、フードスタンプと消費に着目し、食品業界を中心とした経営者団体との関連でフードスタンプ制度を論じた研究もある(Moran 2011)。しかし、消費の主体としての貧困女性の役割やジェンダー規範を検討した研究はこれまでなされていない。本稿ではまず第1 節で、大恐慌の到来により飢えが社会的な問題として捉えられるようになったことを論じ、第2節で、1933年以降、フランクリン・D・ローズヴェルト政権の下で余剰農産物の処理と貧困者を対象にした食料支援が結びつけられたことを見ていく。第3節では、余剰農産物の配給制度が持つ弱点を克服するためにフードスタンプ制度が導入され、消費者として貧困女性が前景化されたことを明らかにする。第4節では、栄養学との結びつきを論じ、農務省家政局の下で、貧困女性がフードスタンプで入手した食材を用いて、栄養学的な知見に基づいた料理を習得することが期待されたことを検討していく。

  • ――女権拡張運動と『女学雑誌』における「女帝」の読み替え――
    陣内 恵梨
    2022 年 18 巻 p. 31-45
    発行日: 2022/10/14
    公開日: 2023/10/13
    ジャーナル フリー

    これまで神功皇后に関する研究には、絵馬や浮世絵、絵葉書や紙幣などの表象を取り扱ったものがあった。それらの先行研究からは、神功皇后のイメージが、為政者にとって、軍事的・ジェンダー的な観点から、非常に有益な両面性を備えた女性シンボルであったことが解明されてきた。第一に、神功皇后が国家主義的な政策・方針に利用可能な軍神的側面を持ち合わせていたこと1。神託に従い、朝鮮半島を征服した神功皇后の「三韓征伐」伝説は、前近代より、同時代の日本人の朝鮮半島への差別・領有意識を助長し、大陸への侵略思想を掻き立てる戦争プロパガンダとして機能するものであった。第二に、神功皇后が近代的女性規範に適応可能な母神的側面を有していたこと2。今日まで安産信仰で知られている岩田帯(腹帯)伝説に語り継がれているように、応神天皇を出産し、天皇の母となった神功皇后は、近代における女性国民の最重要課題として設定された、国民の再生産との高い親和性を備えていた、と指摘されてきた。

    しかしながら、神功皇后には、それだけでない別の側面も存在していた。記紀神話において「男装し、軍を率いた」「60年以上、国を統治した」神功皇后は、明治政府の推進した男性天皇の擁立と近代的性別規範と真っ向から対立し、齟齬を生み出す存在でもあった。先行研究において、長は「女性兵士と産む身体を兼ね備えるというイメージ像を広く知られていることで、近代国民国家が構築しようとする性差の境界をおびやかす。利用しやすい素材ではなかっただろう3」と述べている。原は、長の指摘を踏まえた上で、明治天皇の御真影の作者として有名な印刷局のお雇い外国人・キヨッソーネによってデザインされた神功皇后図像(以下、「キヨッソーネ神功皇后図像」と称す)の非戦闘性4と女性性の強調5に着目し、「キヨッソーネ神功皇后図像」【図1】とは、既存の神功皇后観とは乖離した「銃後の神功皇后像6」としてデザインされた表象ではないかと推測している7。明治政府は「王政復古」の象徴として神武天皇に加えて神功皇后を使用する際、最も著名な皇后である神功皇后の武闘的イメージの転換を試みたものの、時代が日清・日露戦争を迎える中、武闘的な神功皇后が適合的なモデルとして浮上してしまったと述べている8。さらに、神功皇后表象の一部には9、軍勢を指揮する神功皇后の傍らに武装した侍女、あるいは女性の兵士が登場する10。イメージの世界において、麾下に男性兵士のみならず、女性の兵士をも追随させていた神功皇后は、女性を銃後から前線へと進出させる力を備えていたのである11

    しかしながら、男女の性別分業制が近代国民国家の基盤である以上、下手をすれば生身の女性をも公的領域へと進出させかねない神功皇后は、確かに、長の指摘する通り「利用しやすい素材」ではなく、原が推測するように転換しなければならない女性像であった。それでも、二人の指摘通り、神功皇后の武闘的なイメージは、対外戦争の軍神としての使い勝手の良さから、日清・日露戦争へ向けて、引き続き国内で使用されていたことは間違いない。そこで本稿では、1725年から 1999年にかけて、国内で制作・流通した神功皇后図像全268 件の通史的分析の結果、明治日本が 本格的な対外戦争を迎える以前、1880年から1890年代にかけて、イメージの世界において、二つの変化があったことを取り上げたい12。一つ目が、1890 年代以降に制作・流通した図像群から、神功皇后に付き従って、前線に赴いた女性兵士の姿が確認できなくなっていること13。二つ目が、神功皇后の「60 年以上、国を統治した」逸話に由来する「女帝」としての神功皇后図像が、1890年代以降に制作・流通していた図像群から、発見できなかったことである。つまり、神功皇后の武闘的なイメージが引き続き使用されていた一方で、1880年から1890年代にかけて、庶民レベルで共有されていた神功皇后イメージから14、「女帝」神功皇后図像が消失していく、何らかの要因があったと考えられる。

    神功皇后の「女帝」側面が完全に否定されるのは、1926年10月の詔書においてだが15、イメージの世界ではそれよりも早くに「女帝」神功皇后図像が確認できなくなっている。水戸藩の『大日本史』によって、神功皇后は女帝ではなく皇后とする歴史観が定着するまで16、神功皇后は息子・応神天皇の摂政(補佐役)ではなく、天照大神に次ぐ高貴な女性であり「女帝(第十五代天皇)」の始まりであると認識されていた。1786 年『武者かゞみ 一名人相合 南伝二』【図2】の図像は、その好例である。まず、画中の神功皇后の被っている冠が、日輪の飾りと独特の形状から、天皇にのみ許された冕冠だと推測できる。さらに、束帯の胸元には皇帝の象徴である金色の龍(黄竜)が大きく描かれ、その左右には日月が配置されている。他にも、左袖には神功皇后が武器とした鉞の他に、霊獣・白虎や鳳凰(あるいは鸞)が意匠として施されている。また、背景の文章から「崩御」の文字が読み取れるため、装飾と合わせて、通り名こそ神功「皇后」であっても、実質的には仲哀天皇に次ぐ「第十五代天皇」、すなわち「女帝」として扱われていた様子を読み取れる17。なお、「女帝」神功皇后の影響力は、皇朝に限定されておらず、武家政権においても通用した。神功皇后の引用は、女性政治家として辣腕を振るった北条政子の政治参与を賛美し、日野富子による執政を正当化する根拠として扱われていたのである18

    このような神功皇后の政治的な側面は、儒教に代表される男性支配の原理のみならず、女性を私的領域の要たる家庭に配置し、母親として育児に専念させようとする近代国家の性別分業制をも揺るがしかねない。長・原同様に神功皇后の政治的な危険性を指摘した千葉は「1880年代以降において、神功皇后のようなファルスを持つ女性像は、女権運動をはじめとする性的侵犯と結び付けられ社会的タブーとされ」、男性たちに自らの地位が脅かされるような恐怖を与えるものであったと言及している19。さらに、明治の新政府が政治の領域からの「女権」の排除に積極的であったことから20、まだ海外領土獲得のプロパガンダとして活用できる神功皇后の武闘的なイメージよりも、女性の政治参与に繋がりかねない「女帝」イメージは、男性中心社会において、ひどく目障りな側面であったと推測できる21。先行研究において、近代的性別規範を逸脱する神功皇后の軍神的側面は「日清・日露戦争という対外戦争を経て、戦争の体験が社会化していく」過程で「急速に変質させられ」いずれは「消去される」と述べられてはいるが22、女性の政治参与を肯定する神功皇后の政治的側面の消去の過程については、管見の限り、これまでに言及されてこなかった。

    そこで、本論文では、先行研究における千葉の指摘を踏まえ、近代的性別規範との齟齬を生み出す「女帝」神功皇后が、近代国民国家における男性優位社会を揺るがす危険性を孕んでいたことを、明治初期の女権拡張運動における神功皇后関連の言説より明らかにする。同時に、女権拡張運動が盛り上がりを見せながらも「男装し、軍を率いた」「60年以上、国を統治した」神功皇后と近代的性別規範とが、大きな衝突を生むことがなかった理由を、神功皇后を表紙絵・創刊号に採用した『女学新誌』『女学雑誌』から読み解く。そして、女権拡張運動の後継者として登場し、女性の地位向上を謳う「女学」を提唱した両誌における神功皇后の読み替えの痕跡を浮き彫りにすることによって、「女帝」神功皇后イメージの排除の流れを明らかにすることを本論文の目的としている。

  • ――結成期の長崎ベ平連を中心に――
    港 那央
    2022 年 18 巻 p. 47-61
    発行日: 2022/10/14
    公開日: 2023/10/13
    ジャーナル フリー

    「ベトナムに平和を!」市民連合(以下、ベ平連1 )は、1965年のアメリカによる北ベトナム爆撃に対する抗議運動が世界的興隆を見せるなかで、同年4月に日本で誕生したベトナム反戦市民運動体である(油井 2019、2, 95-105頁)。ベ平連は「個人原理」と呼ばれる方針により、個人の自発性を尊重し、運動内部にはピラミッド型組織に見られるような上下関係をつくらなかった。非暴力を原則とし、会員制度や幹部を設けず、誰でもベ平連を名乗り運動を始めることができた(小熊2009b、312頁 ; 平井 2020、85-86頁 ; 吉川 2011、64-68頁)。以上の運動スタイルが一因となり、最初に結成された東京のベ平連が1974年に解散するまでに、日本各地で数百ものベ平連が誕生した。これらは地域ベ平連と呼ばれる。

    本稿は、地域ベ平連の一つである、1968年1月末に長崎県長崎市で結成された長崎ベ平連に焦点を当て、長崎ベ平連結成期の中心人物の語りを通して、その人物の運動参加経緯を明らかにしながら、運動のジェンダー化過程を分析することを目的とする。

    本論に入る前に、先行研究を以下の三点から検討し本稿の課題を示したい。まず、平井一臣(2005)は、それまで主に明らかにされてきたのは東京のベ平連の運動であるため、資料収集やインタビュー調査を行い、地域特性に留意しながら、各地の地域ベ平連の動向を検討したうえで、ベ平連の運動全体を再検討する必要があることを主張した。先行研究の地域的偏向の背景には、語り、記録し、保存し/されえた手記や回顧録が東京のベ平連の「知識人」によるものが多かったことがある。

    次に、松井隆志(2016)は、東京のベ平連の中心メンバーはほぼ男性であり「そこに時代の限界もあった」(12頁)と注釈にて言及した。つまり、従来のベ平連研究は「東京」の「知識人」の語りを中心に評価してきたと同時に、「男性」の語りを中心とした分析だったのである。これを踏まえて先行する地域ベ平連研究を見ると、黒川伊織(2015)・平井(2005)はそれぞれベ平連こうべ、金沢ベ平連の運動内部でセクシズム告発の動きがあったことに注目している。しかし、両者は各地域ベ平連が向き合う課題の変容・展開を示す複数の例のうちの一つとして挙げているため、告発の経緯や、運動においてセクシズムがなぜ、いかに稼働していたのかを詳細には明らかにしていない。

    最後に、阿部小涼(2020)は、東京のベ平連のデモの常連でもあった新宿ベ平連の古屋能子が残したさまざまなテクストから、特に「八月沖縄闘争」をめぐって「ベ平連」の運動内外から向けられるセクシズムに抵抗し、記録に残されないと思われる女性たちの闘争を自らが記録しようとも努めた古屋の姿を掘り起こした。「ベ平連」に参加した女性論客や書き手は一定数いたにもかかわらず、その省察が十分になされていないことを指摘し、それらをジェンダー・トラブルとして再読することの重要性を提起したのである。まさに古屋が記録しようと努めたような、そもそも記録されることのなかった無名の女性の闘争、自ら書き残すことのできなかった、あるいは聞き手の不在により語りえなかった無名の女性の思想や行動が、オーラル・ヒストリーの蓄積をともなう地域ベ平連研究によって掘り起こされる可能性を示唆している。

    本稿は、これらの先行研究では十分に明らかにされてこなかった「地域」「無名性」「女性」に着目し、長崎ベ平連結成期の中心的人物であったK.T. のオーラル・ヒストリーを中心に運動におけるジェンダー化された運動当事者と記録の問題に焦点を当てる。長崎ベ平連結成期の資料は極めて少なく2、特にK.T. が運動に中心的に関わったことを示すもの3 は、警察による尾行や複数回にわたる実家への訪問などといった嫌がらせを受けてK.T. が資料の保存を断念した4 ため、ほとんど残されていない。資料分析はオーラル・ヒストリーに大きく限定されるものの、運動参加当事者・周辺の運動参加当事者へのインタビュー調査5 の実施と、結成期の長崎ベ平連に関わる周辺組織・人びとの記録や報道の分析を行いながら、運動や記録にジェンダーがどのように働きかけたのかを検討したい。

海外の新潮流
  • ――韓国のトランス排除言説を中心に――
    福永 玄弥
    2022 年 18 巻 p. 75-85
    発行日: 2022/10/14
    公開日: 2023/10/13
    ジャーナル フリー

    2022年4月21日、「誰もがありのままに暮らしていける社会」を掲げたレインボーさいたまの会が、「埼玉県LGBTQ 条例案のパブコメが、トランスジェンダーの差別を煽る反対意見で荒れに荒れています」とツイートし、危機感を表明して支援を呼びかけた1 。「埼玉県LGBTQ条例」とは、自民党埼玉支部連合会が公表した「埼玉県性の多様性に係る理解増進に関する条例(仮称)骨子案」を指す。この条例案は「何人も、性的指向又は性自認を理由とする不当な差別的取扱いをしてはならない」という文言を含む15の条文と附則から構成される2 。4月1日にパブリックコメントの募集が開始されると、「トランスヘイトを行う団体等」が条例制定を阻止するために抗議活動を展開したのである。

    日本におけるジェンダー主流化は、男女共同参画社会基本法の制定(1999)と全国の自治体による関連条例の制定がセットで進んだが、こうした潮流のなかで保守政権とそれを支持する保守市民によるバックラッシュが展開した。山口智美や斉藤正美、荻上チキらは2012 年に刊行した『社会運動の戸惑い:フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』において、いくつかの男女共同参画推進条例をとりあげ、フェミニストと保守市民との間でみられた係争を批判的に考察している。なかでも、2003年12月に制定された宮崎県都城市の「男女共同参画社会づくり条例」は注目に値する。というのも、この条例は「性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権が尊重され」という文言を導入し、自治体として初めて性的マイノリティの人権を掲げた先駆的な事例となった一方で、まさに「性的指向」をめぐって『世界日報』や保守派の市民や議員からの激しい抗議を喚起したのである(斉藤正美・山口智美2012)。

    都城市の事例でみられたように、「埼玉県LGBTQ条例案」をめぐっても「保守」を標榜する草の根の市民が抗議運動を推進している3 。しかし本稿で注目したいのは、埼玉県の条例案をめぐって保守派が「性自認」を標的としているという事実である。驚くべきは、保守派と結託して条例案に対する抗議活動を展開しているのが、2018年頃からトランスジェンダー女性に対する攻撃を続けてきた一部のフェミニストや女性団体であるという点だ。一連の抗議では「性的指向」(あるいは同性愛者やバイセクシュアルに対する差別の禁止)が争点となっているのではない。そうではなくて、「性自認」、とりわけトランス女性が潜在的な犯罪者として焦点化され、パブリックコメントが「トランスジェンダーの差別を煽る反対意見で荒れに荒れてい」るというのである。

    埼玉県の条例案に反対する保守団体は次のように懸念を表明する(保守の会2022)。

    〔条例案は〕「性自認」を「自己の性別についての認識をいう」と定義付けているが、この定義に従えば、自己申告による性別をそのまま認めなければならない。「性自認が女性」という身体的には男性が、女性専用スペース(公衆トイレや公衆浴場、更衣室等々)に堂々と侵入するなどして、女性に不利益をもたらし、社会的混乱を引き起こしかねない。事実、札幌や大阪ではすでにその種の事件が起きている。「女性スペースを守る会」が「設立趣意書」でも訴えているように、「女性トイレがもし身体男性にも開かれるのであれば、個室に引きずりこまれての性暴力被害、個室の盗撮被害の増加や盗聴さらに使用済みの生理用品を見られたり、持ち出されることも増えるでしょう。警戒心が薄く抵抗する力のない女児や、障害のある女性が性暴力被害に遭いやすくなるのでは、という懸念」について、ぜひ真摯に考えていただきたい。

    トランス女性がシスジェンダーの「女性に不利益をもたらし、社会的混乱を引き起こしかねない」として両者の間に敵対的関係があるかのように強調するとき、「保守の会」がそれを根拠づけるために「女性スペースを守る会」の主張を引用しているという事実は示唆的である。なによりも、「保守の会」が性的マイノリティの人権を保障する条例案に反対するために、右派の学者や政治家ではなく、「女性の権利を守るために」結成された団体の主張を根拠にしているという点において 4。そして、「女性の権利を守るために」2021年に結成された団体が、SNSをとおしてトランス女 性に対する憎悪や嫌悪の情動を動員してトランス女性とシス女性の間の対立を強調してきたという点においても。実際、本稿を執筆している4月29日現在、条例推進を呼びかけたレインボーさいたまの会の一連のツイートに対しては、フェミニストや「市井の女性」たちによるトランスフォビアを剥き出しにした攻撃が集中している。

    近年、性的マイノリティの権利、とりわけ婚姻平等とトランスジェンダーの権利が、米国や欧州、アフリカ、中東、そして東アジアでも大きな政治的争点となっている。2010年代後半に入ると、ジェンダー平等を標的としてきた保守が、トランス女性の排除・排斥を主張するフェミニストと連携して性的マイノリティの運動やコミュニティの分断を煽る動きをみせるようになった。私が専門とする東アジアでは、韓国がこの点において先駆的な事例である。本稿では、このような問題意識から、トランスナショナルに拡散しているトランスフォビアについて、韓国を中心に検討したい。韓国におけるTERF(Trans-Exclusionary Radical Feminist)の言論活動は後述するように日本のフェミニストにも影響を与えているため、日本の状況を理解するためにも韓国の動向を参照する意義はあるだろう。

    以下では、韓国や日本や英語圏の先行研究をレビューしつつ、韓国社会のトランス排除言説について考察を進めていく。第二節では、トランス排除言説が2010 年代後半にフェミニストの間で支持を獲得したことを指摘し、その背景を検討する。第三節では、2000年代に発展を遂げたバックラッシュの構成や歴史的背景を確認する。第四節では、TERFと保守の〈連帯〉の背景にある制度化されたトランスフォビアについて、軍隊に焦点を当てて論じる。第五節で、トランスナショナルに広がるトランスフォビアについて議論を整理する。最後に、トランスフォビアとの闘争が、けっしてトランス/クィア・スタディーズだけでなく、フェミニズムやジェンダー・スタディーズにとっても重要な課題であることを主張する。

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