日本地質学会学術大会講演要旨
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第128学術大会(2021名古屋オンライン)
セッションID: T5-O-2
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T5(口頭)文化地質学
山形県最上町の材木遺跡から採集される緑色の石英について
*三澤 裕之
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抄録

はじめに

  山形県最上町にある材木遺跡は、縄文時代晩期(約3,200年前~2,400年前)の遺跡である。1973年に最上町教育委員会が主体となり小規模な発掘調査が行われたが、正式な発掘調査報告書は作成されていない。

 筆者は、高校時代から同遺跡を訪れて表面採集を行ってきたが、採集品の中に、未成品を含む緑色の石製品や、その素材となる石材がたくさんあり、その数は大小合わせて61点を数える。筆者は、これらを新潟県糸魚川産のヒスイであると思い長年保管してきた。  

緑色の石材の分析結果とその特徴

 2018年10月、東北大学東北アジア研究センターの辻森樹教授に材木遺跡の石材の薄片を提供して分析をしていただいたところ、クロム(Cr)入りの緑泥石を少量含んだ石英主体の岩石であることが判明した。その後、東北大学総合学術博物館の長瀬敏郎准教授にも別の資料を分析していただいたが、同じ結果であった。

  お二人からは、この石材について、次のようなことをご教示いただいた。

(1)緑色であるのは、石英の中にクロム入りの緑泥石が微量に含まれてい るためである。

(2)クロム入りの緑泥石を含む石英主体の岩石は、これまで日本では確認されていない。

(3)クロムを含む緑色の鉱物に含クロム白雲母があるが、材木遺跡の石材には雲母は含まれていない。

(4)クロムが入っていることから推測すると、蛇紋岩が分布する地域で形成された可能性が高い。

 また、この石材(以下、「緑色石英」とよぶ)を、縄文時代に利用された他の緑色系統の石材(ヒスイ、ネフライト、碧玉、緑色凝灰岩等)と比べると、次のような特徴をあげることができる。

(1)全体的に明るい緑色を呈し、光の透過性が高い。

(2)粗粒な石英の集合体からなる岩石であるため、研磨された面であっても、ヒスイやネフライト、碧玉などと比べると、滑らかさに欠ける。

(3)比重は2.6前後であり、ヒスイ(3.3前後)やネフライト(3前後)よりも小さい。

緑色石英製の玉類の生産と流通

 2019年2月から各地にある遺物の保管先を訪問し、緑色石英の有無を調査し、その結果を報告した(三澤 2020)。2021年6月現在、材木遺跡以外に山形県及び宮城県、秋田県、岩手県の17の遺跡から計24点(玉類22点、礫1点、剥片1点)の緑色石英を確認することができた(図1)。これらのうち玉類については、22点中8点がヒスイと誤認されており、発掘調査報告書等に「ヒスイ製」あるいは「硬玉製」と記載されている。

 分布状況や確認できた遺跡の時期から、緑色石英は、勾玉や小玉などに加工され、縄文時代晩期に東北地方中南部地域を中心に流通していたことが明らかになってきた。出土数はヒスイと比べても少なく、緑色石英製の勾玉が墓坑から出土している例もあることから、緑色石英は当時、ヒスイと同じように価値の高い希少品として扱われていた可能性が高い。発掘品や地権者所有のものを含め、現在65点の緑色石英が確認されている材木遺跡は、緑色石英を用いた玉類の生産・流通の拠点集落であったと考えられる。

緑色石英の産地

  緑色石英の産地についても、調査を進めているが、現在のところ特定できていない。岩石学・鉱物学の専門家は、着色元素であるクロムに着目し、蛇紋岩が分布する地域に産地があると推定している。山形県や秋田県では、蛇紋岩の分布は確認されていない。材木遺跡の近くでは、遺跡の東方約20㎞にある宮城県の川渡で、小規模ながら蛇紋岩が産出することが知られている。考古学関係者からも情報を収集しているが、産地の特定に結びつくような手掛かりは得られていない。しかし、これまで確認できた分布状況を踏まえると、材木遺跡からそれほど離れていないところに産地があると推定される。      

引用文献

三澤裕之 (2020) 山形考古、第49号、1-11.

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