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<書評>曾根博義著 『伊藤整とモダニズムの時代―文学の内包と外延』
松本 徹
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キーワード: 松本徹, 曾根博義が亡くなって、もう五年になるが、間違いなく曾根博義以外の誰のものでもない大冊の著書が刊行された。, わたしはこの著書の刊行を待ち続けていたと言ってよかろう。彼の葬儀の夜、紅野謙介から計画を聞いて以来、いや、曾根を知って以来、と言ってもよかろう。わたしが新聞社を止め、大学に職を得て研究者の末席に加わり、昭和文学研究会の発足とともに、その研究誌「昭和文学研究」の編集担当となった、その前だから、昭和五十二年, (一九七七)の秋であったろうか。創刊第1集(昭和五十四年十二月刊)の最後のページに曾根と私の名が並んでいる。出会う直前に『伝記伊藤整〈詩人の肖像〉』を刊行、高い評価を受けている最中であった。その後、拙著『徳田秋聲』(昭和六十三年六月)の出版記念会を取り仕切ってくれた。た, だし、わたしは伊藤整に関心がなかったから、当の著書は手に採らず、次の著書は是非ともと思ったのだ。それから四十五年目になる。, そうして本書を開いたのだが、第1章の「詩人の経済生活―小樽市中学校教諭時代の伊藤整について」には、私と私の父の名が出て来た。父が小樽市中学で一年間、伊藤整の同僚だったことを何かの折に口にすると、神戸の家まで父を訪ねて来て、もう一人の同僚の存在を知ると、そちらも訪ね、この論考となったのだ。初出誌で読んでいたが、私自身の幼年期と父の事をいきなり思い出さされることになった。, こうした個人的係わりを書評として書くのは邪道だが、行き当った縁を辿って、未知のひとに会い、じっくり話を聞き、さらに先へと繋げて行くのが、曾根, な新人作家たちが彷徨する時代を描き出すことになる。このあたりは伊藤整『日本文壇史』に倣いながら、その欠落を補うようなところがあるが、「フロイト受容の地層―大正期の「無意識」」になると、わが国にフロイトがぼつぼつと紹介される時期から、本格的な受容まで、丸善の洋書の輸入状況から調べてかかる。, その書誌的探索は、コラムのようなものまで掬い上げ、見当はずれと棄てられた論考や著書も漏らさないことによって、大正末から昭和初期までの時代の微妙な動きが浮かび上がって来る。ここでは人に会って話を聞く姿勢は棚上げにされているが、伊藤整を軸にしながら、性なるものを、科学的客観的に捉えようとする強い思いが感じられる。, こうした探索は、伊藤整に導かれてジョイスに及ぶが、「フロイトからジョイスへ」の節から次の第3章になると、その受容ぶりがさらに詳細に辿られる。, そして、昭和四年において、「精神分析の問題が心理小説との関連」で取り上げられるようになったのは「当時全盛だったマルクス主義への対抗」(一四六頁)のためであったと指摘する。その通りであろう。また、長田秀雄「無意識心理論」を採り上げ、「人間意識の表面だけ, を探って来た自然主義が遂に到達し得なかった無意識心理」を「小説化する必要」を説いた「大論文」だと評価する。その上で、伊藤整は『感情細胞の断面』(昭和五年五月)へ進んだとし、川端康成、芥川龍之介との係わりも扱う。, このジョイスの受容史が、内的心理の表現を追ったプルースト『失われた時を求めて』の翻訳に及ぶと、伊藤整、永松定、辻野久憲の三人によるジョイス『ユリシーズ』の翻訳を問題にする。この二大作の翻訳が、昭和、平成を貫く世紀, 西欧とわが国の文学を繋ぐ営為であったと見るのだ。, 曾根は、その翻訳ぶりと、永松の人となりを知るため、その『二十歳の日記』(昭和二年から五年まで)を検討、老齢になった彼を訪ね、当時の生活ぶりを知ろうとする。, 次いで、「語学の天才」と評されながら昭和十二年に死んだ辻野の足跡を探索するが、「辻野久憲をめぐる物語」でこの営為は最高潮に達すると言ってよかろう。曾根は「怖れとためらい」を口にしながら筆を進めるが、その恋人加藤よし子については小田嶽夫、牧野信一が触れており、伊東静雄が詩を捧げている。そこで小田を訪ね、当人に会い、恋の詳細
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2021 年 2021 巻 170 号 p. 76-

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