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<研究へのいざない>教室で読む古事記神話(九)
――宇気布時から如此詔別まで――
梶川信之、鈴木雅裕
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キーワード: 天之菩卑能命「稲穂と太陽に因んだ神名」(大系)。または、ホ, に纏かせる珠」とする諸本に従うと対になる。, 熊野久湏毗命クスビは「奇し霊」の意だろうが、クマノを地名と見るか、奥まった野と見るかで分かれる。地名と見る説によると、『出雲国風土記』(意宇郡)に見える「熊野の大社」の祭神だとされる(全書)。松江市八雲町熊野に鎮座する熊野大社のことで、式内社である。火の発祥の神社として「日本火出初之社」とも言われる。熊野本宮大社, (和歌山県田辺市本宮町)の元津宮とも伝えられる。ただし、祭神は、『出雲国造神賀詞』(新任の出雲国造が朝廷に奏上する祝詞)に見える「伊射那伎の日真名子、かぶろき熊野の大神、櫛御気野命」であり、熊野久湏毗命とは異なる。, 生める前段で「狭霧に成れる神」とあったが、ここでは「生」としている。『古事記』では、「生」は母胎からの出生、「成」は母胎からではない出現を言うのが原則。「『成』る神の出現に働く主体の存在を明示するものではないか。一種の擬制である。, 『成』らせる主体を意識して、あたかも『生』むかのごとくにいいならすのである」, (神野志隆光「『古事記』「国作り」の文脈」『国語国文』五八巻三号・一九八九)とする見方がある。本来は血縁で繋がれていない神を擬制的に血縁関係の中に組み入れる措置と言える。, 物実「物事のおこるもとの意で、ここでは神々の成るもと」(大系)。天照大御神と湏佐之男命が、それぞれ身に着けていた剣と珠を指す。それらは単なる武器や装飾品ではなく、まさに魂のこもっているものと見做されたのであろう。, 詔り別き言葉によって、生まれた三女五男の神の所属を決定することを言う。, 像郡四座」の筆頭に「宗像神社三座」と見える。「名神大」である。祭神は、宗像大社では市杵島姫神としており、やはり『書紀』の記述に従う。現在は本殿を「第一宮」と呼び、これを辺津宮としている。また、本殿の後方に「第二宮」(沖津宮の分霊)と「第三宮」(中津宮の分霊)があり、それぞれ田心姫神と湍津姫神が祀られている。, 胸形君筑前国宗像郡を本拠とした豪族。一般に、海人族の首領と言われるが、宗像大社の神官の家柄でもある。胸形君徳善の女尼子娘が、天武天皇の皇子高市を生んでいる。宗像氏は天武十三, (六八四)年に朝臣の姓を賜わっており、一般にこれが宗像氏の中央進出の契機となったとされる。『延喜式』(神名帳)に、大和国城上郡に「宗像神社三座」が見える。国道165, 号線に面した桜井市大字外山小字宮の谷に鎮座する宗像神社であるとされる。三輪山を間近に望む交通の要衝だが、境内は確かに宮の谷といった地形である。「天武朝頃に胸形君の一族が本拠地筑前国の氏神を勧請したものと考えられている」(『奈良県の地名〈日本歴史地名大系〉』平凡社・一九八一)と言う。三座は、三女神であろう。, 建比良鳥命割注に、出雲の国造ほか七氏の祖とあるが、「出雲氏の祖神が天照大御神の子孫であることに注目」(新版)とする指摘がある。もちろん、擬制的な同族関係だが、出雲国造家が王権の支配下にあるということを意味するのであろう。, 『神賀詞』に見える「天夷鳥命」と同一神と見るのが一般的。, 『書紀』(崇神六十年七月)にも、「武日照命、一云武夷鳥、又云天夷鳥」と見える。名義については、ヒラは「物の端、隣との境, 遠江国造「遠江」の表記について、宣長は「後人の為」との師説を挙げている。この国名表記は、七世紀末~八世紀初頭頃の表記と考えられるが、『古事記』の地名は基本的に古い表記で書かれる。たとえば、「近淡海」の例があるが、すると「遠淡海」の表記が期待されるところで、確かに不審である。「遠江国造」のみ、安麻呂の増補ではないかとも推測される, (北川和秀「古事記の国名表記」『國學院雑誌』一一二巻一一号・二〇一一)。後世、氏族の祖神として拡張していくことを踏まえると、十分にありえることで、神話の拡張として捉えるべき現象だろう。, 額田部湯坐連大和国平群郡と河内国河内郡に額田郷がある。いずれも額田部氏の所領である。平群郡の額田郷は、現在の大和郡山市額田部寺町で、そこには額田部氏の氏寺だったと言われるかく額安あんがある。額田部氏の職掌に関しては諸説があり、不明である。しかし、湯坐は貴人の乳児に湯あみさせる女の意。乳母のような役目で天皇家の子女に仕える女性を輩出した氏族であろう。, 松江市東出雲町に「八雲立つ風土記の丘」があり、その一画に八雲立つ風土記の丘資料館、岡田山古墳などがある。岡田山古墳は六世紀後半の築造と推定され、一九八三年に発見された大刀に「額田部臣」とする銘が刻まれていたことで知られる。, 『書紀』(神代上・第七段・一書第三)に、「素戔嗚尊……天穂日命を生みたまふ。此は出雲臣・武蔵国造・土師連等が遠祖なり。次に天津彦根命。此は茨城国造・額田部連等の遠祖なり」と見え、額田部氏の祖先を溯れば、スサノヲに行き着く。すなわち、「神話」は決して空想ではなく、何ほどかの事実を反映しているの, 【余滴】, 筥崎宮(福岡市東区箱崎)がある。それは、応神天皇・神じんぐう皇后・, 命を祀る神社だが、国防と外征の守護神である。博多湾に面して鎮座しているが、海に向かって建つ正面の楼門には、醍醐天皇, (八八五~九三〇)の宸筆とされる扁額に「敵国降伏」と認められている。西北西に向いているのだが、それは朝鮮半島と中国大陸を睨む形である。, 鎌倉時代には、元の軍勢が押し寄せたこともあった, (文永の役・弘安の役)。国防の最前線だった筑前国(福岡県西部)にとって、国防と外征の神々をそこで祀り、睨みを効かせることは、重要な国家的課題でもあったと考えられる。, 宗像三女神を祀る宗像大社はどうだろうか。三女神は、辺ぐう(福岡県宗像市田島)に市いちしまひめのみこと命、中津宮(宗像市大島)に湍たきつひめのみこと命、沖おきぐう(宗像市大島沖ノ島)に田こりひめのみこと命が祀られている。中津宮は宗像市の沖合キロほどの筑前大島に鎮座してい, るので、, こうのみなと湊からフェリーに乗って海を渡らなければならない。また沖津宮は、さらに, キロ先の沖ノ島に鎮座しているが、, 通常、神職以外は足を踏み入れることができない。そこで一般の参拝者は、バスや車で行ける辺津宮を参拝することになる。, 辺津宮の本殿には市杵島姫命が祀られているが、その後方に第二宮と第三宮が設けられていて、田心姫命と湍津姫命を祀っている。海を渡らずとも、三女神に参拝できるようにとのことであろう。, 宗像大社は、漁業に従事した人々の崇敬を集めて来た。漁船群の立てる色とりどりの旗や幟で海上神幸を行なう勇壮な「み, 如此詔別, しかくして、速はやをのみこと命、天あまてらす照大御神に白まをししく、, あれちぬ」, 【本文】, 爾速湏佐之男命白于天照大御神我心清明故我所生之子得手弱女因此言者自我勝云而於勝佐備此二字以音, 離天照大御神之営田之阿, 如此登此一字以音, 詔雖直猶其悪態不止而転天照大御神坐忌服屋而令織神御衣之時穿其服屋之頂逆剥天斑馬剥而所堕入時天服織女見驚而於梭衝陰上而死, 訓陰上云富登, 【校異】, 特に問題となる校異は無い。, 【口訳】, こうして、湏佐之男命が天照大御神に申し上げたのは、「私の心は清く明るい。そのため、私が生む子は手弱女を得ることができた。これによれば、当然、私が勝ったということだ」と申して、勝さびに、天照大御神の田の畔を壊し、その溝を埋め、また、大嘗を召し上がる殿に屎をまき散らした。そこで、そのようにしても、天照大御神はお咎めにならずに仰ったのは、「屎の如きは酔って吐きちらしてのことで、私の弟はそのようにしたのだ。田の畔を壊し、溝を埋めたのは、土地をもったいなく思ってのことで、私の弟はそのようにしたのだ」と、言葉の力で事態を変えようとしたが、猶もその悪い振る舞いは止まずひどくなっていった。天照大御神が忌服屋にいらっしゃり、神御衣を織らせていた時、その服屋の天井に穴を開け、天の斑馬を逆剥ぎにして、堕とし入れた時、天の服織女は見て驚き、梭で陰部を衝いて死んでしまった。, 【語注】, 手弱女タワヤメと訓む。「たおやかな女。なよなよとした女」(時代別)の意。『万葉集』にも、「手弱女」(巻三・三七九、巻六・九三五など)の表記が見えるが、語源を表しているわけではなく、当時の解釈を示すに過ぎない。, の振る舞いを良い方向に「詔りて直」すのは、寛容な態度との見方もある, (新潮)が、祭祀を続行するための手立てと見るのが説得的である, (谷口雅博「『天の石屋戸神話』における『詔直』の意義」『古事記年報』三七・一九九五)。, 転意味としては、「普通でないこと・ただならぬこと」(時代別)。ここでは、ますます事態が悪い方へ向かっていったということ。, 忌服屋「忌み清めた機殿。神聖な機を織る家」(大系)。天照大御神は、この忌服屋で天の服織女に神御衣を織らせていた。, 『書紀』(神代上・第七段・本文)の伝には、天照大御神自身が織っていたとある。, 神御衣神に捧げる衣のこと。この部分について、神衣祭に基づく神話だとする説もある(大系)。孟夏と孟秋に行われた祭祀だが、現在は五月十四日と十月十四日に行われる。祭を司るのは麻氏で、特に伊勢の麻績氏がよく知られる。伊勢には、麻績神社, (三重県多気郡明和町中海)、神麻続機殿神社, (松阪市井口中町)、神かんとりはた殿どの神社(松阪市大垣内町)などが鎮座する。
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2021 年 2021 巻 170 号 p. 61-

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